貸した金は返金せよ!!③


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元補佐人の清水先生(弁護士)に依頼をし佐倉裁判所に『240万円』の貸金返還に慰謝料の請求の訴訟を発動し、当の本人の『小倉義生』は相当慌てふためいた様で相当焦ったのか案の定、代理人の弁護士を雇い入れました(これまで・・・小倉義生は債権者の申立からの佐倉裁判所からの通知をひたすら受け取らないで佐倉裁判所には出廷した事が皆無だったので、弁護士を雇い入れ己は佐倉裁判所には一切顔を出さない戦術を取るのは、ある種、予測はしていた)

この極悪人の詐欺師の『小倉義生』に加担をした恥っさらしの弁護士の名は『古海健一』

住所:千葉県千葉町1ー1県民合同法律事務所

電話番号:0432249622

さも・・・本当に有ったかの様に作り話を仕立てあげて、与太話を作り上げるのが弁護士としての『古梅健一』の仕事らしく、紛れも無く日本全国の高次脳機能障害者に同名半盲者の敵と成った『古海健一弁護士』が作成をし提出した答弁書の全文を掲載する(初め読んだ時は余りにも事実とは異なり真逆過ぎて怒りを覚えました・・・嘘を並べて述べるのが弁護士の仕事なのかよ!!と)

 

被告訴訟代理人:古海健一

平成23年4月6日、被告は原告から100万円を受け取ったが、100万円のうち、40万円は貸付金の返済として受け取ったものであり、残りの60万円は長い間世話になったことに対する礼金であると言って渡されたものを『ありがとう』と言って受け取ったものである。

被告は原告から金銭を借り受けたことは一度もない。

被告が原告に対し、平成23年7月21日に30万円、翌22日に30万円を送金 したことは認めるが、その余については不知。

合計60万円の返金は、原告から前記謝礼金60万円を返すよう頻繁に請求されたことから、本来であれば贈与を受けた以上返す必要のない金銭であるが、トラブルに巻き込まれるのを回避するために返還したものであり、借入金の弁済として送金したものではない。

被告及び訴外直子が原告に対し、金銭の要求をしたことは一度もない。

平成23年7月2日に親族が集まって話合いが行われたことは認めるが、その余は否認する。

話合いは約2時間行われ、原告の父親及び弟が原告を説得した結果、原告のDVを防ぐために原告が被告宅を出て、訴外直子と別居することに決まった。

また、当時被告が多額の借金をしていた事実や債権者から頻繁に取立てを受けていた事実は、一切ない。

被告の主張:一度目の同居から別居に至る経緯。

被告は、訴外直子の父親である。

原告は、当時専門学生であった訴外直子と平成6年頃に出会い、その後すぐに付き合うようになり、訴外直子が専門学校を卒業した平成7年頃には埼玉県川口市内で同棲するに至った。

原告は訴外直子と出会ったときは新聞拡張員をしていたが、生活費として原告が訴外直子に渡す額が少なくなり家賃を支払えない状況になったので、訴外直子は実家である被告宅に戻ることにした。

平成8年4月頃、訴外直子とともに原告も被告宅に越してきて、被告宅に住み始め、平成18年4月頃まで約10年間、被告宅での生活を続けていた。

 この間、原告は、週に2回程度、午後12時過ぎに家を出て仕事に行っている、新聞拡張員をしていると言っているがどのような仕事をしているかわからない、生活に必要なお金を渡してくれないと、被告は訴外直子から聞かされていた。

被告は、訴外直子を聞き原告に金銭的余裕がないことを知っていたので、原告から家賃や生活費などを徴収したことはなかった。

したがって、被告宅で同居していた約10年の間、原告は、無償で被告宅に住み、無償で生活をしていたのである。

平成15年、原告と訴外直子は婚姻した。

その後、同年4月2日、原告と訴外直子との間に長女なつきが生まれ、平成21年4月19日には、次女あさが生まれた。

平成18年頃、原告は、孫を猫かわいがりする被告夫婦と同居することに嫌気がさしていたところ、求人広告で東京都世田谷区上馬の住居付きの新聞拡張員の求人を見つけた。

そこで、原告、訴外直子、長女なつきの3人は被告宅を出て、東京都世田谷区上馬に引越し、家族3人での生活を始めた。

二度目の同居に至る経緯。

原告が複数の金融機関から借金を重ね返済を怠っていたため、借金の取り立てが激化してきたことに加え、引っ越しを契機に就いた新聞拡張員も数ヶ月後に辞めてしまい収入が減ったため家賃の滞納が数ヶ月続き、引越しの数ヶ月後には、上馬の家に住み続けることができなくなった。

このような状況で『行くところがない。』と訴外直子から相談を受けた被告は再び被告宅に戻りそこで生活を了承した。

平成19年5月頃、まず訴外直子と長女なつきが、その3ヶ月後に原告が、再び被告宅に戻りそこで生活をするようになった。

この頃、被告は既に退職し収入が激減しており、以前の同居時とは経済状態が大きく変わっていたので、被告及び被告の妻は、訴外直子に対し、家賃はともかく月の生活費はある程度支払って欲しいと告げた。

これを受けた訴外直子は、以下の通り被告に支払った。

平成19年5月10日に1万円・6月20日に2万円・6月30日に3万円・7月28日に4万円・8月6日に1万円・11月26日に4万円・12月1日に1万円・

しかし、長女なつきの幼稚園費用等出費が多く、経済的に余裕がないとして、平成19年12月1日の支払いを最後に、支払いは行われていない。

被告の訴外直子への生活費貸付。

訴外直子は、原告が生活に必要なお金を家に入れてくれないという話をした後に、被告に対し、生活が苦しいのでお金を貸して欲しいと言った。

わが子の窮状を見かねた被告は、退職し経済的に余裕があるわけでなかったが、以下の通り、生活費として訴外直子に金銭を貸し付けた。

平成18年5月26日に10万円・8月27日に5万8000円・11月22日に8万5000円・平成19年1月26日に6万円・2月27日に13万円・

 被告が、原告から100万円を受け取った後、60万円を返金するに至った経緯。

(1)原告は、平成21年4月19日に交通事故に遭い、平成23年3月29日損害賠償金として3000万円を取得した。

平成23年4月6日、原告は、被告宅居間で100万円を差し出し、訴外直子が生活費として借りた40万円と長い間お世話になったお礼として60万円、合計100万円を受け取ってくださいと言った。

被告は、平成18年5月26日から平成19年2月27日までの間に被告が訴外直子に貸し付けた合計額は43万3000円であると認識していたが、40万円に減額した上で、同債務の弁済金としてこれを受け取った。

礼金60万円についても、恩を感じて感謝の気持ちから差し出してくれたものと考えて『ありがとう』と言って受け取った。

同席していた妻も『ありがとう』と言って受け取った。

(2)平成23年3月頃から、原告の訴外直子に対して暴力をふるうようになり、訴外直子に対する暴力(以下、DVという。)は日に日にエスカレートしていった。

平成23年6月下旬から、60万円の返還を求める電子メールが訴外直子の携帯電話に頻繁に来るようになった。

訴外直子から相談を受けた被告は、60万円は長きにわたって世話を受けてきたことに原告が感謝して渡してきた礼金であり、贈与を受けたものであるので返す義務のある金銭ではないが、返金しないことで訴外直子に対するDVがさらにエスカレートすると考えて、平成23年7月21日、翌22日に30万円を原告に送金し、原告が返済を要求している60万円全額を返還した。

訴外直子及び二人の子と原告とが別居するに至った経緯。

平成23年頃に始まった原告の訴外直子に対するDVは日に日にエスカレートしていった。

当初は訴外直子に対して暴言を吐く程度であったが、些細な口論に激高して『殺してやる』と叫びながら棒を持って襲いかかってきたこともあった。

また、訴外直子が自動車を運転している最中に、口論に激高した原告が突然訴外直子に殴りかかってきたこともあった。

このときは、生命の危険を感じた訴外直子が機転をきかせて自動車を人通りな多いところまで走らせ通行人に助けを求めて警察官を呼んでもらってことなきを得た。

訴外直子は。日に日にエスカレートしていく原告のDVに恐怖感を募らせ、たとえ1日でも原告とは一緒にいたくないと思うようになり、別居したいとの思いを強くしていった。

23年6月上旬、訴外直子は、被告宅を出た原告を引き取るのに最適な人物である原告の父親に、原告のDVについて電話で相談の結果、原告の父親から、原告のDVから逃れるためには直ちに別居する必要性があるとアドバイスされ、別居の算段をつけるために、親族が集まって協議をすることとなった。

協議の日にちは原告が被告宅にいない日に設定することになり、原告が友人と泊まりがけで函館に旅行に出かける予定のあった平成23年6月11日に親族が集まり協議をすることになった。

平成23年6月11日、原告の実家に、原告の父親・原告の義母・原告の弟夫婦・訴外直子・被告・被告の妻の合計7人名が集まり、訴外直子と原告の今後について協議を行った。

その結果、以下の通り今後の予定がまとまった。

①原告の父親が、訴外直子と別居するよう原告を説得する。

②原告の父親が、原告が別居後に住む住居を探す。

③本日(平成23年6月11日)から3週間後の平成23年7月2日に、原告、原告の父親、原告の弟、被告、訴外直子が集まり、即時に訴外直子と別居することについて原告を説得する。

この協議の後、原告の父親は、自身が勤める会社が入っているビル(東京都滝野川6ー86ー6所在のCATビル)の隣にあるマンションの一室を借り、別居後の原告の住居とすることにした。

(3)平成23年7月2日午後1時から3時まで約2時間、上記マンションに、原告、原告の父親、原告の弟、被告、訴外直子が集まり、原告と訴外直子とが別居することについて話し合われた。

この話し合いにおいて、原告の父親及び弟が原告をこんこんと説得した。

話し合いの結果、原告は、被告宅から出て行き、訴外直子と別居することを了承した。

原告は、被告宅を出て行くことは了承しつつ、原告の父親が用意したマンションには住みたくないと言ったり、訴外直子が用意した着替えや薬等を受け取らない等話し合いに納得していない様子であった。

その後、原告は、被告宅から出て行ったが、被告宅を出た後、原告から一切連絡がなかったので、原告がどこに住み、どのような生活を送っていたかについて、被告はまったく知らなかったし、知り得なかった。

訴外直子が保護命令を受けた後、原告と離婚するに至る経緯。

被告宅から出た後に原告が訴外直子や長女なつき、次女あさに付きまとうことをおそれた訴外直子は、千葉地方裁判所佐倉支部に保護命令を申し立て、平成23年8月2日に保護命令を受けた。

その後、訴外直子は、原告との離婚を望んだが、協議離婚は成立しなかったので、離婚調停を申し立て、平成24年11月12日に離婚調停が成立した。

『求釈明』

1:被告は、原告に対し、次のとおり釈明を求める。

2:不法行為に基づく損害賠償の主張について。

(1)原告は、請求原因3(3)最終段階で『そのような行為に及ぶことは非常に危険な行為であり』と主張するが『そのような行為』とは具体的に、誰がいつどこでした行為なのか、その内容を明らかにされたい。

(2)同じく請求原因3(3)最終段階で『被告と訴外直子は通謀の上、原告を遺棄したものと評価できる』のは、誰がいつ行ったどのような行為なのかを明らかにされたい。

また『遺棄』は、どのような内容の行為として認識しているのか『遺棄』の意義について明らかにされたい。

(3)原告は、請求原因3(4)で『このような被告の行為が不法行為に該当する』と主張するが『このような被告の行為』の内容を明らかにするとともに、それが不法行為に該当する主張する法的根拠を明らかにされたい。

『貸金返還請求の主張について』

原告は、被告に対し、平成24年4月頃、弁済期の定めなく『100万円を貸し付けた。』と主張するが、原告が被告に対し100万円を貸し付けた事実を証明する金銭消費貸借契約書等の証拠があるのか明らかにされたい。

また、もしあるならば、可及速やかに提出されたい。

 

 


高野憲一の反論:余りにも馬鹿馬鹿しくて…よくも…まぁ…弁護士とも在ろう肩書きを持った真実を語らなければ成らない人間が 、ここまで無理矢理な作り話をこしらえて大嘘を平気な顔して佐倉裁判所に提出したものだ (詭弁と欺瞞の塊)

自己破産もせずに他人様に多大なる御迷惑を掛け1億3000万円もの巨額の借金を踏み倒そうとしている多重債務者の『小倉義生』が取り立てを受けて無いだって?(大爆笑)

小倉建設が倒産し『徹底的に逃げる覚悟を決めた小倉義生』だが、多い日で一日五回は債権者達が取り立てに来ていた何を言おう私本人が目撃者であり証人であり、小倉義生を匿って債権者達(千葉保証協会など身なりのシッカリとしていた人達ばかりだった)を私が玄関先で対応をし続け『小倉義生夫婦は逆に我々夫婦の方が捜していて、小倉義生の娘の亭主は私なのですよ…従って空き家に成ってしまうので我々夫婦が家を預かっているのです』と、わたくし高野憲一が嘘を講じ続けたのは、かく言う私なのだ(実際には家の中には小倉義生と小倉和子の夫婦は常に居た)

小倉義生は我々夫婦に向かって『訪問して手渡しをしてくる郵便物は一切受け取らない様に!!』と強いお達しを受けていた(即ち…債権者達が佐倉裁判所へ申立した、その通知書だから受け取れない訳でありポストに入っていたとしても、それは逐一郵便局に返していた)

余りに取り立てが凄まじいので私はリビングで小倉義生を諭した『少なくとも1億円以上は莫大な借金を抱え込んで、他人様に多大なる御迷惑を掛けてしまい何ら抜本的な解決もせずに果たしてこれで人の道だと言えますか?この分譲マンションを一刻も早く売り渡して自己破産手続きをするべきではないか!!』と述べたら小倉義生は『自己破産だけはしたく無い…』と頑なに拒否をし続け述べ上げたので、返す刀で私が『では!!肝心の、この物件が差し押さえされたらそれこそどうするのだ?路頭に迷うのだぞ…だったら早く売り渡した方が良いでしょうよ』と述べ・・・物の道理を説いたら・・・流石は極悪人の詐欺師:小倉義生『自宅を差し押さえされてもキチンと家は用意してくれるんだから大丈夫だ』(後に悪意の有る遺棄をされた後に、それぞれの債権者達に私は電話を入れて、逆に私が小倉親子によって騙されてしまった事や私が貴方方に嘘を言い続けて小倉義生を匿って来た事をキチンと謝罪をし全てを正直に告白した)

私は悪意の有る遺棄をされた後に債権者達に謝罪している中で『小倉義生は取り立てが激化していた時はひたすら自宅を差し押さえられてもキチンと家も用意してくれると誇らしげに述べて参りましたが本当にそんなもんなんですか?』と質疑応答を繰り返したが債権者は『ボランティアではあるまいし…そんな美味い話が有る訳が無いですよ・・・』たる回答を得た。

話はリビングでのやり取りの話に戻るが、私が小倉義生に『これだけの数の激しい取り立てが来ていて貴男は何ら抜本的に解決に向かって何故に率先垂範的に動こうとは思わないのか?貴男は一体何者なのだ?この先どうするつもりなの?』と告げれば『俺は透明人間なんだ!!』宣言には流石の私でも唖然とした…。

私は立て続けに『これだけ大多数の取り立てが来るならば通常の人間なら、玄関も自由に出入りも制限され常に出入りを警戒する生活に精神的に参ってしまい嫌気が差してしまい、小倉建設が倒産したと同時に引っ越すけどね』と 告げたところ…。

小倉義生は述べた『逃亡する』と宣言をした!!

で、千葉県は初富のレオパレスに小倉義生と小倉和子たる多重債務者の夫妻は一年間『初富』のレオパレスに逃げ込んで暮らし、小倉義生より『家を預けるので宜しく頼む!!』と私は、お達しを受けたので我々夫婦が留守を預かった(この間も取り立ては非常に凄まじかった)

話は極悪人の詐欺師の小倉義生へ加担した真っ赤な嘘だらけの『古梅弁護士』の答弁書に戻るが『訴外直子は原告と離婚をしたいと考えたが、協議離婚は成立しなかった。そこで、訴外直子は離婚調停を申し立てようと考えたが別居後は連絡を取り合っていなかったので原告の住所地がわからず、したがってどこの家庭裁判所に調停を申し立てたらいいのかわからなかったため、調停を申し立てることができずにいたところ、原告から申し立てられた』←ふざけるのも大概にして欲しい(怒)
都内に釣り出されて、様々な虚偽の約束事を押し付けてきて、たったのTシャツ一枚と短パン一枚だけで任意保険金狙いから『悪意の有る遺棄』をし、いきなり住む場所も帰れる場所を失ってしまった知的障害者身体障害者の私に住所も糞もあるか!!(強いて言うならば、ホテル住まいを強いられたアパホテルが私の住所か!?)
連絡を取り合っていないだ?
次の日には『俺の自賠責保険金が入っている預金通帳と実印を早急に返せ!!』と高野直子に電話をしているわな!!(何とかして取り戻したのは過去の記事に挙げている)

平成23年4月6日に小倉義生は高野憲一から『100万円』を受け取って『40万円』は借りた金だと銘打って返して、更には『60万円』は長い間御世話に成った御礼からの礼金であり『有難う』だって?(大爆笑)

そもそも…一円の金すら『小倉義生』に向かって貸して下さいなんざ頼んだ事すら皆無なのに(本人に悪意有る遺棄をされて本人の口頭から直に聞いている)何故に私が40万円もの借りた事に成っているのだ(寝言は寝てから言え!!)

この100万円とは私に自賠責保険3000万円が降りてから、朝昼晩連日連夜『高野直子』により『家に纏まった金を御願いだから貸して上げて!!そうすれば取り立ては来なく成るから!!』たる…ウンザリするぐらいの『金の無心』から貸してやった100万円なのだ(血は繋がっていないが義理の父と母なので借用書までは作らなかったのが私の失策であった→判断能力が今より断然と無かったので正確な判断が出来なかったし、正か騙されるとは思わなかったので・・・この時は微塵の欠片すら思わなかった)

 

幼い2人の娘を一人前まで育て上げなくては成らない就労不能知的障害者同名半盲身体障害者の私が『100万円』もの大金をおいそれと差し出せる訳が物理的に不可能なのだ !!(即ち小倉親子の全てはグルの計画通り=劇団型おれおれ詐欺)

『本来であれば贈与を受けた以上、返す必要のない金銭であるが、トラブルに巻き込まれるのを回避するため』←本当に贈与されたならば60万すら返さないだろうよ(笑)
何のトラブルだよ?(笑)
己が障害者から金銭を摂取した認識を熟知しているから、有り金が60万円しか無かったから、それしか返せなかったのが正しき結論なんだろ(最早・・・バレバレなんだよ)
『約10年間も高野憲一は家賃や生活費も一切支払わずに無償で小倉義生に住み無償で食事を与えられていた』←どこに…そんなに人の良い人間が存在するのだ(大爆笑)居たら紹介をしてくれたまえ(笑)

週に二回程度、午後12時過ぎに家を出て仕事を行っている(大爆笑)
週5の出勤が、小倉義生から言わせると週2に成るらしい(ここまで来ると単なる詐欺師ね)然も12時過ぎからだって(大爆笑)
どんな仕事だよ(大爆笑)
私は今後、記事に挙げるが高野直子と離婚してから『一生稼ぐで在ろう7750万円の任意保険』を頂いた(週2で働いていたと逆算するならば、こんな大金は絶対に貰えない筈)

小倉義生と小倉和子には小倉建設が倒産してから『毎月15万円を入れてくれないか頼みます!!』と懇願され、私は15万円を借金をしてまで毎月入れてやった。
小倉義生並びに古海弁護士は『複数の金融機関から借金を重ね返済を怠っていて取り立てが激化してきた』なんざ、与太話を述べているが『新聞の勧誘員』たる固定給の無い完全出来高制の定職に金なんざ貸してくれる金融機関は在りもしない(笑)

小倉義生に15万円を手渡す為に長女なつきを育て上げながら仕事を滅茶苦茶頑張っても足りない分を勤め先の足立区の東京新聞の拡張団の団長(社長:今井さん)が、私の取り巻く劣悪な環境に対し常に情けを掛けてくれて無利息で貸してくれた金(小倉家に奉仕した結果!!私は総額で90万円の借金を負ってしまった)

毎月・・・15万円もの大金を妻娘を抱えながら血の繋がっていない義父・義母に手渡すのは決して簡単な 話では無いのは誰もが分かる事(だが娘が生まれてからは7万円に固定してもらった)
一週間に一度や二度は小倉夫妻を焼き肉屋や寿司屋で御馳走してやり、旅行にも何度も連れて行ってあげた(週2の仕事で、こんな芸当は出来ないのは誰もが分かる事)

与太話に一つ一つ反証するのも皆さん方気付いていると思うが、例えば高野直子に対して『殺してやる!!と叫んで棒を持って襲い掛かって来た』なんて作り話を講じているが、私は、そもそも『棒』なんざ一つも持っていない(野球のバットすら持っていない)

わざわざ私の居ない時を見計らって(私が二泊三日の北海道に旅に行っている時)に、小倉親子は、成田市での環境を何一つ知らない私の両親のところに別居をしたいのと要求をする時点で極めて違和感が有る(笑)
何故に私に対して直に言わなかったのか?(笑)
何故に、そんなまどろこしく面倒な事をし迂回までして私の完全に留守を見計らってまで成田市から杉並区阿佐ヶ谷まで、わざわざ行ったのだろうか(笑)

即ち…こうだ小倉親子の真の狙いは『任意保険金からの財産分与』だったので、既成事実を作り上げたかったので、私の親父や弟を丸め込んで高野憲一への包囲網を形成しようとした訳だ(あくまでも障害者の亭主を遺棄するハード面ではなくソフト面から攻める狡猾な小倉親子の悪しき計画通りだった訳だ)

私の親父や弟が、懇々と説得したなんて作り話が見受けられるが、確かに親父と弟は『小倉親子』に間に受けて完璧に丸め込まれてはいたが、小倉親子の条件は、あくまでも『今後一切お金は求めない』に『好きな時に娘達とは会わせる』を三時間に渡って偽りの約束事を私は一方的に押し付けられただけの話。

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

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