精神障害者手帳と身体障害者手帳の交付とグループ訓練の変化。

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私は『高次脳機能障害』に『同名半盲』と診断を下された以上『障害者手帳』を交付してもらう事を思い付き、成田市役所の障害者福祉課に相談したところ、かかりつけの医師達の診断書が必要ですと告げられたので早速、千葉リハビリテーションの脳外科の主治医や精神科の主治医や眼科のそれぞれの医師達に相談し診断書を丁寧に書いて頂いた。

それを持参し改めて診断書を提出し、どれぐらいの期間が経ったのか記憶には無いが暫くしたら成田市役所の障害者福祉課から、ある日電話が掛かってきたので妻に車に乗せてもらい障害者福祉課へと複雑な心胸ながら赴いた。

結果から述べると『精神障害者手帳の等級が③級』に『身体障害者手帳が⑤級』であった(後に精神障害者手帳は②級に成るのはまたの話)

その時、私が思ったのは『同名半盲』が身体障害者扱いの⑤級なのは理解出来たが、何故に高次脳機能障害精神障害者手帳に該当するのか疑問に感じたので、障害者福祉課の職員に質疑応答をしたら『脳の病は精神に該当するんですよね』と告げられ・・・私は氷解した。

即ち鬱病など様々な精神障害の病が多数、存在するが・・・このオブラートに包んだ『心の病』と述べる呼称は実は正しい言い方では無く全てが『脳が原因の病気』だという事を悟った。

私は、それら障害者手帳を所持し次回の千葉リハビリテーションのグループ訓練の時に持って行き、日頃御世話に成っている心理発達課の副部長の大塚先生や長谷川課長やスタッフに私が交付された、それぞれの障害者手帳を見せ報告を致した。

この辺りからグループ訓練の2時間内で行なわる3回の時間を計測され実施するテストで異変が起こり始めた。

今までテストでは同じクラスの高次脳機能障害者の中で後ろから数えて2番目かビリが私の定位置だった私が・・・何かが弾けた様に常にトップを取る様に変化が起こった。

根本的な理由は何だか分からないが・・・

日頃、地道に行ってきた『脳に良い事なら何でも挑戦』してきた努力の結果が実ったのかも知れませぬ。

ガラケーでも出来る日本中のユーザー達と即座に対局出来るインターネット麻雀のジャンナビの徹底的な鬼打ち(即ち勝ち負けを争う常に計算を強いられる頭脳ゲーム)

クロスワードの徹底(極めて語彙が狭く成ったので言葉や物を思い出させる脳トレ)

③『花札』をやるのが脳に良いと聞いたので長女の幼稚園生の『なつき』に役を覚えさせ相手に成って付き合ってもらい、年がら年中2人で花札を興じていた(花札の図柄や色など含む組み合わせが脳トレに成るらしい)

④小学生低学年レベルの『漢字ドリル』や『計算ドリル』の徹底。

⑤一年間続けた『毎日の日記』(一日の出来事を振り返り記憶を呼び起こす)

⑥トランプゲームでも神経衰弱が非常に良い(これも相手は、なつき)

⑦花屋や、お花畑などで花を見るのが脳に良いと聞いたので毎日、決まった公園に行き様々な花や草木を見に1周回って来た散歩も日課にしていた。

高次脳機能障害者は何も出来なく成ってしまい『自宅に引きこもりがち』に成るのだが、私は勇気を持って外出に打って出て成田駅から電車に乗って都内に行き積極的に友人達と交流を重ねた(人との交流は脳に刺激を受けるので非常に良い)

当時の私は電車の中で何度も失禁をし恥ずかしい思いをしたが今は無くなった事も付け加えておこう。

 

とまぁ・・・この厄介で不可思議な病の『高次脳機能障害』と『同名半盲』と真正面から向き合い少しでも改善するなら私は何でも挑んだ。

グループ訓練の心理発達課の副部長の大塚先生が我々・・・高次脳機能障害者に絶えず仰っておられた『高次脳機能障害とは、これ以上、悪化する病では無く寧ろ改善の余地が見込まれる病ですので、いつか覚醒する時が必ずやって参りますからね』と伝説的な台詞には私『高野憲一』は一生・・・忘れられない今でも『言葉のバイブル』としております。

 

この間、日赤病院に入院し3ヶ月間の退院直後に欠落していた重要な話が一つ有るのだが『成田警察署』に電話で呼び出され、私が交通事故に遭った時の『調書』を取りに行った。 

 成田警察署に行くと既に刑事が座っており突っ立っている警察官達が居て調書の作成が始まった。

机の上に沢山の写真を並べられ、それを見て私が違和感を感じたのが・・・肝心要の私の事を跳ねた男性の加害者の顔には『ボカシ』が入っていたが、ひとまず沢山の写真を見せられ徹底的に説明をして下さった。

その殆どの写真が加害者の男性が乗車し運転をしていた交通事故直後の写真だらけであり、私の頭が直撃したフロントガラスの拡大図だったりと事細かく撮影されていた。

ここで刑事が私に対して様々な質疑応答をしてきたのだが、例えば『高野さん・・・車のフロントガラスに正面衝突をし頭や身体が直撃した場合、時速何キロぐらいで死亡されてしまうと思われますか?』と質疑をされたので私は『時速90キロから100キロぐらいで正面衝突をしないと死なないんではないですか?』と返答したら刑事は説明をして下さり始め『実はフロントガラスとは時速60キロ以上で正面衝突を喫するとフロントガラスは衝撃に耐えられずにフロントガラスをぶち破って死亡してしまうケースばかりなんですが、高野さんの場合は時速50キロ台だったのでフロントガラスをギリギリぶち抜けなかったんですよ』と述べ上げ、そのフロントガラスの写真を見せられて拝見したら『フロントガラスの全面・・・全て蜘蛛の巣を張っている状態で正にぶち破る寸前だった』

更に刑事が述べるには『フロントガラスを囲っている車体の金属に頭が直撃していたら時速関係無く即死だったのですが・・・ところが高野さんの場合、僅か3センチだけズレていたから即死は免れたんですよ・・・。』と説明をされ更には『我々は様々な交通事故を長年、現場検証をし事例も見て参りましたが、この様な奇跡の積み重ねは先ず稀でありまして、我々は高野さんが意識不明の重体で日赤病院に運ばれ死亡は既に確定したと思っておりましたが、その夜中に意識が回復されたと日赤病院から報告され、それを聞いて我々は非常に驚いたんですよ』と見解を示し私は返す刀で、こう尋ねてみた『仮にもあの日に長女のなつきをいつも通り自転車の後ろに乗せて坂道を登っていたら長女は一体どうなっておりましたか?』と、お窺いしたら『まだ幼稚園生の幼い長女さんは後頭部を地面に直撃するかして亡くなっておられた可能性は極めて高いですね』と示唆し・・・私は即座にハッ!!と感じた!!

日頃『なつき』を自転車の後ろに乗せては走ってグングンと登ってきた坂道の筈が・・・あの日に限ってだけ成田駅からワザワザ自転車を押して帰るなんざ、たったの一度も皆無だったのに・・・この日だけ駅から自転車を押しながら『なつき』と徒歩で帰るなんて選択をしたのだ!?と改めて思い・・・既に・・・ここから『奇跡が起こり始まっていたのだな』と感じ・・・私も『なつき』も『神様によって生かされた』のだと心胆から思い、改めて私の敬神である香取神宮の祭神の経津主大神様と御先祖様に感謝をした・・もし仮にも『なつき』が坂道の縁石に乗りユラユラと遊びながら歩いて坂道を登っていなかったら、なつきは落命していた可能性も十分に有った筈だと私は心胆から知らしめたという奇跡の積み重ね(世の中、偶然は何一つ無く全ては必然たる概念を持っていた私だが改めて強く感じさせられた)

そして死線をさ迷った程の今次の交通事故で正面衝突を喫し私が跳ねられてしまった最大の原因を刑事に尋ねてみた。

刑事が申すには『こんなにも見通しの良く交通量も少ない道路で歩いている人の事を全く気付かないなんて先ず有り得なく脇見運転や前方不注意だとしか到底考えられませんねぇ』と見解を示した。

して調書作成は進み、交通事故以来・・・この同じ成田市民の男性加害者は被害者である私の住んでいる自宅まで来て私とキチンと対面を果たし『謝罪』をする事は一度たりとも無かった・・・。

『36歳』にして私の未来をコレからという時に全てを絶たれてしまい人生を滅茶苦茶にされたにも関わらずにだ・・・世の中理不尽なものである。

だが・・・私は調書作成の聞き取り調査で刑事にハッキリと正々堂々と刑事に向ってこう告げた・・・『20代前半の未来有る若者の会社員ですし・・・私は彼の未来を経つ訳には参りません!!恨み辛みは一切御座いませんので彼の罪を軽くし身柄が拘束されているならば一刻も早く釈放してあげて下さいませ』と述べたところ調書を作成している、この刑事や突っ立っていた警察官などは驚いてしまい『えっ!?高野さん!!本当にそれで良いのですか!?』と大層・・・驚いた様子で同じ事を何度も聞かれ確認された。

この調書を作成された刑事から一週間後や10日後に2回も電話が掛かってき『高野さん只今、加害者と目の前で取り調べをしているのですが、あの・・・高野さんが仰っておられた通りで本当に良いのですか?』と何度も確認されたが、私は電話口で『彼の事を恨んでも私の病は治る訳では御座いません、武士に二言は無いです!!』と加害者の男性に『武士の情け』を私は改めて掛けた。

後から様々な人に聞くと交通事故などで車椅子状態に成ってしまった人や重い後遺症を背負ってしまった被害者は警察署での調書作成時には加害者に対して激怒されているケースばかりだそうだ(即ち厳重に罰して下さいと述べるらしい)

 

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