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貸した金は返金せよ!!④


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前回の記事では小倉義生が雇った『古梅弁護士』が佐倉裁判所へ提出した答弁書の全文を掲載したが、それと同時に『小倉義生』が佐倉裁判所に提出した『陳述書』の全文も記載致そう(悪意の有る遺棄では無かった事や100万円たる大金は私から借りておりませんよ。たる・・・いかにして正当化したいが為への全ては虚偽の文章内容は許しがたき!!よくもまぁ・・・いけしゃあしゃあと・・・三流小説を書き上げたものだ)

住所:千葉県成田市玉造7ー1ー1ー4棟101プロムナード

名前:小倉義生

 

第1:はじめに私は、平成26年(ワ)第463号資金返還等請求事件(以下『本件』といいます)

で被告とされた者です。

本件の原告である高野憲一さん(以下『高野氏』といいます)の元妻である小倉直子(以下、『直子』といいます)は、私の娘です。

高野氏が平成23年4月6日に私に渡した100万円は、生活費に充てるために貸して欲しいと言われて直子に貸し付けた43万3000円の借金の返済金40万円と、長い間私の家に住まわせて生活させてもらったことに対するお礼金60万円として渡されたものです。

私が高野氏から100万円を借り受けたということはありません。

また、平成23年7月2日に直子と高野氏は別居することになり、その日以来高野氏は私の家に戻ってきませんでしたが、当時、直子に対する暴言及び暴力(以下『DV』といいます。)から直子を保護するために、同日、高野氏の父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに高野氏を説得してもらった結果、高野氏は、直子との別居に応じて、高野義宗さんが用意したまんの一室に留まり、私の家に戻らなかったのです。

直子や私が追い出したということはありません。

上記2点について、それまでの経緯を踏まえて、以下詳述いたします。

 

第2:高野氏が平成23年4月6日に私に100万円を支払う経緯について。

1:身上等。

私は、昭和18年2月8日、父小倉茂と母小倉よし枝の三男として生まれました。

現在、72歳です。

昭和48年10月12日に、現在の妻和子と婚姻し、昭和50年3月31日には長女直子が生まれ、昭和52年12月15日には長男圭祐が生まれました。

2:生活費の貸付けについて。

結婚後数年間は高野氏と直子、なつきの3人で生活していましたが、高野氏が十分な生活費を渡してくれないので、年々生活は苦しくなっていくと直子から聞いていました。

平成18年5月26日頃、今まで使っていた冷蔵庫が壊れてしまったため、新しい冷蔵庫を買わなければならないが、その購入資金がないので冷蔵庫の購入代金10万円貸して欲しいと直子に言われ、10万円を直子に貸し付けました。

このときが、直子から生活費を貸して欲しいと言われた最初のときです。

その後も、直子は生活費が足りなくなるたびに私からお金を借り受けました。

私から足りない生活費を充てるためにお金を借りた日時及び金額は以下のとおりです。

平成18年5月26日に10万円・8月27日に5万8000円・11月22日に8万5000円・平成19年1月26日に6万円・2月27日に13万円・合計『43万3000円』

3:同居後の生活費の支払いについて。

平成19年2月の貸付の後、直子から、家賃を支払うことができないほど経済的に逼迫しているので同居させて欲しいと連絡を受けました。

私は、毎月いくばくかの生活費を支払うことを条件に同居することを了承しました。

その後、平成19年5月頃から、直子、なつき及び高野氏の3人が私の家で生活するようになりました。

直子は、同居後、約半年は定期的に生活費として月に何万円かを支払ってくれましたが、平成19年12月に1万円を支払ったのを最後に生活費は支払われていません。

長女なつきの幼稚園の費用等経済的な支出が増えたからだと聞いています。

4:高野氏が交通事故に遭ったことについて。

高野氏は、次女あさの誕生日である平成21年4月19日に交通事故に遭い大怪我を負いました。

とても大きな事故でしたので、事故に遭った高野氏のことを私も直子もとても心配していましたので、高野氏が集中治療室にいたときは、毎日お見舞いに行きました。

高野氏は平成27年7月頃に退院しました。

退院直後、高野氏が優しく穏やかになったと直子がうれしそうに話したことがありました。

このときの様子から、いろいろあったけど、高野氏と直子は仲が良いのだと思っていました。

直子から高野氏に殴られたという報告を受けた平成23年4月中旬まで、高野氏の直子に対するDVについては知りませんでした。

平成23年4月初め頃、高野氏に対し交通事故の損害賠償として3000万円が支払われたことを知りました。

当時、私は、平成14年頃まで経営していた小倉建設株式会社の事業資金として借り入れた約2300万円に、300万円の遅延損害金を加算した約2600万円の保証債務を千葉信用保証協会に対して追っていました。

しかし、同協会に対する債務については、私が所有する自宅とその敷地を物的担保として提供しており、返済を強く求められているわけではありませんでした。

また、小倉建設株式会社には、複数の取引先に対する約400万円の債務がありましたが、平成23年4月頃には、すでに5年の商事消滅時効が経過しており、債権者からの支払請求は受けていませんでした。

したがって、高野氏が3000万円の賠償金を得たことを知った当時、私は借金の取立てに追われていたわけではなく、また、金銭的に裕福というわけではありませんでしたが、経済的に逼迫していたというわけでもありませんでした。

平成23年4月6日、高野氏は、私の居間において、私、私の妻和子及び直子の目の前で、100万円を差し出し、生活費として借りた40万円と今まで世話になった礼金60万円です、受け取ってくださいと言いました。

このような高野氏の様子を見た私は、高野氏が事故をきっかけにして人間的に成長したと思い、非常に感慨深い思いになり、心から素直なや『ありがとう』と言って、高野氏から100万円を受け取りました。

このとき高野氏は、父親である高野義宗さんに世話代として100万円を払った。

高野氏の父親の弟である高野二郎さんにも世話代として100万円渡そうとしたが、受け取ってもらえなかったと話していました。

平成23年7月中頃、私は、直子から、高野氏が同年6月下旬頃から、頻繁に、60万円の返還を求める電子メールを送りつけてくるという話を聞きました。

直子の話を聞いた私は、平成23年4月6日に高野氏から受け取った100万円のうち60万円は高野氏が私に対する感謝の気持ちとして渡してくれた礼金であり、贈与を受けたものであるので返す義務のあるお金ではないと思いました。

しかし、この頃、後述のとおり、すでに高野氏の直子に対するDVのことを知っていましたので、60万円を返さないことで直子に対するDVがさらにエスカレートするかもしれないと考えて、返金することにしました。

私は、平成27年7月21日に30万円、翌22日に30万円を高野氏に送金し、高野氏から直子が返還を求められていた60万円全額を返還しました。

 

第3:平成27年7月2日に高野氏が私の家を出て行く経緯について。

1:高野氏の直子に対するDVを認識した経緯について。

平成23年4月中頃、私は、高野氏から殴られたと直子から打ち明けられました。

直子の話を聞き、私は、驚くとともに高野氏に強い憤りを感じ『娘になんてことをしたんだ!』と直接高野氏に言いました。

私に叱られた高野氏は、そのときは謝りましたが、本心から反省しているようには見えませんでした。

2:平成23年6月11日の話合いに至る経緯。

直子から高野氏によるDVのことを打ち明けられた数週間後、高野氏のDVが日に日にエスカレートしているので、一日も早く高野氏と別居したいという話をされました。

その後、直子が、高野氏の父親である高野義宗さんに電話連絡し、ひどくなるDVの現状を話した上で一日も早く別居したいと伝えたところ、高野義宗さんが話合いの機会を設けてくれることになったと聞かされました。

高野氏の父親である高野義宗さんとの話合いの場に高野氏が来ることになれば感情的になった高野氏が帰宅後に直子危害を加える可能性が高いと考えた私は、高野氏が友人等と旅行に行って不在になる平成23年6月11日、私たち3人が高野義宗さんのお宅に到着すると、高野義宗さん、高野氏の義母である田村恵美さん、弟の高野卓さん及び藤ノ木伸江さんが集まっていました。

この場で、直子は、今まで受け続けたDVのことをすべて話しました。

直子の話を聞き終わった高野義宗さんは、一日も早い別居のために高野氏を説得してくれると約束してくれました。

弟の高野卓さんも高野氏を説得してくれると約束してくれました。

その後、さらに話し合った結果、高野氏を説得するための話合いの日時を平成26年7月2日午後1時にすること、同日をもって高野氏が直子の実家を出て行き直子と別居すること、同日以降高野氏が生活する部屋については高野氏の父親である高野義宗さんが用意すること、平成26年7月2日の話合いはその部屋で行うことが決まりました。

3:平成26年7月2日の話合いに至る経緯。

高野氏の父親である高野義宗さんは、自身が勤めている会社が入っている会社が入っているビルの隣のマンションの一室を、高野氏が別居後生活する部屋として用意しました。

平成26年7月2日、私と妻和子、直子、なつきとあさの5人で上記マンションに車で向かいました。

妻和子、なつき及びあさを車に残して、私と直子が午後1時頃に部屋に行くと、既に、高野氏、高野氏の父親である高野義宗さん及び弟の高野卓さんが集まっていました。

高野氏、高野義宗さん及び弟の高野卓さんは午前中のうちに部屋に集まった上で、3人で話合いを行っており、高野氏は、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得して別居に応じると話していると聞きました。

しかし、私と直子が加わって話合いが進んでいくと、高野氏は、荷物の片付けがあるので一週間だけ私の家に滞在させて欲しいとダダをこね始めました。

当時、高野氏は振り込まれた賠償金を使って一家4人での引越しを計画しており、高野氏の荷物は既に梱包が済んでおり、荷物の片付けに一週間もかかるような状態ではないことを知っていました。

そこで、私は、荷物の片付けの必要があるというのは口実で、私の家に事実上居座ることが目的だと思い、高野氏の要求には応えられないと本人に伝えました。

その後もしばらく駄々をこねていましたが、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得もあり、最終的に、今日限りで私の家には戻らないこと、したがって、今日限りで直子とは別居することを承諾しました。

私の家にある高野氏の荷物は、高野氏の指示があり次第、そこに送ることになりました。

話合いが終わり、私と直子が帰ろうとマンション駐車場まで行くと、高野氏も付いてきました。

直子は、別居することになった場合、高野氏には、処方されている薬と数日分の着替えが必要になると思い、衣装ケースにそれらを入れて持ってきていました。

直子が、部屋からついてきた高野氏に対し『薬と着替え持ってきたよ。』と言って、車に詰まれた衣装ケースをしめしましたが、高野氏は一切受け取ろうとしませんでした。

マンション駐車場に下りてきた高野氏は、すぐに部屋に戻っていきました。

その後、私たちは、高野氏に見送られることもなく、私たちは家に帰りました。

離婚に至る経緯。

別居の翌日である平成23年7月3日、直子から、高野氏が『お前たちみな殺しにしてやる!!』と脅迫されたという話を聞きました。

私は、高野氏なら本当に私たちを殺そうとするかもしれないと恐怖を感じたので、翌日、妻和子及び直子とともに成田警察署へ相談に行きました。

事態を重く受け止めた警察官の方は、親身になって相談に乗ってくれました。

そして、緊急事態が発生したら電話するようにと、私、及び直子の携帯電話に110番登録をしてくれました。

さらに、早急に千葉地方裁判所佐倉支部に対し配偶者暴力に関する保護命令申立てを行うようにアドバイスをもらいました。

警察官のアドバイスに従い、直子は、平成23年7月21日に千葉地方裁判所佐倉支部に配偶者暴力に関する保護命令申立てを行いました。

申立ての後、同年8月2日に保護命令を出してもらいました。

早く離婚して欲しかったのですが、高野氏が離婚の話合いに応じず、協議離婚は成立しませんでした。

そこで、直子が離婚調停を申し立てようと準備していましたが、直子が申し立てるより早く高野氏が千葉地方裁判所佐倉支部に対し離婚調停を申し立てました。

その後、平成24年11月20日に離婚調停が成立したと聞きました。

高野氏は、当時9歳のなつきと当時3歳のあさが成人するまでの養育費として300万円を一時金として支払い、その後は一切養育費を支払わないという養育費の支払案を提示し、直子が承諾したと聞いています。

5:離婚成立後も、高野氏は、私の家に電話を掛けてきて、私や直子に対する罵詈雑言を浴びせてきました。

また、直子に電話連絡をしたり、直子にメールを送ったりして、私や直子に対する暴言を繰り返していると聞いています。

さらに、高野氏は、直子に送ったメールの中で、養育費として支払った300万円と私に借金の弁済として支払った40万円を返還するように直子に求めていると聞いています。

養育費300万円は調停という裁判所での手続きを経て高野氏も納得して支払ったお金です。

また、平成23年4月6日に高野氏から受け取った100万円のうち40万円は生活費として貸し付けた借金の弁済として支払わされたお金です。

340万円を高野氏に返すべき理由はないのに、なぜ、返せと執拗に返還を求めてくるのか理解できません。

以下のとおり、高野氏が平成23年4月6日に私に渡した100万円は、直子が生活費を充てるために借り入れた43万3000円の借金の返済金40万円と、実家に住まわせてもらったことに対するお礼金60万円です。

また、高野氏は平成23年7月2日から直子の実家に戻りませんでしたが、直子に対するDVを知った高野氏の父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに説得されて自発的に戻らなかったのであり、私が追い出したということはありません。

 

 


高野憲一の反論:当時、同棲時代に高野直子が実家から借りていた金の日付を克明に書き記してあるが、何とかして私が小倉義生から40万円を借りたという、いかにも有ったかも様に既成事実に持って行きたいが為に虚偽なる記載なのは誰もが理解出来る(こんなものどうにでも書ける)

冷蔵庫が壊れたから10万円を借りたなんざ平気で戯れ言を述べているが、世田谷区上馬の借家に住む時に新居祝いとして『小倉義生』より冷蔵庫をプレゼントされたのが真実(いつの間にか…冷蔵庫代金を借りた事に成っているという…小倉義生の安定した嘘)

この世田谷区上馬での仕事の新聞の拡張員は、この世界では私は名が通っており、17歳から月にコンスタントに平均『50万円』(最高80万円)は稼ぐぐらい腕には自信があったので初めこそは順調であったが…流石に…この世界では牙城と謳われていた『世田谷区で朝日新聞』の拡張とは今までみたいに思ったように稼げず…この世界では私は初めての挫折感を味わった…。

新聞の拡張員とは完全出来高制の仕事なので『なつき』の未来の行く末を考えて…ここは心機一転!!キチンとした会社の固定給の仕事を探し始めていたところ『セブンイレブンの店長』たる非常に好条件の募集が目に留まったので、面接を受けてみる事にしたところ、何度も何度もセブンイレブンのオーナー達との面接を繰り返し受け続け…数々の難関を突破してしまい…私は『50人以上のうちの1人』に選ばれてしまったのには私自身…驚いてしまった…。

して、セブンイレブンの勤務が始まったのだが…凄まじい嫌がらせを働いているアルバイトの人間達によって受けた、特にオバチャン達(即ちパワハラ)
着る制服を隠されてしまい仕事が出来なかったり・仕事を殆ど教えてくれなかったり・レジの金が合わないのは高野さんのせいだと濡れ衣を着せられたり・嫌み蔑視軽蔑は極当たり前の光景からの文字通り四面楚歌状態だった(根性は座っていたので私は妻にも言わずに隠忍自重し…ひたすら耐え抜いた)

だが…毎日…朝から晩まで嫌がらせを受け続けるのを遂に…私は堪忍袋の緒が切れて、アルバイトの人々に怒鳴りつけてやった『いい加減にしろよアンタらよ!!様々な嫌がらせをし続けて何が楽しいのだ!!こんな劣悪な職場環境でマトモに働ける訳がねぇだろうよ!!俺はこの店の店長候補生としてキチンと選ばれた身なんだぞ!!』と溜まりに溜まった耐え抜き続けた感情が遂に爆発的な反動となり何かがはちきれた!!『アンタらの思惑通りに辞めてやるよ!!この店で何故に店長が育たないで辞めて行くのは全てアンタらのせいだったんだな…よくよく私は分かったよ…』と全てをぶちまけてやって私は次の日からセブンイレブンには行かなかったのだが、店側に非が有ったのかオーナーからは電話連絡は一切来なかった(セブンイレブンの店長とはボーナスまで高額で貰え月給もアルバイトとは額が違い過ぎるので好条件で入って来る仕事を何も知らない店長候補生に対して嫌がらせをし続けて辞めさせ様とする店には気風が蔓延しており追い出してきた経緯を後に知った)

再び『妻となつき』を食わして行かなければ成らなく就職活動が急務と成り、キチンとした会社の月収の高い所に勤めたかったのだが…なかなか見つからなかった(スーツを着て新宿・渋谷・池袋・と面接する日々)その間、生活費を捻出するのにどうしたかと真相を述べると、私の実父『高野義宗』から総額『105万円』を頭を下げて直接会って借入れをした(後に交通事故の退院後に全く金が無かったので改めて借りた60万円を借りプラスして総額165万円と成ったが全ては自賠責保険金から全額返した)
従って、直子が実家から金を借りに行ってたというのは全て真っ赤な嘘の作り話であり、実際には金に困っていた時に金を借りていたのは私が父親と直接会って借りたものなのである!!

して、小倉義生と小倉和子夫妻は世田谷区上馬の借家に孫の『なつき』を見に成田市からワザワザ頻繁に車で来るので、私が二人に本音を詳しく聞いたら『常になっちゃんと一緒に居て暮らしたい』と願いを述べてきたので、ならば…再び成田で一緒に暮らしてみるか?と直子に尋ねてみたら、非常に喜んでいたので我々3人は成田市の小倉義生の分譲マンションの一室の10畳一間に戻った(この判断が私の人生を狂わせてしまった最悪の決断だった…成田市に戻らなければ交通事故にも遭わずに高次脳機能障害者に同名半盲たる病とは無縁な人生を送っていた事だろう…。)

小倉義生は借りた日付は克明に記載してあるが『約半年間は定期的に生活費として何万か支払ってくれた』なんて途端に曖昧に成り、いつの間にか半年間に限定し嘘を平気で述べてはいるが、入れた生活費の額など日付は全く書き記さない流石は極悪人の詐欺師。

同居してから、私は再び新聞の拡張員をやり『10万円~15万円』を生活費として高野直子経由で小倉義生や小倉和子に手渡していた(なつきが幼稚園に通う様に成ってから10万円たる金額で小倉義生にリビングで直子や和子の居る前で納得してもらった)

この嘘八百デタラメだらけの小倉義生の陳述書には、やたらと『直子へのDV』を盾にして、錦の旗の如く必死に成って論じているが、そもそも『診断書』なんざ在るのか?(笑)
傷は?あざは?打撲は?捻挫は?←ハイ!!全く在りませんね(笑)

成田警察署も佐倉裁判所も、ものの見事に『小倉親子』の言葉だけを信用して綺麗に欺かれた訳だ(それを確実に見抜けなかった成田警察署も佐倉裁判所の無能さを如実に物語っている事が大問題)

居間で(笑)私が(笑)小倉義生・小倉和子・高野直子の前で100万円を差し出し(笑)
『生活費として借りた40万円と今まで世話になった礼金60万円です』と私が述べて渡した(大爆笑)

そもそもだな(笑)
私:高野憲一が小倉義生に一円でも金を貸して下さいなんざ天地に誓っても頼んだ事すらも一度も無ければ『40万円』も借りてる事なんざ、これっぽっちも知らなかったのに、こんな台詞を果たして述べるかよ(大爆笑)

私がこの場で述べたのは『直子から毎日…毎日…朝昼晩!!無利息・無担保で実家に纏まったお金を貸して上げて御願いだから!!そうすれば取り立てが来なく成るから!!と余りにも頼んでくるので、なつき・あさを一人前まで育て上げなくては成らない俺の命の貴重な代替え金だが、自宅に取り立てが来なくなるなら100万円を貸して上げるよ』と封筒に入れて貸してやったに過ぎず、何だよその世話代の60万円て(大爆笑)
既に就労不能と診断され働けない身分の私が、なつき・あさ・の将来も考えずに気前よくポーンと『60万円』なんざ大金を渡す訳が無い(笑)

そして『人間的に成長したと思い、非常に感慨深い思いになり、心から素直に有り難う』と言って100万円を受け取りましただって(大爆笑)

与太話をいかにも人様に信じてもらう為に、最もらしいストーリーに作り上げているという、その辺の売れないドラマより酷過ぎるストーリー展開には怒りを覚える(小倉親子は障害者には何を言っても行っても良いルールが存在する)

『高野義宗さんに世話代として100万円を支払った』世話代ではなく単なる借りた金を返しただけ(退院後で金が全く無く毎月、親父が20万円ずつ振り込んで貸してくれた金と世田谷区上馬に住んでた時に借りた金の総額が165万円:直子が一番よく知っている筈)

叔父の高野二郎さんは駆け出しの頃の十代に部屋を借りた時に貸して貰った金を返す為に都内に50万円を持って返しに行ったが…二郎さんは小倉義生とは全く違う見解を示した『これから…2人の幼い娘を育て上げなきゃならないのに…働けなく成ってしまった、お前から例え貸した金だとしても貰える訳がねぇだろ!!絶対に貰わないからな!!それを貰ったら俺は乞食に成ってしまう』と二時間に渡って説得され続け、何が何でも受け取ってもらう様に私は叔父を説得し続けはしたが…これ以上は無駄だと思い…私は返すのを諦めて都内から成田に帰った(これが…真人間の物言いであり、小倉義生とは天と地の雲泥の差が有る)

高野直子の実弟の『小倉圭祐』に至っては、リビングで小倉家の家族が居る前にも関わらず、私に向かって『自賠責保険金の3000万円から30%を寄越せ!!』と私に恐喝・恫喝・脅迫・たる脅してきたぐらい小倉親子は酷過ぎましたからね(目の前で障害者が脅されていても通常なら即刻止めて小倉圭祐を徹底的に叱る筈なのが小倉親子はダンマリの黙認していた=怒る役・なだめる役・嘘を述べる役・怒らせる役・たる典型的な劇団式おれおれ詐欺が小倉親子)

都内に『悪意の有る遺棄』までしといてDVがどうやってエスカレートするんだよ(笑)

だから60万円だけは返した(大爆笑)
贈与されたと謳うなら返さなければ良いではないか(笑)
即ち何かと金に困っていた小倉義生は『手元に60万円しか無かった』からなのは最早…バレバレなのだよ(笑)

40万円は直子が密かに実家に金を借りに来ていた事にし直子と口裏を合わせたのもバレバレなのだよ(笑)

『娘になんてことをしたんだ!!』なんざ戯れ言を述べているが、こんな事を言われた事すら皆無の単なる作り話(笑)
で、私が謝ったんだってさ(笑)
自賠責保険金が降りてから高野直子より『金の無心 』(即ちユスリタカリ)しかしないので夫婦喧嘩は絶えなかったが、私は逆に高野直子からほっぺたをひっぱたかれて『金がもっと必要なんだよ!!』と虐待を受けていたのが真実。

小倉親子の策とは先ずは『判断能力の無い障害者』の自賠責保険金を徹底的に搾り出して摂取したり金を密かに降ろして任意保険金が、そろそろ降りると判断し、その辺に置き去りにしたら保護責任者遺棄として刑事罰を恐れたので、外堀から埋める事とし、私の実父や実弟を籠絡させ『決して小倉親子が高野憲一の事を遺棄したのではないですよ。お父さんと弟さん達が説得をして家を出て行ったんですよ』と狡猾な極悪人の詐欺師ならではの悪しき計画なのはバレバレね(笑)

私が非常に残念なのは、実父と実弟が…コロリと小倉親子に嵌められてしまった事だ。

陳述書の中には『説得され別居に応じている』なんざ戯れ言を述べているが、一人で爪すら切れない・カップラーメンすら作れない知的障害者が一人で生活をする事を決意表明する訳が無く勇気も無く、小倉親子は三時間に渡って『今後お金は一円も求めない』『好きな時に娘達とは会わせる』と数々の偽りの約束事を押し付けて遺棄したに過ぎず、私の意思無しに夏場の全荷物を成田から車に勝手に搭載してきたのが真相であり、大切な大量の荷物の片付けるには一週間は掛かると同時に当初は貸倉庫に全ての荷物を入れる事と約束を交わした筈が陳述書では『事実上居座る事が目的』にすり替わっている、どこまでも嘘だらけの小倉義生(佐倉裁判所まで平気で欺くだけ有るは)

『お前たちみな殺しにしてやる』と脅迫された(大爆笑)

全くの逆の話!!直悪意の有る遺棄をされた後に直子に対して通話にて『俺はもう自殺をして高次脳機能障害者の最期として死んで国に記録を残してもらう』と宣告したに過ぎなく、直子は『死んでくれた方が有り難い』 と述べてきたのが真相。

話し合いに応じず協議離婚は成立が出来なかっただって(大爆笑)
高野直子は電話にて『任意保険金は降りた?降りたならば早急に離婚しましょ!!』しか述べては来なかったのが真相(財産分与の対象が任意保険)

任意保険金が亡者共(小倉親子の狙い)の悪しき計画の最終章だったので、過去の記事にも挙げたが、極めて危険を察知した私の方から民事の弁護士と補佐人の弁護士を雇って『離婚調停』を持ち掛けたのが真相!!

マトモに『面会交流』すら守らない毒婦の高野直子に対して、私は裁判事項に則って、そもそも支払わなくても良かった『300万円』まで請求され一括で支払ったのにも関わらず、約束を守らない高野直子に対して『裁判事項を守らないなら不治の病を二点も抱えてしまった障害者の大切な300万円を速やかに返してくれたまえ』と述べるのは極自然な話。