第2回目の交通事故(再び千葉県は成田市)


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七年前(平成24年・2012年)に成田市で徒歩で自転車を押しながら坂道を歩いていた時に、前方不注意・脇見運転の車に正面衝突を喫し、文字通り死線をさ迷い意識不明の重体のまま、救急車で日赤病院に運ばれた私ではあったが(過去の記事に記載されている通り)

元妻の『高野直子』即ち『小倉直子』の父親である『小倉義生』達親子によって、散々に渡って私に降りた私の為への『自賠責保険第②級:3000万円』を摂取・着服されて、用済みとばかりに都内に『悪意の在る遺棄』をされた私だが(小倉親子の真の狙いとは、これから私に降りる任意保険金からの財産分与の対象となる大金なのであった)突然に帰れる家を失い…一生忘れられない『放浪生活』を強いられた私は…分譲マンションを購入をし、一人で暮らしていると、どうしても電動自転車は欠かす事の出来ない必須アイテムであり、文字通り毎日の生活圏の重要な足であった(介護ヘルパーは毎日来ている訳では無いので当然…今もだ)

そんな折り・・・いつも通り電動自転車に乗って買い物をしに行こうと・・・日赤病院の大きな道路を挟んで、目の前に在る『なごみの米屋』たる成田市では有名な和菓子屋の前をいつも通り、走って通過をしようとしたら…この・・・なごみの米屋の駐車場から徐行運転すらもしない、スピードを出し駐車場を飛び出て来た、乗用車に右側から思いっ切り電動自転車ごと横から跳ねられてアスファルトに叩き付けられた!!
何が何だか分からないまま…兎に角、頭や首をアスファルトに強打をしたらしく…寝転がったまま、手で頭を触ったら『タンコブ』だらけであり、特に『首』が痛く・・・とっさに『コレは・・・下手に体を動かさない方が良いな…とりあえず安静にしつつ縁石に座る事としよう』と道路から起き上がって…全損した自転車をそのままにして…比較的冷静ではあったが、私を跳ねた加害者が車から降りてきて、謝りもせずに『大丈夫ですか!?』と問い掛けてきたが、私は返答をした『全身中痛く…大丈夫では無いから・・・ここに座っているのではないか!!御主は一体どこを見て運転をしているのだ!!体が動かんから大至急!!救急車を呼んでくれたまえ!!』と訴え掛けて、この加害者は慌てて119番を入れて救急車を呼んで救急車が駆け付けてきて即座にコルセットを首に嵌めて下さったのだが、日赤病院の道路を挟んで目の前ならタンカで運んでくれた方が余程、合理的なのではないのかと訝しげに感じた・・・。

この私を跳ねた加害者は成田市民では無いが同じく千葉県民であった。

して診察を受けたらCTスキャナー等もされ『頸椎捻挫』『頭部打撲』など診断を下され、骨にヒビも入っても無く骨折は免れたので入院だけは免れた(念の為に高野直子に交通事故に遭って救急車で運ばれ、もしかしたら入院をするかも知れないので・・・只今・・・日赤病院に居るから来てくれとメールで伝達をしたが→身体は大丈夫なの!?すらの一言も無く・・・車で13分も有れば来れる距離なのに、逆に仕事が有るから日赤には行けない。たる冷酷さには日赤病院側も大層驚いていた)

因みに成田警察署の調書では私は、この加害者に武士の情けを掛け『罪を科さなくて結構ですし拘束されているのなら即座に解放してあげて下さい』と情けを掛けたにも関わらず私の自宅に、とうとう最後まで、この加害者の男性は一度たりとも謝罪すら来なかった、人として失格な・・・この加害者が加入していた保険会社は『あいおいニッセイ同和損保』であり、次の日に、ここの職員から電話が掛かって来て、公津の杜駅の目の前のイトーヨーカ堂マクドナルドで待ち合わせる事と成った。

この職員とのファーストコンタクトのイメージとは傲慢な感じであり、後に徐々に、それは表れたという直感力の鋭い私でもあった(揉める予感)

この第2回目の交通事故の時には既に『補佐人の弁護士』『民事の弁護士』『元々…私に付いて居られた第1回目の交通事故の時の弁護士』達とは全てが片付いていた後なので、全ての判断は私次第で決めなくては成らなかった…今の私なら即座に、誰かしら弁護士を雇っていたが『判断能力の無い私』は、流されるままに従った・・・。

リハビリに通う通院先も、この『あいおいニッセイ同和損保 』の職員が決め…乗っていた電動自転車も全損したので、タクシーにて通う事として、私は常日頃使っていた、障害者の私の事をよくよく熟知していた『成田タクシー』会社を強く要望したが・・・それは通らなかった代わりに『参光タクシー』を使用してくれと強く要望されたので仕方無く…それに従った(成田市はタクシー会社は沢山在る中で何故にワザワザ参光タクシーなのかは、あいおいニッセイ同和損保と何かしら繋がりが有るからなのだろう→その証拠に私の自宅からの最寄り駅の公津の杜駅で参光タクシーなんざ殆ど見掛けた事が無い)
この参光タクシーなのだが・・・ホトホト…困った…毎日リハビリの通院を致すのに電話で呼び出すのだが、私は電話口で駅前に居ない事は分かっていたのだが必ずや『今、日赤病院に居りますか?』と窺うと・・・必ずや『居ます』と返答してくるが、日赤病院から車なら10分も有れば来れる距離なのに、毎日の往復の中で一旦呼び出すと『30分』は待たなくては成らず、余りに毎回毎回・・・遅いので迎えに来た『運ちゃん』にどこから来たのかを聞いてみると、日赤病院から来たなんざ殆ど無く・・・隣駅の成田や、とんでもない所から来るケースばかりだった(即ち参光タクシーの業務体系とは無線を成田市で取っているのでは無く、千葉市で取っているので成田市の事を熟知していないから、30分もの時間を待たされる訳であった)

そんな訳で『頸椎捻挫』(ムチウチ)の痛みを一刻も早く軽減させ治さなければ成らないので面倒だが毎日毎日『あいおいニッセイ同和』から指定された最寄り駅が公津の杜駅の『竹内接骨院』に通った(通院回数は98回)

して、一刻も早い痛みの改善に向けて毎日の通院からのリハビリの甲斐があって『根本的な痛み』は取れないのだが、交通事故当時よりは随分と回復は致した(3ヶ月間以上は通い詰めた)

このまま通院すれば、更に良くなるのだろうと思っていた矢先に『あいおいニッセイ同和損保』の私を担当していた職員から電話が掛かってきて『通院の打ち切りと示談の話』を急に持ち掛けてきた!!

嘘のつけない正直者の高次脳機能障害者の私は、こう述べた『交通事故以来、リハビリによって随分と良くなってきている今!!ここでリハビリを打ち切る事は出来ませんし加害者は一度たりとも謝罪すら来ていない最中示談は出来ませんよ』と告げたら『これ以上は通わせられません!!』と高圧的に述べてきたので、私は示談をするのを鎧袖一触アッサリと断ったら、数日後に再び電話が掛かってきて今度は強圧的に『貴男の場合、私では手に負えないので弁護士に依頼しましたので今後は弁護士とやり取りをして下さい』と強気に出て来た(試しにインターネットで検索を掛けると→あいおいニッセイ同和損保の出し渋りは有名な話だった)

して、数週間後に、その弁護士から書類が送られて来たのだが、その文書内容は文字通り滅茶苦茶であり暴論だった!!簡単に述べると今回の痛みや怪我の全ては『第1回目の交通事故が原因であり今回の交通事故が原因では無い』と書き記してあり更には『示談金は僅か50万円』たる内容であり、私は即座に、元々世話に成っていた弁護士の法律事務所に電話をして窺ってみた『通院日数が98回であり向こう側は50万円を提示してきて、今回の頸椎捻挫や頭部の痛みは前回の交通事故が起因だと無茶苦茶な事を述べてきましたが、相場はこんなもんなんですか?』と窺ったら『最低でも通院日数×1万円ですよ』とアドバイスを頂き早速、このあいおいニッセイ同和損保の弁護士の所へ電話を掛けた『今回の交通事故が前回の死線をさ迷った交通事故と因果関係は全く皆無であり、前回の交通事故によって首が痛く成った事なんざ一度も自覚症状すら皆無であり、今まで御世話に成ってきた弁護士に今回提示してきた50万円たる示談金を述べたら通院日数×1万円は最低ラインだと助言を得たので98万円は頂かないと示談は致しませんし電動自転車も
弁償して貰わないと生活が出来ません』と述べたら意外にもアッサリと逆に『では100万円で私が話を通しますから、それで納得して頂けますか?当然、新車の電動自転車も御用意させて頂きますので』と言われ、よく示談交渉などでゴネる人が居るが、私はあくまでも正直に生きたいので『100万円の示談金と当たり前ではあるが電動自転車の弁償』で承諾をし約束通りに『100万円』が振り込まれ、電動自転車も新車を買ってくれ、一応の決着は着いた。

毎日通い詰めた『3ヶ月間以上』のリハビリからの通院生活には 様々な行動を縛られ制限をされた非常に面倒な3ヶ月だった。

この3ヶ月間のリハビリ生活を終えて、直感力の鋭い私は『二度有る事は三度有る』と先人達の語源をフト思った・・・。

 

追伸:高次脳機能障害者に同名半盲の生き様を本にして出版したいのが私の目標なので、マスコミ・医療関係者・出版社・マスコミの取材・等は常時受け付けているので、LINEやメールアドレスを貼り付けときますので、連絡をお待ちしておりまする(嫁さんも募集中です)

 

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