グループ訓練たる『脳のリハビリ』と自宅療養の始まり。

前記事で書き記した様に千葉リハビリテーションでの週一の『脳のリハビリ』が始まった。

私は脳のリハビリとは・・・個室でマンツーマン指導でやるものだとてっきり思っていたのだが・・・前記事で名を挙げた『大塚さん』(心理発達科の副部長)と我々夫婦と話してみると高野憲一さんは『グループ訓練』に毎週月曜日に参加されて下さいたる御指示を受けた。

私も初めは、この聞いた事も無い『グループ訓練』とは一体何だろう?と思ったのだが、学校のクラスでの先生・教師と生徒さん達の事をイメージして欲しい。

一般的な学校の様に沢山の生徒が居る訳では無く、それは極めて小規模なクラスで有り、私を入れて大体6人ぐらいの高次脳機能障害者と先生(司会者)が居て、それに加えて我々、高次脳機能障害者の事を後からサポートして下さる1人や2人職員が常に居る構図だ。

グループ訓練をするに当たって用意する様に指示された教材とは極めて詳細な事を書き記せる事が可能な『スケジュール帳』と『黒や赤のボールペン』に『鉛筆と消しゴム』のみであった。

このリハビリを受ける小さな教室に入り座ると『今日の課題』と書き記された紙が1枚か2枚必ずテーブルに置かれていた。

それに向って先生(司会者)が進行をするスタイルであり、我々『高次脳機能障害者達』がそれに沿って指導をされる訳だ(学校のクラスの授業風景をイメージして欲しい)

基本は誰か喋る事を聞き、それをその場で紙やスケジュール帳に常に書き記してメモ書きを繰り返すのだが、その書き記した事を後から先生から細かく質疑応答をされたり、それをこのクラスの生徒さん(高次脳機能障害者)の前で喋る事が授業風景だった。

例えばだが『皆さん、千葉リハビリテーションまで来る交通手段を事細かく書き記して下さい』と先生が仰れば、それに沿って我々は思考錯誤しながら書き記し、それを生徒さん達の前で述べ上げ今度は逆に生徒さんが述べたらそれを予め配られた紙やスケジュール帳に書き記す様に指示され、先生が『○○さんはどうやって千葉リハビリテーションまで来られているか仰ってくれますか?』と、それぞれの生徒さんに質問をされ、それを生徒さんの前で述べ上げたりし答えをすり合わせて限り無く正確な答えに向って生徒さんが頭脳を使ったり致す。

先生が我々生徒さんに向って『高次脳機能障害に成ってしまった最大の原因は何ですか?』たるケースも有り、それを書き記し生徒さん達に向って述べ上げ、逆に生徒さんがひとたび述べれば我々生徒達が書き記す事を致す。

高次脳機能障害は記憶を保っている事が非常に難しい病なので『一にも二にもメモ書きが基本』なのを先生は導いて下さったのだろう。

この一時間半の『グループ訓練』の授業風景を総括すると極めて民主主義であり、高次脳機能障害者の尊厳を守って下さり、先生(司会者)や困った時にサポートをして下さる常に後ろで立っておられた職員さんは非常に親身で親切でした。

 このリハビリ中には先生や職員さんが時間を計測されるテストが必ずや2回~3回は行われていた。

生徒さん達にプリントが配られ、そこには私が『高次脳機能障害』と診断されるまでに千葉リハビリテーションで徹底的に受けた心理テストと酷似していた。

なるべく速く・正確・さが問われるのが基本であり、出来たら手を挙げるスタイル。

生徒さんが手を挙げた瞬間に先生や職員さんがストップウォッチを押し、全ての生徒さんの手が挙げ終わった後に先生が『高野さんは5分30秒でした』と、それぞれの生徒さんの名を挙げて精密な時間を述べて下さるのをテスト用紙に、その自分の時間を書き記し職員さんが回収する事を繰り返すテスト。

この時の私の結果は6人の生徒さんが居た場合、常に5番目でありヘタすればラストの6番目だったりと・・・同じ高次脳機能障害者の生徒さんのクラスの中でも私が一番『知能指数が低かったのであろう』

そして一時間半のリハビリが終わる頃にプリントされた『宿題』が必ず配られ(枚数はマチマチ)持ち帰った宿題は自宅で次の週のグループ訓練の時に提出をする事を毎週繰り返す。

このグループ訓練にはクラス替えでは無いが生徒さんが入れ替わったり新しい生徒さんが来たりするので、私は沢山の高次脳機能障害者の患者さん達をこの目で見てきた。

高校生で部活の帰りに車に跳ねられて高次脳機能障害者に成ってしまい周囲の人々から理解を得られなく・・・学校生活を普通に送る事が出来なく成ってしまった気の毒な若者や大学生の学生さんだったり・・・彼女と結婚する前提に付き合っていた20代前半の若者が高次脳機能障害者に喫してしまい結婚する事が破綻しまった20代の若者や『麻痺』が残ってしまい身体を自由自在に動かせない若い女性に男性や『てんかん持ち』に成ってしまい何度も倒れたりする方だったりと・・・それこそ多種多様過ぎた。

私は車椅子を使う身体障害者でも無く麻痺も残らなかったのが不幸中の幸いだったのだが・・・その代わりに身体的な障害では治す・治る事が今の医学では不可能な『同名半盲』(視野の半分の欠損)たる不治の病ですが健常者の方は、この機会に左目を瞑ってみて欲しい、それが、この『同名半盲』を簡単に体験出来るからだ。

実生活を暮らしてゆく中で左側がみえないだけで、たちまち外出が怖く成り常に頭を左側に向けてなくては成らない生活を強いられてしまう訳だ。

今では初めて会う人などに『高野さん』『憲一さん』は『いつも頭を左側に向けておりますけど癖なんですか?』と言われるのは最早・・・慣れっ子に成ってしまった。

私は『人間の防衛本能』の素晴らしさをよくよく知り得た、即ち『左側の視野の欠損』を補おうとし常に頭を左側に向けていなくては成らない事を体が無意識の内に反応してくれているのた。

同名半盲だと私の場合、左側から人や車が真正面まで来ないと気付かない危険な『視神経の病』であり、特に外出は常に周囲への要警戒を強いられる。

3ヶ月間の日赤病院への入院生活を余儀なくされ退院し千葉リハビリテーションに転院し『高次脳機能障害』と『同名半盲』と正式に診断を下され自宅療養に入りながら千葉リハビリテーションの脳外科の診察を受けながら同時進行で妻が運転する車に乗っかり千葉リハビリテーションに通った私は未だに治らない身体的後遺症の同名半盲以外に、もう一つ挙げられるのだが、それは・・・『常に頭がボケーっとしている』極めて不快感な後遺症であり、これを分かり易く述べるとするならば『酒を呑んでよくあるホロ酔い感覚』や『38℃を発熱している感覚』であり、交通事故により死線をさ迷い奇跡の生還を果たした『7年前』より一向に治らない。

特に季節が暖かくなる『5月~9月』が一番辛く・・・自宅療養に入った時は私は即座にオデコに巻ける『アイスノン』を三個に枕の方も、それぞれ三個ずつ購入し年がら年中オデコにアイスノンを巻き、昼寝を含めて寝る時はアイスノンの枕を常に多用していた。

アイスノンにて頭を冷やす時だけは、この辛い不快感からは幾分かは解放され『少しはスッキリ感覚』を味わえる。

この『常に頭がボケーっとしている症状』は高次脳機能障害の本やインターネットで検索し徹底的に調べ上げたが『脳に強い外傷を受けた人』から連なる高次脳機能障害者には珍しく無い症状なのを知り、千葉リハビリテーションの脳外科の主治医の和田先生に『この極めて不快感な症状は自然治癒や薬を飲むにせよ治らないものなんですか?』と問いてみたが『これは治らないんですよ』と返答を得て以来、今は諦めているのですが・・・この不快感を完治出来る方法や手術も含めて治せる方策が御座いましたら、どなたか教えて下さいませ。

 

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