悪意の有る遺棄①『魔の計画の発動』


f:id:takano0013:20160816183824j:image

忘れもしない『平成23年2011年平成23年7月2日』

 

先ずは私の実家である杉並区は阿佐ヶ谷の親父(実父)から私のもとに電話が掛かってきた(親父から電話が来るのは決して珍しくは無い)

その親父の話の内容を聞いてみると『たまには俺(父)と卓(弟)と憲(私)の親子3人だけで一緒に飯を食おうよ大事な話が有るから7月2日の日に、お前一人だけで板橋駅に来てな』と・・・具体的な日取りまで決められ話を持ち掛けてきた・・・私は心の中で『大事な話とは一体何だろうか?』とは思いながらも・・・親子3人と会って飯を食う事に何ら疑いも・・・ためらいも無く了承をした。

因みに電車の乗り換えなどは乗り換えをする、その場その場の駅で駅員さんに聞けば何とかだが・・・電車には乗れていたので、長女のお爺ちゃんでもある私の父に『なつき』(なっちゃん)も連れて行くのは毎回、親父も大変、喜ぶので今回も『なつき』を一緒に連れて行こうと当たり前の様に提案し何気に妻に伝えてみたら・・・何だか妻は泡食った様に『7月2日の日だけは、どうしても行けなくて・・幼稚園のお友達の送別会なので私もなつきもあさもお呼ばれされたので、どうしても参加をしなくては成らないので・・・この日は都内には行けないのよね、それに憲ちゃんに大事な話が有るとお父さんから言われている以上・・・一人で行ってきてよ!!』と、やたらと慌てて必死に成って述べてきたのだが・・・既に私は、この時点で騙されている事に全く気付かずに『あさ(次女)も行くのか?なら・・・俺一人で都内に行って親父と卓と飯食って帰って来るは』と返答をした。

結論から述べると、この『千葉県成田市玉造7ー1ー1ー4棟101』プロムナードたる分譲マンションに私は二度と『7月1日』を持ってして永遠に眠る事は無い日と成った訳だ・・・。

して・・・約束の7月2日に板橋駅で親父と弟の卓と合流を果たしサイゼリヤに入った。

他愛の無い日常生活の話から始まった親子3人での対談でしたが・・・相変わらず親父『高野義宗』は高次脳機能障害たる病には全く理解していない様子を尻目に・・・親父が改めて私に向って『大事な話が有るので場所を変えて話そう』と促し意味不明な事を告げてきたので、私は返す刀で『言いたい事が有るならば、この場で何でも言えば良いじゃんよ』と何度、伝えても親父は『ここでは話せない、お前の未来に掛かった重大な話が有って・・・話せる場所は既に用意してあるので俺に付いて来てくれ』と余りにしつこいので『一体何なのか?』と思いながらも私は親父に付いて行った・・・。

その先は新築のワンルームマンションに長いテーブルが一つだけ置いてある・・・後は何も無いガラガラの部屋へと誘導された。

ここで・・・親父は、ようやく全てを語り始め、それと同時に『一枚の紙』を私に差し出してきた。

それは・・・妻の実父『小倉義生』がしたためた文書であり・・・『読んでみてくれ』と親父に促され即座に目を通し読んでみたら・・・それは全てが与太話と作り話と虚構とデタラメな内容の満載で形成されており欺瞞に満ちた単なる『嘘』ばかりが書き記してあった・・・。

余りに酷過ぎる・・・私は驚愕したと同時に唖然とし『俺は間違い無く裏切られた!!』と瞬発的に感じ『脳に稲妻が走った』

文章内容は割愛するが、この紙には『二度と家の敷居を跨がない事』や『我々小倉家と憲ちゃんとは一緒に住む事は絶対に出来ません』や『直子が憲ちゃんにひっぱたかれている』や『なつきとあさは直子が育てて行きます』に挙句の果てには・・・最後の文章には『憲ちゃんの住む場所が決まったら、そこの住所に全ての荷物をお届けします』

と来たもんだ!!

私は即座に親父に向って『何なんだ・・・この作り話は!?こんなん全部真っ赤な嘘だぞ!!俺は既に小倉親子には自賠責保険の3000万円から短期間で400万円は都合良くあしらわれ使われて摂取!!着服されており!!俺の意思無しに直子は通帳やキャッシュカードから勝手に金を降ろされていたのだぞ!!ひっぱたいただ?俺が逆にひっぱたかれていたは!!親父は実の息子の言葉を信じないで小倉親子の言葉だけは信用するのかよ!?それは違うだろ!!』

 と声高に親父には告げたはしたが・・・既に親父は小倉親子によって完璧に篭絡され洗脳されており・・・私の述べる事は何一つ信用しないどころか・・・逆に親父は『小倉さん親子は阿佐ヶ谷の自宅に何度も来ては、お前とは住みたく無いと頼み込んで来ているから諦めて成田の家を出ろ』と言う始末だった(成田で小倉親子と暮らしている知的障害者の息子の私を取り巻く生活状況や環境を全く把握していなく無知さを如実に物語っており・・・遠く都内に住む親父には小倉親子の述べる事だけを全て鵜呑みにしており余りにも悲しき事象であり、その場に居た2歳下の弟の卓も決して兄貴である私の味方では無かった・・・。

『死者に鞭を打つ!!』とは正にこの事であり、私の反証を全く信じないまま・・・立て続けに今度は『実は・・・憲な・・・小倉さん親子が成田から車で来て近くで待機しているんだよ』と告げてきて・・・私は更に驚く!!

早速、親父が義父の小倉義生だか私の妻である高野直子に電話を掛けて・・・数分後に『小倉義生と妻の高野直子』が部屋に入ってきた!!

私は即座に妻に向って『これは一体全体どういう事なのだ!?お前・・・俺の事を嵌めたな?』が私の第一声の声だった・・・。

判断能力の無い知的障害者の流石の私でも、いい加減・・・事の重大さに気付き思ったのが『これは・・・全て出来レースであり・・・親父も卓も完全に騙されていて・・・小倉親子によって完璧に嵌められているな』と私は率直に感じた。

して『三時間』に渡って両家(高野家と小倉家)との対談が始まった。

先ず小倉親子が私に向って条件を提示してきた。

それは『今後どんな事が起こっても、お金は一円も一切求めないから別居や離婚をして下さい』に『子供達とは憲ちゃんの好きな時に会わせるから心配しないで』だった(これは全てその場凌ぎだけの口から出まかせの大嘘だったという事を後に嫌という程知る・・・。)

私は既に嵌められているのではないかと強く思い始めていたので『小倉親子の提示してきた条件』を頑なに拒否続け納得せず・・・それと同時に強い憤りと家族である妻に裏切られた行為に非常に悲しく成ってしまい大泣きをしてしまった・・・。

そして!!私は小倉親子に向って・・・こう告げた『常に声掛けや介助が要する働く事すら不可能な障害者に成ってしまった亭主である家族の事を救うのが本来の姿であり!!それを簡単を放り捨てるなんて人の道から大きく逸脱しているとは思わないのか!?』と泣きながら声高に小倉親子・・・特に高野直子に訴え掛けはしたが・・・非常に素っ気ない何とも思ってない態度であり前言に提示してきた条件の繰り返し同様な事しか述べず・・その姿や、やり取りを見ていた私の実父が私に向ってこう述べてきた『お前にはまだこれから大金(任意保険)が降りてくるので良いではないか!!子供とは母親が一番たるものなんだからお前が育てるのは諦めろ!!なっちゃんあさちゃんとはいつでも会えるので良いではないか!!』たる正に・・・何じゃそりゃ!?たる見解からの到底考えられない物言いであり親父も完璧に小倉親子側に廻って加担している有り様で・・・全く持ってお話しに成らなかった悲しき事象に私はその場で絶句をした。

仮にも私が逆の立場ならば・・・例え障害者抜きにしても人様に御迷惑を掛けたり悪事を働いていないのなら・・・我が子の事を擁護し何が何でも守り通し弁護・保護し代弁者に成るのが親子本来の在るべき姿だだろう。

両家の対談が、にっちもさっちも行かないので私は小倉親子に向って(特に高野直子)何度も何度も念入りに再確認をしてみた『別居なり離婚をしたとしても本当に今後は一切かっさい一円すら俺には金を求めないのだな?』に『本当に俺が好きな時に我が娘達とは会えるのだな?』に『俺が一週間で俺の大切な荷物を全て纏めるまでは自宅に寝泊まりしていて良いのな?』と念を押す様に再確認を繰り返し問いただしても、小倉親子は何度も何度も『約束は絶対に守るから心配はしないで』の一点張りだったので・・・遂に私はその言葉を信じ込んでしまい極めて不服だったが諦めて納得をしてまった(これが大きな過ちであり・・・長い戦いの幕開けだった・・・。)

その途端『私が折れたと見た』事を見逃さない狡猾な『小倉義生』は持参してきたバッグから即座に『承諾書』なる物を出してきて『承諾書にサインをしてくれ』と私に迫ってきた・・・どこまでも計画通りの出来レースぶりには私は驚いたが・・・その承諾書には頑なに拒否をしサインだけはしなかった(今思うと知的障害者ながら、おいそれと簡単にサインをする行為は警戒をしたからなのだろう)

そして、このワンルームマンションから全員で降りたら、成田市から車で来ていた車が既に停めてあったので、成田の自宅に帰ろうと乗車しようとしたら・・・妻の高野直子が私に向ってこう述べてきた『こんな状態では自宅には今日は一緒には居れないから今日だけはホテルに泊まって!!』と大音声で述べてきたので、即座に私は『着替える服すら何も無ければ薬すら持ってねぇ手ぶら状態なんだぞ!!』と声高に返答したら妻は『荷物は持って来ているから!!』と述べ車の後ろの扉を開けてきて・・・私はそれを見てビックリ仰天致した!!

なんと!?私の夏場に着るTシャツや短パンの全てが・・・所狭しとギチギチに大量に積み込まれているではないか!?

驚いた私は妻に『何なんだこれは!?俺が夏場の全荷物を今日本日!!車に乗せて持って来いなんて、お前に頼んだのか?これは完全に綿密な計画通りの出来レースではないか!!』と怒鳴ったところ・・・妻は繰り返し『こんな状態じゃ成田に戻って憲ちゃんと家には居られないじゃん!!御願いだから今日一日だけはホテルに泊まって!!』と強弁してきたので私は極めて不服だったが『その妻の言葉を信じ込んでしまい』その大量の夏場に着る物から『Tシャツ一枚』と『短パン一枚』だけを抜いて手に持った(明日・・・改めて取りに行けば良いかと安易な考えだったのを今でも非常に悔やんでいる)

因みにだが、この車の後ろの扉のを開けられた時に義母である小倉義生の妻の『小倉和子』が後ろを向いて一言も発せずに、ちゃっかり座っていた。

両家の対談には顔を出さずに車の中で待機をしていたのだ(即ち高野憲一を計画通りに嵌めて遺棄した事に対して罪悪感があり私に会わせる顔が無かったのだろう)

そして・・・別れて私は・・・ある重大な事に気が付いた・・・それは普段所持している財布に入れてあった『自宅の鍵』を抜かれている事に気付いた!!

都内に放り捨てて『遺棄』する計画にあたって前夜の12日に私が睡眠薬を飲んで寝ていた隙を見計らって『財布から密かに鍵を抜いていたのだろう』即ち自宅を自由に出入りさせない為に、どこまでも綿密に計画を遂行したのだと私はまざまざと知り得た・・・。

そして・・・この晩はどうしたかと言うと、今でこそ縁を切ったが一番の親友の浅草に在住の『島津陽介』のところに電話をし・・・事の経緯を全て話して打ち明けたら『ホテルなんて即座に探すのは手間取るから、とりあえず浅草に来いよ!!』と手を差し伸べてくれたので私は早速、浅草へと向かった(因みに島津陽介宅には昔っから浅草に遊びに行くと頻繁に泊まってきたという島津陽介の母やお兄さん達とも、いつも私の事を歓迎して下さり非常に仲が良かった)

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレス:natsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

私の自賠責保険『3000万円』に群がる亡者共。


f:id:takano0013:20160814184736j:image

自賠責保険第②級①号の『3000万円』が降りた事は前回の記事を挙げた前述の通りだが、先ず私が動いたのは若い時に仕事などの失敗により作ってしまった過去への精算からの『借金の返済』だった・・・。

 

①カードローンが50万円(この借金の原因とは・・・何かとお金に困っており佐倉裁判所からの呼び出し通知や債権者達の取り立てから何ら抜本的に問題を解決せずに今も自宅に居座って逃げ回っている同居している多重債務者の妻の両親に毎月15万円をも入れる為に私の給料から足りない分を借りてまでして毎月15万円を入れてあげる為に膨らんでしまった借金)

 

②私や実弟の『高野卓』が極めて短い期間だが仕事をしない時期があって武富士などサラ金で借りた残り『30万円』の返済。

 

③都内の叔父が日本経済新聞の購読者の申し込みハガキのポスティング配りで大成功を納めた自社ビル兼自宅持ちの『高野二郎さん』の会社で20歳まで務めていた時に主にアパートを借りる為に作った借金だったのだが当時・・・私は何度か転居を繰り返したので借りた金額が不透明だったので、ひとまず『50万円』だけを封筒に入れ足りない分は、その場で降ろすつもりで、この叔父の会社に単身乗り込んだが・・・叔父は『憲みたいな身からその金を貰ったら俺は乞食に成ってしまう』や『憲から貰える筈が無いではないか!!小さな庭付きの安い一軒家を購入して娘達を育て上げなさい』と諭され・・・説得されたが、私もただでは引かずに借金を返す為に一時間以上は受け取ってもらう様にしがみついて粘ってはみたが・・・とうとう叔父は受け取って頂けなく逆に叔父の偉大さを感じた素晴らしき日に成った(然し!!私が独り身に成って数年後に・・・この叔父は豹変し私に金を要求してくる様に成り私は絶望する)

 

④親父(実父)の『高野義宗』に借りた135万円(主に退院後に働けなく成った私が自賠責保険を担保に生活費として借りた金)

だが・・・残念ながら・・・この実父は全く持って高次脳機能障害への理解者では無く、前述に書き記した叔父の様に金の無心ばかりする様に成り、今では私の方から縁を切った状況に喫している。

 

⑤親父の内縁の妻の義母に借りた15万円(退院後に自賠責保険を担保にし生活費として借りた金)

 

⑥20歳代からの親友で一番仲が良かった『島津陽介』から借りていた30万円(これまた金の無心ばかりをしてきたので私の方から縁を切った)

 

とまぁ・・・支払えるところには片っ端から際限無く支払い、この自賠責保険金は『私の命の代替え金』であり『重い後遺症を二点も抱えて障害者に成ってしまった代替え金』だが私は率先的かつ積極的に徹底的に支払った。

私は就労不能たる身に成ってしまい働けない私にとって『虎の子の金』であり・・・2人の幼き娘達を自賠責保険金にて一人前まで育て上げなくては成らない親としての責任感がある中・・・1円たりとも無駄金は厳禁なる最中・・・それを承知の上で私は『義や筋を通した』(この時は、まだ任意保険が降りていないので尚更だった・・・。)

 

そして・・・身の回りに異変が始まり・・・長き戦いの幕が開けた・・・。

この自賠責保険第②級の3000万円が私に降りてから・・・妻を含む同居している妻の両親や妻の弟である義弟など『小倉一家』の態度がガラリと変わり始めたのだ・・・。

先ず妻の高野直子が私に向って『毎月20万円を頂戴!!じゃなきゃマトモに生活が送れないのよ!!』と強弁し始めてきたので、私が『僅か十畳一間に4人で暮らしていて居るだけで何故に毎月20万円も掛かってしまうのだ?俺は働けないんだぞ!!状況を理解して事の重大さをキチンと把握しているのか?』(高野憲一・高野直子・高野なつき・高野あさ)

だが妻は極めて執拗であり何故だか『20万円』という金額に固執していてやたらとこだわっており、しぶとくしがみつくので私が立て続けに『もう働けない俺は、この金を頭を使って大切に大切に使い続け、なつきとあさを一人前まで育て上げなくては成らないだぞ!!ならば・・・家計簿を作れ!!生活に掛かった必要な金ならキチンと出すから!!』と述べても朝昼晩毎日・・・口を開けば『20万円を貰わないと何も出来ないの!!』繰り返しにより、この頃から夫婦喧嘩が絶えなく成ってきた。

当時の私は今より・・・もっともっと病が酷く正確な判断能力を下す事は不可能であり、どこまでも希薄で薄弱で人の真偽を見抜けない状態であり満足なる判断能力が取れなかったので・・・遂に私は妻の戯言に根負けしてしまい『毎月20万円を逐一降ろして手渡す様に成った流れを作り出してしまった』(即ち小倉親子の魔の計画が発動された瞬間だった)

この20万円たる大切な大金の使用方法は娘の幼稚園の学費を払い、後は夫婦の携帯電話代と食費たる・・・たかだか知れている金額だった筈であり、残りは我々4人と同居している分譲マンションの主である小倉義生は『1億3000万円』もの借金を抱えて裁判所からの呼び出し通知を一切受け取らずに、債権者達の取り立てが押し寄せて来るが居留守を決め込んで何ら抜本的解決をしない何かと金に困っていた『小倉義生と小倉和子』夫婦に私の金を横流しをしていたのは最早・・・明白だった(私はそれを何度も廊下で密かに聞いてしまったからだ)

知的障害者身体障害者自賠責保険金を徹底的に搾り取ってやろうと小倉一家は私が睡眠薬を飲んで寝静まったのを確認してから夜な夜なリビングで綿密に計画を立てていたのは既に私は気付き始めていた。妻の高野直子は両親の為なら平気で私を裏切る・売るという売国奴というより『売家族』たる言葉が相応しいだろう。

その証拠に私が妻に毎月20万円を手渡し始め『味をしめた』今度は妻が私に向って『家が常にお金に困っているから纏まったお金を無利息で貸してあげて御願い!!』と、これまた朝昼晩毎日・・・耳にタコが出来る程、述べ始め、耐え兼ねた私は妻に向って『俺は最早!!金なんて貸せる身分では無いのだぞ!!お前は・・・なつき・あさの未来を本気で考えて考えているのか?2人が可愛く無いのか?俺達4人の今後の生活はどうするのだ?何ら将来の事を考えていないではないか!!そもそも・・・他人様に散々迷惑を掛けて1億3000万円も莫大なる借金を抱えて自宅には年がら年中、債権者達が激しく取り立て来ているのをひたすら居留守を使い無視し挙げ句の果てに裁判所からの呼び出し通知すら受け取らないで居る多重債務者の人間が俺にどうやって金を返せるのだよ!!説明してみろ!!』と中度知的障害者なりに強弁したが・・・妻は、そんな事どこ吹く風で返答してきた『憲ちゃんが纏まったお金をお父さんに貸してあげれば債権者達が一切自宅には取り立てに来なくなるのよ!!』と述べてきたので私は『貸してやっても50万円だけだぞ・・・』と述べたら『100万円だけは貸してあげて!!』と果てしなくしがみつかれた・・・。

と今思えば、その辺の中学生でも騙されない妻の詭弁からの口車に簡単に乗っかってしまい詐欺られた流石に騙され易いバリバリの『高次脳機能障害者』の私であった・・・。

して・・・まんまと騙された私は次の日に郵便局の本局に妻に車に乗せられて『100万円』を降ろしに行き・・・その夜に・・・この分譲マンションのリビングで妻の両親である『小倉義生・小倉和子』が座っている前で100万円の大金の入った封筒を私は小倉義生に『無利息で100万円を貸してあげます』と手渡してしまった(後に裁判沙汰に成るのだが私は大変大きな過ちを犯してしまったと今でも悔やんでいる)

更に味をしめた小倉家親子は数日間置いて今度は妻の実弟であり私の義弟であった、日頃は一緒には住んではいないが住所は実家であり、自分の部屋も持っていたのでチョコチョコと泊まりには来ていた『小倉佳祐』がリビングで妻も含む小倉親子とテーブルに座って居た目の前で私に向っていきなり『自賠責保険の30%を寄越せ!!』と恫喝し障害者の私に対して恐喝をして来た!!

で・・・目の前に座って居て『小倉佳祐』の暴挙からの恐喝・暴言を即座に止めて障害者の事を守り、逆に小倉佳祐の事を怒鳴りつけ徹底的に叱りつけなくては成らない立場で在ろう目の前の目撃者達の妻の高野直子・小倉義生・小倉和子・は完全に見て見ぬふりを決め込んで『小倉佳祐』の恐喝・恫喝の暴挙を看過している考えられない事態に、ここで・・・いよいよと・・・私の堪忍袋の緒が切れ私は『なつき・あさを守る為だと防衛本能が働き』小倉佳祐に向って『働けねぇ俺は!!なつき・あさの事をこの自賠責保険によって育て上げなきゃならねぇんだよ!!それを自賠責保険の30%も寄越せだと?ふざけるのもいい加減にしやがれ!!表に出ろ!!小僧!!』と立ち上がって真剣に怒ったところで、ようやく小倉義生が止めに入った(止めるのが遅過ぎなんだよ!!)

総じて・・・拝察してみると全てが出来レースであ、ら小倉親子は『劇団型おれおれ詐欺』と何ら相違は無く『怒らせる役』『欺いては金を摂取する役』『作り話をする役』『同情心を誘う役』『バランスを取る為に見せ掛けの優しさを興じてくる役』と多種多様、それぞれの役割分担が計画通りに私が完全に寝静まったのを確認してかリビングで夜な夜な『悪魔の計画』を密談を重ねては練っていたのだろう。

 即ち!!いかにして私の自賠責保険金の3000万円を摂取・ユスリタカリ・着服するかが妻を含む小倉親子の計画であり、これはホンの序章に過ぎず・・・ブログを更新して行く過程で全貌を語って行く所存。

 

それはさて置き『高次脳機能障害者』の私なりに本能的に危険を察知し『ここで住み続けていては決して駄目だ!!』と強烈に意識を持ち始め・・・纏まったお金もひとまず入り支払う所には全て支払い禊も落としたので何より十畳一間の狭い部屋に4人で暮らすのは何かと窮屈であり・・・一番問題なのが妻が全く持って高次脳機能障害に理解しないどころか強烈な『ファザコン・マザコン』気質な妻は逆に両親の言う事・述べる事なら亭主の私の事なんざどうでも良く何でも両親の言いなり状態の妻と両親を遮断する事が急務かつ必要であり、私は妻に『降りた自賠責保険金をよくよく逆算しながら安い物件を買うか団地か市営住宅に引っ越すぞ』たる計画を打ち明けて伝えた。

して引っ越し準備を急速に取り掛かり始めた。

様々な近隣のスーパーやイトーヨーカ堂など段ボール箱を大量に貰ってきては、かき集め非常に散らかっていた部屋を掃除しながら荷物を段ボール箱に一つ一つ仕分けをして綿密に詰める作業を大変だったが毎日・・・毎日、長時間に渡って私一人だけで全てを行ったのだが、妻は段ボール箱集めからの貰いに行く時だけは私を車に乗せてってはくれてはしたが、殊更・・・段ボール箱に荷物を仕分けする大変な作業には一切手伝わずに全く持って協力をしてくれなかった。

それと同時に様々な不動産屋に行っては分譲マンションや一軒家を内覧をしに行きはしたのだが『一生の一番の大きな買い物は自宅』たる一大事に対して妻の『高野直子』は極めて非協力的であった・・・。

当初は成田市の団地に入りたかったのだが、成田市役所に相談したら『東日本大震災の影響で障害者と言えど優先的には入れません』と常に玉虫色の回答しか得られなく全く持ってお話しに成らない状態だったので『物件』を買う事に拍車を掛けたのも要因でもあった。

初めの頃は物件の内覧に車で連れて行ってくれてた妻だったが・・・イザ!!内覧をすると成ると物件内部を吟味せずに・・・たいして中身もマトモに見づの繰り返しであり、例え良い物件と巡り会って妻に向って『ここに決めてしまおうか?この物件は金額的にも日常生活を暮らすのにも条件がピッタシではないか?』と真剣な顔して告げても決して承諾をする事は皆無だった・・・例えば私の体調が悪く・・・妻だけに物件を内覧させに行かせてみて帰って来て妻に質疑応答をし詳しき情報を徹底的に聞いてみても何ら感想らしい感想を具体的に述べられなく有益なる情報なんざ殆ど無く、しどろもどろな状況が続いたので私は・・・いい加減怪しいと思ったので密かに不動産屋に電話を掛けて確認をしてみると『私もずっと待ってたんですけど奥さんは来なかったですよ』や『急な用事が入ったと仰ってこられて、その日は連絡も来なかったですよ』とボロボロと『妻は内覧しに行っては無かった』と全てが白日のもとに明らかに成ったので、私は不動産屋に向って『アポをとって貴重な時間を割いて頂いたのに妻が行かなくて誠に申し訳御座いませんでした』と謝った時に不動産屋の方は妻の本音とも取れる真実を語って下さった『奥さんに他言無用ですが何だか・・・障害者の夫が勝手に行っているだけで私は物件を買うつもりなんて無いんですよ』と赤裸々に述べて下さり・・・私はハッっと!!我に帰った『妻は引っ越しなんざする気はサラサラ無いのは明白なのは分かったが真の目的や本当の狙いとは一体何なのだ!?』とフツフツと何か嫌な予感が押し寄せてきて異様な違和感を感じた私が居た。

 この時から夫婦喧嘩が激化し絶えなくなり、互いにひっぱたかれりひっぱたく事も勃発し始めてきたが、全ての原因とは毎月20万円を手渡しているのにも関わらず実家にも虎の子の100万円まで貸し付けても飽き足らず妻からの更なる『金の無心』と『亭主の喫した高次脳機能障害たる病に対して相変わらず全く持って向き合わなく高次脳機能障害者への傾向と対策をよくよく練って勉強・研究をして来なかったので対応の仕方を熟知・精通をしていないので当然の如くイザコザが絶えなくなり夫婦間で揉める事が頻繁に多発するのは至極当たり前の事象』私:高野憲一は、この分譲マンションのリビングにて妻を含む小倉親子に様々な傷付いた台詞や言葉を浴びせられていた・・・例えば『障害者なんてこの世に何ら生産性が無い存在だから世の中に不必要なんだよな!!そう言えば・・・家にも障害者が居たっけ!!金だけ置いて出て行ってくれないかしら!!』や『金を出さなきゃ面倒なんてみてやらねぇからな!!』と私は『強い心理的外傷』を受けるのも極当たり前の光景に成ってきた。

今思うと、これは『障害者虐待防止法』に抵触し『心理的虐待』や『経済的虐待』が必ずや挙げられるだろう。

 

ここで妻の『高野直子』の性格や気質を簡単に書き記しておこう。

『極めてファザコン・マザコン気質』であり亭主や彼氏なんかよりもパパ・ママが何よりも第一でありパパ・ママの言う事なら何一つ文句を言わずに何でも言う事を聞く『売国奴』と述べるのでは無く私は高野直子みたいな家族の事を平気で売る人間の行為を『売家族』と造語を作って皆さん方に口伝をしている。

『極めて頑固者であり人に悪い事をしても謝罪をするという概念が皆無』『嘘をつくのが日常茶飯事』

これは、まだ妻が新宿の英語の専門学校の学生時代から私は付き合い始めて同棲生活を経て『出来ちゃった結婚』をするまで高野直子の人物像を長年、考察をしてきた普遍的に何ら変わらない結果からの『高野直子』の気質・性格・なのである。

 

自賠責保険の3000万円が降りてから高次脳機能障害者に喫した亭主に全く見向き合わないどころか『金の無心』ばかりの妻に対して・・・私は本能的にヒタヒタと私に差し迫っている・・・何か恐ろしい危機感に苛まされてしまい・・・強い危険を感じたので私は度々『大事な話が有るので公園で今後について重要な話しを2人きりでしたい』と妻を呼び掛け公園に行き話し合いをし・・・決まって私は『俺の一番の理解者に成らなければ成らない筈の肝心の妻のお前は高次脳機能障害を一向に見向かず理解もせずに全く学ばないどころか親子揃って俺の自賠責保険から金の無心ばかりで一体全体どうなっているのだ?高次脳機能障害者に加えて同名半盲たる身体障害者だが・・・お前と離婚をして、なつきとあさは俺が育て上げる!!』が決め台詞だったのが・・・決まって妻は『憲ちゃんとは離婚はしたくない』の一点張りだったが・・今思えば私は妻を含む小倉家にとって『都合の良い金づる』だったから、おいそれと手離したくなかったのだろう(後から全て分かったのだが小倉家親子の真の狙いは、これから降りる任意保険だったからだ)

あの時の生活状況を思い出し総じて申すならば・・・住んでいた場所はサバンナに裸一貫で放り投げられた様な危険極まりない状況であり『大金を持った判断能力の無い、どうにでもなる知的障害者身体障害者が詐欺師達に囲まれて居た』という危険極まりないない構図だった訳だ・・・。

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレス:natsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

 

症状固定と自賠責保険第②級①号が認定された。


f:id:takano0013:20160813181437j:image

千葉リハビリテーションの通院並びにリハビリ通いが一年間が経過し・・・診察日に主治医の脳外科の和田先生に何かと生活費が苦しい旨を切実に相談した『これから降りる筈であろう任意保険金を盾に加害者の保険会社に顧問弁護士の合間先生が生活費の前借り交渉をして下さり生活を凌いでおりますが、何か他に良い方策は御座いませんか?』と妻と一緒に診察室で和田先生に相談を持ち掛けたところ、即座に同病院のソーシャルワーカーの『森戸さん』を内線で呼び出し、森戸さんが診察室に入ってきて早速、和田先生と森戸さんのやり取りが始まり『生活保護費申請からの受給』する話が即座に持ち上がり、その場で我々夫婦は森戸さんに様々質疑応答をされた結果『今住んでいる妻の実家は分譲マンションの住宅ローンが残っていて妻の両親が、それを支払っておりまして、私も交通事故前は最初の娘が産まれるまでは毎月15万円を入れてあげて娘が産まれてから減額してもらいましたが、ずっと支払っており1億3000万円の借金を抱えて裁判所からの呼び出し通知や債権者達の取り立てから徹底的に逃げ回っている多重債務者なんですよね』と私は正直に語り返答をしたら・・・森戸さんは『同居されている高野さんの奥さんの御両親が住宅ローン持ちですと生活保護費の申請をされても審査が通らずに受給されないんですよね・・』

と示唆され、即座に私は『血も繋がっていない義父や義母であり、我々夫婦のローンでは無いんですけど・・・そんなもんなんですか?』と森戸さんにお尋ねしてみたが・・・回答は同じだった。

私が落胆仕掛けた瞬間に和田先生が仰った『高野さん・・・高次脳機能障害同名半盲たる病を患って以来・・・一年間が経ちましたので症状固定をして自賠責保険への手続きを致しましょう』と提言され近日中により綿密に診断書を作りたいので再度、診察室においで下さいと述べ上げて下さり、その日取りを和田先生から伝達された。

私は診察室を出た瞬間にとっさに思ったのが顧問弁護士の合間先生に電話を入れる事だった。

私は電話口で合間先生に『症状固定の話が精神科の先生からでは無く相談した脳外科の方の主治医から先程出ましたが合間先生は如何されますか?』と告げたところ先生は『当日は私も千葉リハビリテーションに赴き立ち会いますからね』と仰って下さった。

そして顧問弁護士が立ち会いのもと診断書の作成を着手され始めた完全に完成するまでどれだけの期間を置いたのか記憶が定かでは無いが・・・いずれにせよ再び診断書を頂きに千葉リハビリテーションに赴いた。

己自身の今の立ち位置や正確な能力が知りたかったので診断書をよくよく見て内容を拝見してみた・・・ある程度の覚悟はしていたが予想以上の診断書の内容には愕然とした。

サラリと症状のキーワードを挙げてみると『就労不能・不可能』『総合の知能指数が64』『高次脳機能障害により注意障害に集中力低下』『自殺企図有りで精神科に罹っているいる』『左同名半盲』たる惨憺たる有り様の中でも・・・私が一番の衝撃とショックを受けたのが『就労不能・不可能』だった・・・。

知能指数がリハビリなどによって少しは上昇したが(50→64)

千葉県では高次脳機能障害に特化しているプロの集団から考察されれば私の本当の能力は完璧に見抜かれていた訳だ。

私は様々な能力を喪失し著しく低下はしたが『仕事』は出来るものだと多少なりに自信は有ったが・・・それは脆くも崩れ落ちた瞬間でもあった・・・。

簡単に述べるとするならば、私:高野憲一は『36歳』にして仕事には就けなく成ってしまい働けなく成ったという現実に直面し・・・高次脳機能障害を全く理解しとくれない妻の『高野直子』たる爆弾を抱えながら・・・幼き可愛い娘達2人をどうやって養って行けば良いのかと・・・未来に漠然と悲観し絶望に暮れた・・・。

 

そして受け取った診断書の書類を提出する手続きなどは合間先生が全て行って頂き、どれぐらいの期間を置いたのか余り覚えていないが比較的早く『三井住友海上火災保険株式会社』から自賠責保険の後遺障害等級証明書が郵送されてきて早速、大きな封筒を開けてみて文書内容を見て改めて驚き・・・即座に合間先生に報告の電話を入れた。

自賠責保険ですが通知が来て僕は第②級①号で認定され口座に三千万円が振り込まれておりました』と報告をしたが流石の凄腕の合間先生も・・・やや驚いておられた御様子で近々、法律事務所にお越し下さいと先生に促された。

後に己自身で調べたり法律家や医学・医療関係者のあらゆる人々から聞いたのだが『自賠責保険第②級①号』(三千万円)というのは極めて凄まじい等級であり、例えば自賠責保険第①級の人とは『植物人間や完全寝たきり状態』(四千万円)であり私が認定された第②級①号とは『両腕を喪失してしまった人や両足を喪失しまった人など車椅子状態はザラで植物人間一歩手前の人などを指す』という極めて重い後遺症を患ってしまった人間だという事を知った・・・。

自賠責保険の後遺障害等級証明書の全文を記載致そう。

 

【結論】

自賠法施行令別表第一第②級①号に該当するものと判断します。

【理由】

別表第一の後遺障害について。

集中力低下、注意障害、自殺企図等の症状については、提出の頭部画像上、急性硬膜下血腫や脳挫傷が認められ、その後、脳萎縮の進行が認められる等から、本件事故に伴う高次脳機能障害と捉えられます。

障害の程度については、提出の『神経系統の障害に関する医学的意見』(千葉リハビリテーションセンターリハビリ科/22年11月22日記入)上、運動機能について『正常』、身の回り動作能力について『排尿・排尿動作、非便・非便動作:ときどき介助・見守り・声かけ』屋外歩行『遠くへ行けない』、認知・情緒・行動障害について『以前に覚えていたことを思い出せない。疲れやすく、すぐ居眠りする。発想が幼児的、自己中心的。複数の作業を同時に行えない。幻覚や妄想がある。』等が『重度/頻回』と所見され、その社会生活・日常生活に与える影響について、『重度の高次脳機能障害を認める。回復の見込みはない。自殺企図あり、精神科受診中である。』と所見され、全般的活動および適応状況について、『社会適応は現時点ではまったく出来ない。』と所見されています。

これらの所見に、『日常生活状況報告』の記載内容も勘案すれば『生命維持に必要な身辺動作に、家族からの声掛けや監視を欠かすことができないもの』と捉えられ、『神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し随時介護を要するもの』別表第一2級1号に該当するものと判断します。

別表第二の後遺障害について、視野障害については、提出の後遺障害診断書(千葉リハビリテーションセンター発行/22年9月24日付)および視野表において半盲症が認められることから『両眼に半盲症を残すもの』として別表第二第9級3号に該当するものと判断します。

なお、視力障害については、前記後遺障害診断上、その矯正視力が0.6以下になったものと捉えられないことから、認定基準上、自賠責保険における後遺障害には該当しないものと判断します。

右前額部の陥没については、面接調査の結果、人目につく10円銅貨大以上の組織陥没と捉えられることから『男子の外貌に著しい醜状を残すもの』として別表第二12級14号に該当するものと判断します。

前記および障害を併合した結果、別表第二併合第8級と判断します。

前記により、本件は別表第一と別表第二に該当する後遺障害がそれぞれ認められますが、これらの障害については、損害額の算定において被害者に有利な取り扱いとなる別表第一第2級1号を認定することが妥当であるものと判断します。

以上。

 

 追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレスはnatsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

精神障害者手帳と身体障害者手帳の交付とグループ訓練の変化。

f:id:takano0013:20160812181555j:image

私は『高次脳機能障害』に『同名半盲』と診断を下された以上『障害者手帳』を交付してもらう事を思い付き、成田市役所の障害者福祉課に相談したところ、かかりつけの医師達の診断書が必要ですと告げられたので早速、千葉リハビリテーションの脳外科の主治医や精神科の主治医や眼科のそれぞれの医師達に相談し診断書を丁寧に書いて頂いた。

それを持参し改めて診断書を提出し、どれぐらいの期間が経ったのか記憶には無いが暫くしたら成田市役所の障害者福祉課から、ある日電話が掛かってきたので妻に車に乗せてもらい障害者福祉課へと複雑な心胸ながら赴いた。

結果から述べると『精神障害者手帳の等級が③級』に『身体障害者手帳が⑤級』であった(後に精神障害者手帳は②級に成るのはまたの話)

その時、私が思ったのは『同名半盲』が身体障害者扱いの⑤級なのは理解出来たが、何故に高次脳機能障害精神障害者手帳に該当するのか疑問に感じたので、障害者福祉課の職員に質疑応答をしたら『脳の病は精神に該当するんですよね』と告げられ・・・私は氷解した。

即ち鬱病など様々な精神障害の病が多数、存在するが・・・このオブラートに包んだ『心の病』と述べる呼称は実は正しい言い方では無く全てが『脳が原因の病気』だという事を悟った。

私は、それら障害者手帳を所持し次回の千葉リハビリテーションのグループ訓練の時に持って行き、日頃御世話に成っている心理発達課の副部長の大塚先生や長谷川課長やスタッフに私が交付された、それぞれの障害者手帳を見せ報告を致した。

この辺りからグループ訓練の2時間内で行なわる3回の時間を計測され実施するテストで異変が起こり始めた。

今までテストでは同じクラスの高次脳機能障害者の中で後ろから数えて2番目かビリが私の定位置だった私が・・・何かが弾けた様に常にトップを取る様に変化が起こった。

根本的な理由は何だか分からないが・・・

日頃、地道に行ってきた『脳に良い事なら何でも挑戦』してきた努力の結果が実ったのかも知れませぬ。

ガラケーでも出来る日本中のユーザー達と即座に対局出来るインターネット麻雀のジャンナビの徹底的な鬼打ち(即ち勝ち負けを争う常に計算を強いられる頭脳ゲーム)

クロスワードの徹底(極めて語彙が狭く成ったので言葉や物を思い出させる脳トレ)

③『花札』をやるのが脳に良いと聞いたので長女の幼稚園生の『なつき』に役を覚えさせ相手に成って付き合ってもらい、年がら年中2人で花札を興じていた(花札の図柄や色など含む組み合わせが脳トレに成るらしい)

④小学生低学年レベルの『漢字ドリル』や『計算ドリル』の徹底。

⑤一年間続けた『毎日の日記』(一日の出来事を振り返り記憶を呼び起こす)

⑥トランプゲームでも神経衰弱が非常に良い(これも相手は、なつき)

⑦花屋や、お花畑などで花を見るのが脳に良いと聞いたので毎日、決まった公園に行き様々な花や草木を見に1周回って来た散歩も日課にしていた。

高次脳機能障害者は何も出来なく成ってしまい『自宅に引きこもりがち』に成るのだが、私は勇気を持って外出に打って出て成田駅から電車に乗って都内に行き積極的に友人達と交流を重ねた(人との交流は脳に刺激を受けるので非常に良い)

当時の私は電車の中で何度も失禁をし恥ずかしい思いをしたが今は無くなった事も付け加えておこう。

 

とまぁ・・・この厄介で不可思議な病の『高次脳機能障害』と『同名半盲』と真正面から向き合い少しでも改善するなら私は何でも挑んだ。

グループ訓練の心理発達課の副部長の大塚先生が我々・・・高次脳機能障害者に絶えず仰っておられた『高次脳機能障害とは、これ以上、悪化する病では無く寧ろ改善の余地が見込まれる病ですので、いつか覚醒する時が必ずやって参りますからね』と伝説的な台詞には私『高野憲一』は一生・・・忘れられない今でも『言葉のバイブル』としております。

 

この間、日赤病院に入院し3ヶ月間の退院直後に欠落していた重要な話が一つ有るのだが『成田警察署』に電話で呼び出され、私が交通事故に遭った時の『調書』を取りに行った。 

 成田警察署に行くと既に刑事が座っており突っ立っている警察官達が居て調書の作成が始まった。

机の上に沢山の写真を並べられ、それを見て私が違和感を感じたのが・・・肝心要の私の事を跳ねた男性の加害者の顔には『ボカシ』が入っていたが、ひとまず沢山の写真を見せられ徹底的に説明をして下さった。

その殆どの写真が加害者の男性が乗車し運転をしていた交通事故直後の写真だらけであり、私の頭が直撃したフロントガラスの拡大図だったりと事細かく撮影されていた。

ここで刑事が私に対して様々な質疑応答をしてきたのだが、例えば『高野さん・・・車のフロントガラスに正面衝突をし頭や身体が直撃した場合、時速何キロぐらいで死亡されてしまうと思われますか?』と質疑をされたので私は『時速90キロから100キロぐらいで正面衝突をしないと死なないんではないですか?』と返答したら刑事は説明をして下さり始め『実はフロントガラスとは時速60キロ以上で正面衝突を喫するとフロントガラスは衝撃に耐えられずにフロントガラスをぶち破って死亡してしまうケースばかりなんですが、高野さんの場合は時速50キロ台だったのでフロントガラスをギリギリぶち抜けなかったんですよ』と述べ上げ、そのフロントガラスの写真を見せられて拝見したら『フロントガラスの全面・・・全て蜘蛛の巣を張っている状態で正にぶち破る寸前だった』

更に刑事が述べるには『フロントガラスを囲っている車体の金属に頭が直撃していたら時速関係無く即死だったのですが・・・ところが高野さんの場合、僅か3センチだけズレていたから即死は免れたんですよ・・・。』と説明をされ更には『我々は様々な交通事故を長年、現場検証をし事例も見て参りましたが、この様な奇跡の積み重ねは先ず稀でありまして、我々は高野さんが意識不明の重体で日赤病院に運ばれ死亡は既に確定したと思っておりましたが、その夜中に意識が回復されたと日赤病院から報告され、それを聞いて我々は非常に驚いたんですよ』と見解を示し私は返す刀で、こう尋ねてみた『仮にもあの日に長女のなつきをいつも通り自転車の後ろに乗せて坂道を登っていたら長女は一体どうなっておりましたか?』と、お窺いしたら『まだ幼稚園生の幼い長女さんは後頭部を地面に直撃するかして亡くなっておられた可能性は極めて高いですね』と示唆し・・・私は即座にハッ!!と感じた!!

日頃『なつき』を自転車の後ろに乗せては走ってグングンと登ってきた坂道の筈が・・・あの日に限ってだけ成田駅からワザワザ自転車を押して帰るなんざ、たったの一度も皆無だったのに・・・この日だけ駅から自転車を押しながら『なつき』と徒歩で帰るなんて選択をしたのだ!?と改めて思い・・・既に・・・ここから『奇跡が起こり始まっていたのだな』と感じ・・・私も『なつき』も『神様によって生かされた』のだと心胆から思い、改めて私の敬神である香取神宮の祭神の経津主大神様と御先祖様に感謝をした・・もし仮にも『なつき』が坂道の縁石に乗りユラユラと遊びながら歩いて坂道を登っていなかったら、なつきは落命していた可能性も十分に有った筈だと私は心胆から知らしめたという奇跡の積み重ね(世の中、偶然は何一つ無く全ては必然たる概念を持っていた私だが改めて強く感じさせられた)

そして死線をさ迷った程の今次の交通事故で正面衝突を喫し私が跳ねられてしまった最大の原因を刑事に尋ねてみた。

刑事が申すには『こんなにも見通しの良く交通量も少ない道路で歩いている人の事を全く気付かないなんて先ず有り得なく脇見運転や前方不注意だとしか到底考えられませんねぇ』と見解を示した。

して調書作成は進み、交通事故以来・・・この同じ成田市民の男性加害者は被害者である私の住んでいる自宅まで来て私とキチンと対面を果たし『謝罪』をする事は一度たりとも無かった・・・。

『36歳』にして私の未来をコレからという時に全てを絶たれてしまい人生を滅茶苦茶にされたにも関わらずにだ・・・世の中理不尽なものである。

だが・・・私は調書作成の聞き取り調査で刑事にハッキリと正々堂々と刑事に向ってこう告げた・・・『20代前半の未来有る若者の会社員ですし・・・私は彼の未来を経つ訳には参りません!!恨み辛みは一切御座いませんので彼の罪を軽くし身柄が拘束されているならば一刻も早く釈放してあげて下さいませ』と述べたところ調書を作成している、この刑事や突っ立っていた警察官などは驚いてしまい『えっ!?高野さん!!本当にそれで良いのですか!?』と大層・・・驚いた様子で同じ事を何度も聞かれ確認された。

この調書を作成された刑事から一週間後や10日後に2回も電話が掛かってき『高野さん只今、加害者と目の前で取り調べをしているのですが、あの・・・高野さんが仰っておられた通りで本当に良いのですか?』と何度も確認されたが、私は電話口で『彼の事を恨んでも私の病は治る訳では御座いません、武士に二言は無いです!!』と加害者の男性に『武士の情け』を私は改めて掛けた。

後から様々な人に聞くと交通事故などで車椅子状態に成ってしまった人や重い後遺症を背負ってしまった被害者は警察署での調書作成時には加害者に対して激怒されているケースばかりだそうだ(即ち厳重に罰して下さいと述べるらしい)

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレスはnatsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

 

高次脳機能障害・同名半盲の私の自宅療養。

 

既に挙げている過去の記事の中の文面で『妻や妻の両親並びに義弟』達、即ち『小倉家』は交通事故により私の患ってしまった病である『高次脳機能障害』と『同名半盲』を全く理解してくれなかったと、それとなく触れたが私の様に悲劇な第二・第三の人間を生み出さない為に『高次脳機能障害者の人権と尊厳を守る為』に事実引き起こった全貌の真実を如実に語ってゆこうと思う。

千葉リハビリテーションにて『高次脳機能障害』と『同名半盲』と診断を下された私は先ずは、この聞いた事も無い高次脳機能障害たる病を知らなくては成らないと『中度知的障害者』ながら本能的に感じ、読書好きで昔から出入りしていた成田図書館に妻と一緒に成田図書館に出向き『高次脳機能障害の本』を妻に検索をさせたら流石は千葉県では有名な図書館で在って出るは出るは沢山ヒットし、それらコーナーに行き片っ端から取り出し成田図書館からドーーンと『高次脳機能障害』の本を借りて自宅に帰った。

で、私は毎日朝昼晩・・・これら本を読みふけった。

それによると高次脳機能障害とは主に交通事故などにより脳への強い外傷を与えられてしまい引き起こってしまう『脳の病』であり我が国日本では『非常に判りにくい障害』や『障害の谷間』と謳われており、更には『認知症』に酷似されているとも言われる。そうとも知らずにマトモに支援などを受けられていない人々や親族や友人にも見離されたり理解されなくて苦しんで居られるケースも多く『言葉・思考・記憶・行為・学習・注意』などの損失状態を高次脳機能障害と呼ばれる。

高次脳機能障害の基本的な症状を挙げてゆこう。記憶障害・注意障害・遂行機能障害・感情のコントロールが上手く取れない障害だったり・などと簡単に挙げてみても発症前の過去の記憶や経験や体験や多岐に渡って蓄積して学んできた事や情報を思い出せなかったり、友人や知人に血族の顔を完全に忘れていたり、逆に新しい記憶や経験や体験や情報を保ってられなかったりするので『人の名前や顔』などを簡単に直ぐに忘れてしまう厄介な病でもある。

★今日の日付や日時に曜日に西暦などを簡単に忘れてしまったりし時間の概念なども殆ど無いか全く無い。

 

★人に説明されたり教えて貰った事を即座に忘れてしまうので何度も同じ事を繰り返し尋ねてしまう。

 

★感情のコントロールを取る事が難しく成り人格が変わった様に、やたらと短気に成ったり、その場にそぐわない発言をしてしまい『対人関係』が、たちまち悪化してしまい口喧嘩が絶えなく成り人間関係の破綻や人とのコミニュケーションを上手に取れなく成る(直ぐに泣くや極端に笑い上戸に成る等それは多種多様である)

 

★東西南北の概念が無くなり極端な方向音痴に成ってしまい認知症の御老人が、よく道に迷う様に高次脳機能障害者も来た道・行った道が直ぐ分からなく成ってしまい簡単に迷子に成る。

それは大きなスーパーや病院など建物に入っても同様であり一旦、建物の中に入って歩き始めると、たちまち出入り口が分からなく成ってしまう。

コレは高次脳機能障害者に顕著に見られる『地誌的障害』と言い、日頃歩いてき熟知し知っていた筈で有ろう自宅の近所でも簡単に迷ってしまい、なかなか帰宅が出来ず困難に陥ってしまう。地誌的障害が酷い方だと家の中でも迷ったり便所などを通り過ごしてしまう。

例えば私なんざスーパーにいつもの車種の車に妻に乗せてもらいスーパーの駐車場に停車をし車から降りて、これもリハビリだと思い一人で買い物の品を選んでいると、たちまちスーパー出入り口が分からい状況に陥ってしまい、その場合・・・他人様に『出入り口はどこですか?』と尋ねるのは最早ザラな話であり、散々に渡って乗って記憶として普通に覚えていた筈の車種の車の筈が一旦大きな駐車場に成ると乗って来た車を見つけるのが毎回・・・困難状態に陥ってしまい駐車場をウロウロウロウロして車を探していると妻がドアを開けて、そこから手を振りながら声を出して知らせてくたり、或いは出入り口で妻が待っていてくれる場合も有るのだが、高次脳機能障害者は沢山並んで停めてある車の中で果たしてどれが己が乗ってきた車なのかを即座に見つけ出すのは非常に困難でした。

 ★今、自分の置かれている周囲の状況を正確に判断出来なくなり、よく考えずに・・・その場の思い立ちだけで行動を起こしてしまい失敗やミスを及ぼしてしまう。

 

★気が散りやすく長時間一つの事に集中が出来なく成り、二つ以上の事をすると、途端に混乱してしまったりミスが多発する。

例えば周囲の音や雑音が気に成ってしまい一つの事に集中出来なく成ったりもする。

 

★患者さんにもよるが常にボケーっとぼんやりしていて人から何か

を伝えられたり言われても関心を持たない。

従って周囲からの刺激に対して何が一番重要なのかを脳が正常に判断をし、それに向って意識を集中をする事が出来なく成ってしまう。

 

★欲求が抑えられなくなり状況に適した行動が取れなく成るのでミスやトラブルが多発する。

 

★計画力が著しく低下してしまい一日の見通しやプランを立てられなくなり時間や行動を有効かつ効率良く物事を進める段取りや実行能力が著しく減退してしまうので結果的に誰かの指示待ちが多く成ってしまう。

 

★物品の呼称や見分けがつかなくなり、道具など使い方も分からなくなる。

例えば『ハサミや箸』といった日頃、簡単に使っていた筈の物などが上手に使えなく成ったりし、洋服の裏表や左右や前後など見分け方がつかなく成り簡単迅速に着れなく成ったりする。

特に機器類の使い方は困難を極める。

即ち『物の組み合わせ』も苦手に成るので以前は出来ていた筈の料理なども手順を踏んでリズミカルに作れなく成る。

 

★発症前には見られなかった『幼稚な言動や行動』が目立ち、年齢よりも幼く成り直ぐに人に頼りたがり『執着心』や『固執観念』が強く成ってしまう。

話が纏まらなく成り人に何を告げたいのか、その本質を上手に伝達出来なく成る。

 

★人の本質を的確に見抜く事が出来ないので非常に騙され易く、真偽や嘘も見抜けないので詐欺などにも遭い易い。

即ち『判断能力が無いか希薄に成る知的障害者

 

と私は沢山借りてきた高次脳機能障害の本を起きている間は読みふけりながら私『高野憲一』の身に突如として降り掛かった『事の重大さ』に気付き・・・幼い2人の娘達の未来を考えると暗澹たる絶望感を感じてしまった。

同時進行でガラケーから高次脳機能障害同名半盲たる病をググっては検索し『お気に入り』に入れては何度も何度も読み返しては知識を得た。

コレは只事では無いと思い・・・一番の理解者に成ってもらわないと困る妻に対して高次脳機能障害者と同名半盲の『傾向と対策』を念入りかつ徹底的に熟知してもらうしかないと本能的・直感的に感じたので、これら借りてきた沢山の高次脳機能障害の本を片っ端から読んでくれ。と願ったが妻は全く読んでくれなかった・・・。

何度・・・懇願しても余りにも読んでくれないので困った私は戦術を切り替えて妻『高野直子』にガラケーの『お気に入り』に入れていた高次脳機能障害同名半盲のURLをメールに貼り付けては送信を繰り返したが・・・それすら全く見てくれなかった(これが悲劇の始まりだった)

即ち『高次脳機能障害者・同名半盲』の傾向と対策を全く練れない事に繋がり、私の病には一切見向き合わずに理解を得てくれなかった。

千葉リハビリテーションでのリハビリであるグループ訓練が終わり、その高次脳機能障害者達を病院の1階で待っている御家族の方々と私は毎回対話を繰り返し高次脳機能障害に関しての情報交換や生活状況などを話し合うのが当たり前の最中・・・肝心の私の妻『高野直子』とは著しく温度差が有り、皆様方御家族の方々は高次脳機能障害に対して非常に熱心で有り理解者で有り、どこまでも家族愛に満ち溢れており家族一心同体・一蓮托生と成って、この不可解で難題なる病の高次脳機能障害たる病に立ち向かう姿が有り、そこには『無償の愛』が注がれていた。

同じグループ訓練を受けている男性の方が偶然にも私と同じ成田市民であり、しかも比較的近所である事を私は知り『Gさん』の奥様と御一緒にグループ訓練に成田から千葉市緑区誉田の千葉リハビリテーションまで電車とバスの乗り換えを遠方から来ているのを気の毒に思い、クラスも一緒なので私が妻に向って『毎週、Gさん夫妻のマンションまで車で迎えに行き御夫婦を拾って千葉リハビリテーションに行こう』と提案をし新たなるパターンが始まった(即ち人助け)

たまにGさんの奥方が我々に気を使って『手作りの弁当』をリハビリ後に提出して下さった。私はGさんの奥様に向って『私は義理人情に厚い都内っ子なので困っている方の人助け気なんか当たり前の事ですから気なんか使わないで構わないんですし何よりも我々は同志なんですよ・・・更には御近所ですし何ら遠慮なんざ御無用ですから雨の日には特に車で行くのは確実に楽ですよ』と奥様に宣言し我々は毎週Gさん御夫婦を迎えに住んで居られる分譲マンションに決まった時間に迎えに行くのは当たり前に成っていて、G御夫婦は我々に対して大変感謝をされておられた。

 私の自宅療養中の暮らしには『脳が一刻も早く脳を少しでも治させる自己治癒』をさせたいのか、私は早寝早起きが当たり前と成り、昼寝をする事も日課に成った、元来寝ているのが嫌い・苦手だった私には不思議に思っていたのだが、今度は大便からの便通に悩まされてしまい、その悩みを同病院に相談したら薬を処方して頂き、それは薬によって一挙に解消された、暫く自宅療養をしていた私の日課は毎朝夕の『はくと幼稚園』まで長女の『なつき』の送り迎えが私の高次脳機能障害者の役割を妻から指示されていたので毎日行った。

或いは暇が空けば電動自転車で『地誌的障害』を少しでも治したいが為に目的地などを決めて近所を徒歩や電動自転車でサイクリングもリハビリの為に日課として挑んでいた。

病を克服したい為に脳に良い事なら何でも行った、例えば著しく語彙が狭く成ってしまった私は『クロスワード』を買ってきては言葉など数々の記憶を少しでも思い出せる為にクロスワード日課としていたし大学ノートを沢山買ってきては『一言日記』と表紙に銘打って、毎日欠かさずに日記をきっかり一年間間書き続けた。

何月何日と書いて最初は本日起こった事や己の苦悩と葛藤だったり、今日感じた事や行った事を毎晩就寝前に書き記した。

不思議なモノで最初は二行ぐらいしか書かなかった文章が、日増しに文章が増えて行き一ページを全て文章を書き記したり、一気に二ページを書くまでに至った(未だに、この時の日記は全て自宅に保存してある)

この毎日の日記は『一日を振り返って思い出す』ので脳に良いのを私は本で学んで実行致した。

何年後かにテレビにて毎日日記を書く事や認知症の方に良いと放送された時『己が朝起きてから一日の記憶を呼び起こして振り返り就寝前までに毎日日記を書く行為は脳に良い』と放送され、そこで私の行いは改めて『正しかったのだ』と認識をした。

即ち高次脳機能障害も記憶を保っているのが困難な病なので認知症と酷似している『脳の病』に帰結するという私なりの見解な訳だ。

当初、自宅療養中は極めて早寝早起きであり昼寝には全く持って無縁だった私は昼寝も多発し疲れ易く寝てばかり居た、これも体の治癒本能からなのだろう。

即ち脳に強い外傷を与えられてしまい『脳を少しでも修復』しようと睡眠へと誘う体の不思議なメカニズムだと私は当時を振り返るとそう思える。

だが!!この寝て起きては高次脳機能障害の本を読み漁る生活リズムも長くは続かなかった・・今度は逆に『全く眠れなく成ってしまった』一晩中、起きているのはザラに成ってしまい2日間起きっぱなしも普通に成り眠れない辛さというものを嫌と言う程・・・感じ典型的な『睡眠障害』に陥ってしまった。

これには・・・私も相当参った・・・次の脳外科の主治医の診察日まで、ひたすら我慢し耐え抜いた(占めて1ヶ月間)

して・・・待ちに待った千葉リハビリテーションの診察日に脳外科の主治医に対して『和田先生!!体のメカニズムが変わったのか分かりませんが全く眠れなく成ってしまいどうにも成りません!!』と切実に訴え掛けたところ早速、同病院の精神科の大島先生を紹介して下さり事情を説明したところ『睡眠薬』を処方して下さった(この・・・大島先生は素晴らしき名医であり、どこまでも理解者の先生だった)

して毎晩『睡眠薬』を飲む生活が始まり辛い睡眠障害から脱却はしたのだが・・・これも長続きはしなく段々段々、効かなく成ってしまい徐々に一種類ずつ・・・1錠ずつ・・・診察日の度に増えてゆき最終的に四種類の睡眠薬と4錠にて確固たる睡眠が約束され落ち着いた。

これと同時に己自身の毎日の暮らしの中で相変わらず妻も高次脳機能障害に全く見向いてくれない事も相まって、己の何をやっても失策と失敗との繰り返しにより『俺は何たる低い能力なのだ・・・』と自我に目覚め・・・自分にホトホト嫌気が指し暗澹たる未来への絶望感を粛々と感じ始め『本来の俺では無い!!命を断とう!!』と死生観がガラリと変わり始め、妻が留守の時を見計らっては自転車に乗り『自殺場所』を成田市内で探し始めた。

 そして千葉リハビリテーションのグループ訓練中に、私はそれを皆様の前で赤裸々に打ち明けた・・・。

その危険性を察した大塚先生や長谷川先生がリハビリ後に早速、1階でリハビリを待っていた妻を呼び出して、私と妻をそれぞれ別々に分けて個室での面談を促され、それぞれ綿密に質疑応答をされ対話をした結果、既に睡眠薬を処方して下さっている精神科の大島先生に診察をしてもらうに導かれ診てもらった結果『精神安定剤』を処方される事と成った。

既に脳外科から『てんかん剤』をずっと処方され『睡眠薬』に新たに『精神安定剤』が加わった訳だ。

この頃の私は今より症状が格段に悪く『物探しが非常に苦手』ひとたび出歩けば『直ぐに道に迷う』『持ち物など置き忘れや落とし物が多発』得意だった筈の暗算や漢字が『二桁以上の計算には苦手』に成り『蓄積してきたあらゆる漢字など読み書きを失念か朧気』し改めて学習しても頭に入らない状態であり、不測な事態が起こってしまうと対処出来る能力に著しく欠落し迅速なる最善手が取れなかった(どれが一番効率が良いのかを判断出来なかった)

話は日赤病院の退院直後に戻るが、私が真っ先に妻に頼んだのは『香取神宮への私の事を生かして頂いた御礼の参拝』だった。

神々しい臨死体験をした時に以前から参拝してきた香取神宮の祭神『経津主大神』(ふつぬしのおおかみ)が『緑の龍』と成って私の事を助けに来てくれたからだ。

実は香取神宮は緑の龍の目撃情報が昔から多数有り緑の龍が鎮座されているとは交通事故前から聞いては居たが、まさか・・・私の前に現れるとは『奇跡の生還』を果たした時は非常に驚いたものである(龍は神の化身)

龍繋がりで直感的に、これは・・・何か有るのではないか?と感じ私は自宅の成田市界隈で龍にまつわる事を検索してググってみたら、やはり出て来ました『龍角寺』『龍腹寺』『龍尾寺』私は生かされたこの命に御礼の感謝の参拝をせねば成らない気持ちに駆られ、妻に頼んで車に乗せて連れてってくれと頼み全てのお寺に参拝を致しました。

香取神宮とは我が国日本では武神として名が知れ渡っておりますが鹿島神宮の祭神とは兄弟であり、皇紀2676年前に初代天皇の『神武天皇』が伊勢神宮香取神宮鹿島神宮を日本で三ヶ所だけに建立して下さった凄まじい歴史の在る神宮です。

香取神宮の参道を入って直ぐ右側に『夢屋』という龍に関する物だらけのパワーストーンなどを販売している店の親父さんが数々の龍や神様を撮影した写真は激必見です(何か買うと、好きな写真を頂けますよ)

親父さんの娘さんが買う人に見合ったパワーストーンで作って下さるブレスレットは激お薦めです。

そして・・・この娘さんが喋って下さる様々な不思議体験は滅茶苦茶面白いので、お気軽に話し掛けてみて下さいませ。

 

私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレスはnatsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

 

グループ訓練たる『脳のリハビリ』と自宅療養の始まり。

前記事で書き記した様に千葉リハビリテーションでの週一の『脳のリハビリ』が始まった。

私は脳のリハビリとは・・・個室でマンツーマン指導でやるものだとてっきり思っていたのだが・・・前記事で名を挙げた『大塚さん』(心理発達科の副部長)と我々夫婦と話してみると高野憲一さんは『グループ訓練』に毎週月曜日に参加されて下さいたる御指示を受けた。

私も初めは、この聞いた事も無い『グループ訓練』とは一体何だろう?と思ったのだが、学校のクラスでの先生・教師と生徒さん達の事をイメージして欲しい。

一般的な学校の様に沢山の生徒が居る訳では無く、それは極めて小規模なクラスで有り、私を入れて大体6人ぐらいの高次脳機能障害者と先生(司会者)が居て、それに加えて我々、高次脳機能障害者の事を後からサポートして下さる1人や2人職員が常に居る構図だ。

グループ訓練をするに当たって用意する様に指示された教材とは極めて詳細な事を書き記せる事が可能な『スケジュール帳』と『黒や赤のボールペン』に『鉛筆と消しゴム』のみであった。

このリハビリを受ける小さな教室に入り座ると『今日の課題』と書き記された紙が1枚か2枚必ずテーブルに置かれていた。

それに向って先生(司会者)が進行をするスタイルであり、我々『高次脳機能障害者達』がそれに沿って指導をされる訳だ(学校のクラスの授業風景をイメージして欲しい)

基本は誰か喋る事を聞き、それをその場で紙やスケジュール帳に常に書き記してメモ書きを繰り返すのだが、その書き記した事を後から先生から細かく質疑応答をされたり、それをこのクラスの生徒さん(高次脳機能障害者)の前で喋る事が授業風景だった。

例えばだが『皆さん、千葉リハビリテーションまで来る交通手段を事細かく書き記して下さい』と先生が仰れば、それに沿って我々は思考錯誤しながら書き記し、それを生徒さん達の前で述べ上げ今度は逆に生徒さんが述べたらそれを予め配られた紙やスケジュール帳に書き記す様に指示され、先生が『○○さんはどうやって千葉リハビリテーションまで来られているか仰ってくれますか?』と、それぞれの生徒さんに質問をされ、それを生徒さんの前で述べ上げたりし答えをすり合わせて限り無く正確な答えに向って生徒さんが頭脳を使ったり致す。

先生が我々生徒さんに向って『高次脳機能障害に成ってしまった最大の原因は何ですか?』たるケースも有り、それを書き記し生徒さん達に向って述べ上げ、逆に生徒さんがひとたび述べれば我々生徒達が書き記す事を致す。

高次脳機能障害は記憶を保っている事が非常に難しい病なので『一にも二にもメモ書きが基本』なのを先生は導いて下さったのだろう。

この一時間半の『グループ訓練』の授業風景を総括すると極めて民主主義であり、高次脳機能障害者の尊厳を守って下さり、先生(司会者)や困った時にサポートをして下さる常に後ろで立っておられた職員さんは非常に親身で親切でした。

 このリハビリ中には先生や職員さんが時間を計測されるテストが必ずや2回~3回は行われていた。

生徒さん達にプリントが配られ、そこには私が『高次脳機能障害』と診断されるまでに千葉リハビリテーションで徹底的に受けた心理テストと酷似していた。

なるべく速く・正確・さが問われるのが基本であり、出来たら手を挙げるスタイル。

生徒さんが手を挙げた瞬間に先生や職員さんがストップウォッチを押し、全ての生徒さんの手が挙げ終わった後に先生が『高野さんは5分30秒でした』と、それぞれの生徒さんの名を挙げて精密な時間を述べて下さるのをテスト用紙に、その自分の時間を書き記し職員さんが回収する事を繰り返すテスト。

この時の私の結果は6人の生徒さんが居た場合、常に5番目でありヘタすればラストの6番目だったりと・・・同じ高次脳機能障害者の生徒さんのクラスの中でも私が一番『知能指数が低かったのであろう』

そして一時間半のリハビリが終わる頃にプリントされた『宿題』が必ず配られ(枚数はマチマチ)持ち帰った宿題は自宅で次の週のグループ訓練の時に提出をする事を毎週繰り返す。

このグループ訓練にはクラス替えでは無いが生徒さんが入れ替わったり新しい生徒さんが来たりするので、私は沢山の高次脳機能障害者の患者さん達をこの目で見てきた。

高校生で部活の帰りに車に跳ねられて高次脳機能障害者に成ってしまい周囲の人々から理解を得られなく・・・学校生活を普通に送る事が出来なく成ってしまった気の毒な若者や大学生の学生さんだったり・・・彼女と結婚する前提に付き合っていた20代前半の若者が高次脳機能障害者に喫してしまい結婚する事が破綻しまった20代の若者や『麻痺』が残ってしまい身体を自由自在に動かせない若い女性に男性や『てんかん持ち』に成ってしまい何度も倒れたりする方だったりと・・・それこそ多種多様過ぎた。

私は車椅子を使う身体障害者でも無く麻痺も残らなかったのが不幸中の幸いだったのだが・・・その代わりに身体的な障害では治す・治る事が今の医学では不可能な『同名半盲』(視野の半分の欠損)たる不治の病ですが健常者の方は、この機会に左目を瞑ってみて欲しい、それが、この『同名半盲』を簡単に体験出来るからだ。

実生活を暮らしてゆく中で左側がみえないだけで、たちまち外出が怖く成り常に頭を左側に向けてなくては成らない生活を強いられてしまう訳だ。

今では初めて会う人などに『高野さん』『憲一さん』は『いつも頭を左側に向けておりますけど癖なんですか?』と言われるのは最早・・・慣れっ子に成ってしまった。

私は『人間の防衛本能』の素晴らしさをよくよく知り得た、即ち『左側の視野の欠損』を補おうとし常に頭を左側に向けていなくては成らない事を体が無意識の内に反応してくれているのた。

同名半盲だと私の場合、左側から人や車が真正面まで来ないと気付かない危険な『視神経の病』であり、特に外出は常に周囲への要警戒を強いられる。

3ヶ月間の日赤病院への入院生活を余儀なくされ退院し千葉リハビリテーションに転院し『高次脳機能障害』と『同名半盲』と正式に診断を下され自宅療養に入りながら千葉リハビリテーションの脳外科の診察を受けながら同時進行で妻が運転する車に乗っかり千葉リハビリテーションに通った私は未だに治らない身体的後遺症の同名半盲以外に、もう一つ挙げられるのだが、それは・・・『常に頭がボケーっとしている』極めて不快感な後遺症であり、これを分かり易く述べるとするならば『酒を呑んでよくあるホロ酔い感覚』や『38℃を発熱している感覚』であり、交通事故により死線をさ迷い奇跡の生還を果たした『7年前』より一向に治らない。

特に季節が暖かくなる『5月~9月』が一番辛く・・・自宅療養に入った時は私は即座にオデコに巻ける『アイスノン』を三個に枕の方も、それぞれ三個ずつ購入し年がら年中オデコにアイスノンを巻き、昼寝を含めて寝る時はアイスノンの枕を常に多用していた。

アイスノンにて頭を冷やす時だけは、この辛い不快感からは幾分かは解放され『少しはスッキリ感覚』を味わえる。

この『常に頭がボケーっとしている症状』は高次脳機能障害の本やインターネットで検索し徹底的に調べ上げたが『脳に強い外傷を受けた人』から連なる高次脳機能障害者には珍しく無い症状なのを知り、千葉リハビリテーションの脳外科の主治医の和田先生に『この極めて不快感な症状は自然治癒や薬を飲むにせよ治らないものなんですか?』と問いてみたが『これは治らないんですよ』と返答を得て以来、今は諦めているのですが・・・この不快感を完治出来る方法や手術も含めて治せる方策が御座いましたら、どなたか教えて下さいませ。

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレスはnatsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

千葉リハビリテーションでの入院生活と徹底的な心理テストと『同名半盲』


f:id:takano0013:20160806183554j:image

千葉リハビリテーションに入院し毎日、心理テストを五月雨式・徹底的に受けた私『高野憲一』

種類が多種多様・・・有り過ぎて毎日違う内容のテストを受けるので記憶が欠落している部分も有るのだが、覚えている範囲内で書き記してゆこう。

 内容は様々で、とある日は日本人ならではの一般的な通念や知識の質疑応答の繰り返しだったり『今の内閣総理大臣の名前は御存知ですか?』や『燃えるゴミは何故に燃えるゴミの日に捨てるんですか?』や『今は平成何年ですか?西暦何年ですか?』や『今は春夏秋冬のどれだと思われますか?』や『今は何月だと思いますか?更には本日は何日ですか?』や『100からひたすら7を引いて引けなくなるまで引いてってお答え下さい』や『日本国の初代の総理大臣の名前は御存知ですか?』など質疑応答され、私は殆ど答えられないで終わる日も在れば、とある日は小学生でも容易なので在ろうパズルを出され嵌め込んでみて完成させて下さい。と告げられ全く出来なかったり、またとある日は積み木を出され紙に書かれてある絵図の形通りに組み合わせて下さいと告げられ極めて簡単な組み合わせなら完成出来たが・・・チト複雑に成ると完成出来なかったり、とある日は千葉リハビリテーションの内部を心理テストを行う方と一緒に練り歩き続けて、病院内の様々な場所を歩き終わった時に今度は『どこどこの場所に行きましょう案内をして下さい』と私に告げられ歩くこそするが目的地には全く行けずに『今度はここを案内してみて下さい』と繰り返し告げられたのだが私には、その殆どの案内をする事は不可能であり・・・総崩れ状態だった(この後、出してきた画用紙に高野さんの自宅内部を書いて下さいと告げられたが・・・これまた適当にしか書けなかった)

とある日は、パソコンの前に座り予め決められている数字や色や図形などが画面に出てきたらキーボードを押して下さいと告げられ、ひたすら指示通りにキーボードを押し続けたり、またとある日は『物語』を述べてこられ全ての物語の話を述べ終わった時に、その物語の登場人物は名前や物語の内容をどれだけ覚えているかを質疑されたり、また違う日は図形の違いを見極めるテストだったり、決められた平仮名に〇を付けて下さいや決められた同じ数字を見付けて下さいと様々な角度から毎日の様に多角的に徹底的に私の能力のレベルを調べ上げられ千葉リハビリテーションでの心理テストの結果は『知能指数64』『動作性56』『言語性77』だと和田先生により告げられ病名は『高次脳機能障害です』と正式に診断結果を下された。

この時の私の胸中では『高次脳機能障害?聞いた事も無い病だが、そのうち治るんだろ・・・』と自覚症状も全く無く完全に楽観視をしていた。

して千葉リハビリテーションでの入院生活の中で一番困ったのは『喫煙』だった、妻が御見舞に来る時だけ病院の外の林での喫煙所での喫煙が主治医から許可をされ、病室の入口のドアの出入りは看護師に逐一口頭で告げないと病室から出られく・・・私は看護師達に『外の空気が吸いたいから10分程度で戻って来ます』と理由を付けて林の喫煙所まで行こうと何度も試みたが看護師達は何だのこんだのと理由を述べて扉から一切出してくれなかった。

今でこそ病院敷地内全てが日赤病院では禁煙だが、少なくとも7年前の日赤病院はアバウトであり、病院の玄関を出れば敷地内に長いベンチが何本も在り、御丁寧に自動販売機も設置されており、煙草を吸いながら飲み物を買い空き缶を灰皿代わりにして他の患者さんと雑談するシチュエーションが当たり前の光景だったので、千葉リハビリテーションの入院生活での温度差には非常に参りました。

自宅から日赤病院には車で『13分程度』が千葉市緑区誉田までは車で1時間以上は掛かるので妻の御見舞が激減化したのも拍車を掛けた・・・。

煙草大好きな私は今思えば高次脳機能障害者ならではの打算的な考えだったのだが病院の便所で煙草を吸う事を決断した。だが何故だが、この便所には扉なんて無くカーテンの様な物であり、簡単に開け閉めを出来るシステムに成っていたのにはプライバシーを守れて無く一抹の不安が有ったのだが、ひとまずは第一回目の喫煙は成功したのもつかの間、次の日の朝にカーテンを閉めて、糞をしながら煙草を吸っていたら・・・突然2人の女性看護師達がカーテンを勝手に開けて特に一人が怒鳴りこんできたのできたので、私は瞬発的に看護師に向って『プライバシーの侵害ではないか!!まだ俺は糞をしている最中なのだぞ!!』と反論をし煙草を消した(この看護師達の素早い行動には便所には監視カメラが設置しているのか、常に見張られているのかどちらなのか全く該当する理由が見つからなかった記憶が未だに鮮明に記憶に残っている)

私が今思うに便所での糞尿行為はプライバシー問題であり必ずや守られなくては成らない空間だし、これが仮にも『監視カメラ』なんざを設置していたとしたら社会問題だと私は今でも思う。

して私が糞をしながら喫煙してた事を看護師達は早速、主治医の和田先生に報告をした模様で、その日のうちに主治医から呼び出されて和田先生により滅茶苦茶怒鳴られた。

ここで私は、この不自由でマトモにも自由な行動を取れない千葉リハビリテーションを『即座に退院し己の自由を守る事を絶対に貫き通す!!』という確固たる信念からの覚悟を決めて『中度知的障害者』ながら作戦を立案をした、それは妻を協力者にさせる事であった。して次に妻が御見舞に来た時に妻に向って『もう・・・入院生活にはウンザリなのだ!!俺が退院すのに何が何でも協力し助力をしてくれたまえ!!』と事前交渉をしたが妻はどこまでも否定的では有ったのだが・・・妻と千葉リハビリテーションの駐車場の車の中で2人で長時間話して己の心情の全てを露呈し、結局だが妻は渋々・・・主治医の元まで来させて・・・イザ!!主治医の和田先生の元に夫婦並んで私から正々堂々と和田先生に向って『本日を持って俺は退院を致す!!俺は何もかも束縛されるのは最早・・・真っ平御免なので、このまま退院をし荷物を持って絶対に自宅に俺は帰ります!!』と和田先生に強弁したところ、本日退院する交換条件として『月1の通院からの薬の処方と週一のグループ訓練という脳のリハビリにだけは通院を必ずして下さい』と条件を持ち出してきたので私は本日中に帰りたい一心で、その条件を仕方無く呑んだ(結果的に今思うと、この判断は良かったと思える)

早速『退院手続き』を早急に済ませ、荷物を纏めて車に乗り込んだ。

そして・・・いよいよ『高次脳機能障害』の私を囲んだ、妻の高野直子に長女のなつきに次女のあさに妻の両親である小倉義生・小倉和子と再び暮らす自宅療養が始まった(コレが後に小倉家ひいては妻の直子により私が果てしない地獄のドン底まで叩き落とされる多大なる大不幸な未来に繋がるとは、この時点では私には予想ただにつかなかった)

ここでブログの記事の主題に書き記した『同名半盲』の話に繋がるのだが、先ず正面に人と向き合っても左耳や左肩が全く見えない事に何度試しても『見えない物は見えない』と結論に辿りついた、自らの左腕を挙げても正面まで腕を曲げないと見えない事も気付き、よく左足からつまづく様に成ったり、左肩をぶつける様に成ったりする事が頻繁に多発し食卓に料理が並べていても左側の『おかず』が置いて在るのも逐一・・・首を左に向けるか両目を逐一ギョロりと動かして左側を見なければ何もかも見えなく成っていた。

歴史が好きな私は己自身を冷静に考察をしてみた(本能からなのだろう)正面から右側は見えるのに何故ゆえに真正面から90度左側だけが全く見えないのだと、先ずは徹底的にググって検索をしてみたが『半側空間無視』や『同名半盲』たる病名に辿り着き、千葉県では極めて質の高い成田図書館(二階は貸し出し禁止の文献が存在する)に出向いて高次脳機能障害関連の本や目の病の本を大量に借りてきて片っ端から読んだところ『これら・・・本は俺の事を見て書いたのではないのか?今の俺そのまんまではないか!?』と特に高次脳機能障害の本は今の私そのまんまだった・・・早速、妻には沢山借りてきた高次脳機能障害の本と目の病の本でも『これは大変な病だから先ずは高次脳機能障害の本を徹底的に読んでみてくれ』と指示をし、ついでに高次脳機能の事を詳しく図解し説明されているのをインターネットでググって検索をしてガラケーの『お気に入り』に一旦入れ、その高次脳機能障害関連をお気に入りから妻のメールにURLを貼り付けては何度も何度も送ったのだが・・・成田図書館から選んで借りてきた沢山の高次脳機能障害の本にせよ高次脳機能障害たる病をにお気に入りから抽出しメールにURLを貼り付けて妻の携帯電話に送った物にせよ『妻は本の一ページすら残念ながら全く読んでくれなかった。に加え比較的・・・読み易い筈で在ろうグーグルからのインターネットならではの『高次脳機能障害の入門編』に関連する記事すらも全く読まずに拝見すらもしてくれなかった(この妻は病を理解しようとしない杜撰さが後に大きな悲劇を生み出す原因と成る)

妻なんざに頼ってられないので、次の千葉リハビリテーションの診察日に主治医の和田先生に私は『和田先生!!俺は左側が暗闇に成っていて左側の物が全く見えないんですが、己なりに調べた結果では半側空間無視同名半盲ではないですか?』と問いてみたら和田先生は『半側空間無視では無く同名半盲の疑いが極めて高いので病院内の眼科で検査を致しましょう』と動きは迅速だった。

で日取りが決まり眼科の検査をしたのだが面白い検査内容だった、黒い箱の中を両目で覗き込み、真っ暗な中で大きさも様々だが、星の様な光が左から流れてきたり右から流れて来るのたが、流れて来る光が見えたら予め手に持っているボタンを押して下さいとの事で一先ずは検査を終え・・・視力検査に移行したが、右目『1・2』左目『1・0』と視力には何ら問題は無いが眼科の医師が述べるには『大事故たる目に遭い右脳が壊死してしまい目の視神経が切断されてしまいまして・・・これは紛れも無い同名半盲にて御座います』と告げられ私は返す刀で、いずれか・・・この視神経とは繋がるものですか?問いてみたところ、この眼科の医師は『今の医学では完治する事は不可能です。大変済みません』と頭を下げられた。

即ち『不治の病』を抱えてしまった事と成り併せて高次脳機能障害の本を熟読し常に検索したインターネットで高次脳機能障害の症状からの全貌全てを読んだ限り・・・私は『不治の病を二点も抱えてしまったのか・・・』と己自身に降り掛かった事の重大さを徐々に気付き始め未来への暗澹たる絶望を感じ始めた私『高野憲一』・・・。

今後・・・まだ幼い娘達の事を一体どうやって一人前まで育て上げるのか!?『なつき』が6歳に『あさ』が生まれたばかりだ・・・。

 

 追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレスはnatsuki-0402@ezweb.ne.jp