千葉リハビリテーションでの入院生活と徹底的な心理テストと『同名半盲』


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千葉リハビリテーションに入院し毎日、心理テストを五月雨式・徹底的に受けた私『高野憲一』

種類が多種多様・・・有り過ぎて毎日違う内容のテストを受けるので記憶が欠落している部分も有るのだが、覚えている範囲内で書き記してゆこう。

 内容は様々で、とある日は日本人ならではの一般的な通念や知識の質疑応答の繰り返しだったり『今の内閣総理大臣の名前は御存知ですか?』や『燃えるゴミは何故に燃えるゴミの日に捨てるんですか?』や『今は平成何年ですか?西暦何年ですか?』や『今は春夏秋冬のどれだと思われますか?』や『今は何月だと思いますか?更には本日は何日ですか?』や『100からひたすら7を引いて引けなくなるまで引いてってお答え下さい』や『日本国の初代の総理大臣の名前は御存知ですか?』など質疑応答され、私は殆ど答えられないで終わる日も在れば、とある日は小学生でも容易なので在ろうパズルを出され嵌め込んでみて完成させて下さい。と告げられ全く出来なかったり、またとある日は積み木を出され紙に書かれてある絵図の形通りに組み合わせて下さいと告げられ極めて簡単な組み合わせなら完成出来たが・・・チト複雑に成ると完成出来なかったり、とある日は千葉リハビリテーションの内部を心理テストを行う方と一緒に練り歩き続けて、病院内の様々な場所を歩き終わった時に今度は『どこどこの場所に行きましょう案内をして下さい』と私に告げられ歩くこそするが目的地には全く行けずに『今度はここを案内してみて下さい』と繰り返し告げられたのだが私には、その殆どの案内をする事は不可能であり・・・総崩れ状態だった(この後、出してきた画用紙に高野さんの自宅内部を書いて下さいと告げられたが・・・これまた適当にしか書けなかった)

とある日は、パソコンの前に座り予め決められている数字や色や図形などが画面に出てきたらキーボードを押して下さいと告げられ、ひたすら指示通りにキーボードを押し続けたり、またとある日は『物語』を述べてこられ全ての物語の話を述べ終わった時に、その物語の登場人物は名前や物語の内容をどれだけ覚えているかを質疑されたり、また違う日は図形の違いを見極めるテストだったり、決められた平仮名に〇を付けて下さいや決められた同じ数字を見付けて下さいと様々な角度から毎日の様に多角的に徹底的に私の能力のレベルを調べ上げられ千葉リハビリテーションでの心理テストの結果は『知能指数64』『動作性56』『言語性77』だと和田先生により告げられ病名は『高次脳機能障害です』と正式に診断結果を下された。

この時の私の胸中では『高次脳機能障害?聞いた事も無い病だが、そのうち治るんだろ・・・』と自覚症状も全く無く完全に楽観視をしていた。

して千葉リハビリテーションでの入院生活の中で一番困ったのは『喫煙』だった、妻が御見舞に来る時だけ病院の外の林での喫煙所での喫煙が主治医から許可をされ、病室の入口のドアの出入りは看護師に逐一口頭で告げないと病室から出られく・・・私は看護師達に『外の空気が吸いたいから10分程度で戻って来ます』と理由を付けて林の喫煙所まで行こうと何度も試みたが看護師達は何だのこんだのと理由を述べて扉から一切出してくれなかった。

今でこそ病院敷地内全てが日赤病院では禁煙だが、少なくとも7年前の日赤病院はアバウトであり、病院の玄関を出れば敷地内に長いベンチが何本も在り、御丁寧に自動販売機も設置されており、煙草を吸いながら飲み物を買い空き缶を灰皿代わりにして他の患者さんと雑談するシチュエーションが当たり前の光景だったので、千葉リハビリテーションの入院生活での温度差には非常に参りました。

自宅から日赤病院には車で『13分程度』が千葉市緑区誉田までは車で1時間以上は掛かるので妻の御見舞が激減化したのも拍車を掛けた・・・。

煙草大好きな私は今思えば高次脳機能障害者ならではの打算的な考えだったのだが病院の便所で煙草を吸う事を決断した。だが何故だが、この便所には扉なんて無くカーテンの様な物であり、簡単に開け閉めを出来るシステムに成っていたのにはプライバシーを守れて無く一抹の不安が有ったのだが、ひとまずは第一回目の喫煙は成功したのもつかの間、次の日の朝にカーテンを閉めて、糞をしながら煙草を吸っていたら・・・突然2人の女性看護師達がカーテンを勝手に開けて特に一人が怒鳴りこんできたのできたので、私は瞬発的に看護師に向って『プライバシーの侵害ではないか!!まだ俺は糞をしている最中なのだぞ!!』と反論をし煙草を消した(この看護師達の素早い行動には便所には監視カメラが設置しているのか、常に見張られているのかどちらなのか全く該当する理由が見つからなかった記憶が未だに鮮明に記憶に残っている)

私が今思うに便所での糞尿行為はプライバシー問題であり必ずや守られなくては成らない空間だし、これが仮にも『監視カメラ』なんざを設置していたとしたら社会問題だと私は今でも思う。

して私が糞をしながら喫煙してた事を看護師達は早速、主治医の和田先生に報告をした模様で、その日のうちに主治医から呼び出されて和田先生により滅茶苦茶怒鳴られた。

ここで私は、この不自由でマトモにも自由な行動を取れない千葉リハビリテーションを『即座に退院し己の自由を守る事を絶対に貫き通す!!』という確固たる信念からの覚悟を決めて『中度知的障害者』ながら作戦を立案をした、それは妻を協力者にさせる事であった。して次に妻が御見舞に来た時に妻に向って『もう・・・入院生活にはウンザリなのだ!!俺が退院すのに何が何でも協力し助力をしてくれたまえ!!』と事前交渉をしたが妻はどこまでも否定的では有ったのだが・・・妻と千葉リハビリテーションの駐車場の車の中で2人で長時間話して己の心情の全てを露呈し、結局だが妻は渋々・・・主治医の元まで来させて・・・イザ!!主治医の和田先生の元に夫婦並んで私から正々堂々と和田先生に向って『本日を持って俺は退院を致す!!俺は何もかも束縛されるのは最早・・・真っ平御免なので、このまま退院をし荷物を持って絶対に自宅に俺は帰ります!!』と和田先生に強弁したところ、本日退院する交換条件として『月1の通院からの薬の処方と週一のグループ訓練という脳のリハビリにだけは通院を必ずして下さい』と条件を持ち出してきたので私は本日中に帰りたい一心で、その条件を仕方無く呑んだ(結果的に今思うと、この判断は良かったと思える)

早速『退院手続き』を早急に済ませ、荷物を纏めて車に乗り込んだ。

そして・・・いよいよ『高次脳機能障害』の私を囲んだ、妻の高野直子に長女のなつきに次女のあさに妻の両親である小倉義生・小倉和子と再び暮らす自宅療養が始まった(コレが後に小倉家ひいては妻の直子により私が果てしない地獄のドン底まで叩き落とされる多大なる大不幸な未来に繋がるとは、この時点では私には予想ただにつかなかった)

ここでブログの記事の主題に書き記した『同名半盲』の話に繋がるのだが、先ず正面に人と向き合っても左耳や左肩が全く見えない事に何度試しても『見えない物は見えない』と結論に辿りついた、自らの左腕を挙げても正面まで腕を曲げないと見えない事も気付き、よく左足からつまづく様に成ったり、左肩をぶつける様に成ったりする事が頻繁に多発し食卓に料理が並べていても左側の『おかず』が置いて在るのも逐一・・・首を左に向けるか両目を逐一ギョロりと動かして左側を見なければ何もかも見えなく成っていた。

歴史が好きな私は己自身を冷静に考察をしてみた(本能からなのだろう)正面から右側は見えるのに何故ゆえに真正面から90度左側だけが全く見えないのだと、先ずは徹底的にググって検索をしてみたが『半側空間無視』や『同名半盲』たる病名に辿り着き、千葉県では極めて質の高い成田図書館(二階は貸し出し禁止の文献が存在する)に出向いて高次脳機能障害関連の本や目の病の本を大量に借りてきて片っ端から読んだところ『これら・・・本は俺の事を見て書いたのではないのか?今の俺そのまんまではないか!?』と特に高次脳機能障害の本は今の私そのまんまだった・・・早速、妻には沢山借りてきた高次脳機能障害の本と目の病の本でも『これは大変な病だから先ずは高次脳機能障害の本を徹底的に読んでみてくれ』と指示をし、ついでに高次脳機能の事を詳しく図解し説明されているのをインターネットでググって検索をしてガラケーの『お気に入り』に一旦入れ、その高次脳機能障害関連をお気に入りから妻のメールにURLを貼り付けては何度も何度も送ったのだが・・・成田図書館から選んで借りてきた沢山の高次脳機能障害の本にせよ高次脳機能障害たる病をにお気に入りから抽出しメールにURLを貼り付けて妻の携帯電話に送った物にせよ『妻は本の一ページすら残念ながら全く読んでくれなかった。に加え比較的・・・読み易い筈で在ろうグーグルからのインターネットならではの『高次脳機能障害の入門編』に関連する記事すらも全く読まずに拝見すらもしてくれなかった(この妻は病を理解しようとしない杜撰さが後に大きな悲劇を生み出す原因と成る)

妻なんざに頼ってられないので、次の千葉リハビリテーションの診察日に主治医の和田先生に私は『和田先生!!俺は左側が暗闇に成っていて左側の物が全く見えないんですが、己なりに調べた結果では半側空間無視同名半盲ではないですか?』と問いてみたら和田先生は『半側空間無視では無く同名半盲の疑いが極めて高いので病院内の眼科で検査を致しましょう』と動きは迅速だった。

で日取りが決まり眼科の検査をしたのだが面白い検査内容だった、黒い箱の中を両目で覗き込み、真っ暗な中で大きさも様々だが、星の様な光が左から流れてきたり右から流れて来るのたが、流れて来る光が見えたら予め手に持っているボタンを押して下さいとの事で一先ずは検査を終え・・・視力検査に移行したが、右目『1・2』左目『1・0』と視力には何ら問題は無いが眼科の医師が述べるには『大事故たる目に遭い右脳が壊死してしまい目の視神経が切断されてしまいまして・・・これは紛れも無い同名半盲にて御座います』と告げられ私は返す刀で、いずれか・・・この視神経とは繋がるものですか?問いてみたところ、この眼科の医師は『今の医学では完治する事は不可能です。大変済みません』と頭を下げられた。

即ち『不治の病』を抱えてしまった事と成り併せて高次脳機能障害の本を熟読し常に検索したインターネットで高次脳機能障害の症状からの全貌全てを読んだ限り・・・私は『不治の病を二点も抱えてしまったのか・・・』と己自身に降り掛かった事の重大さを徐々に気付き始め未来への暗澹たる絶望を感じ始めた私『高野憲一』・・・。

今後・・・まだ幼い娘達の事を一体どうやって一人前まで育て上げるのか!?『なつき』が6歳に『あさ』が生まれたばかりだ・・・。

 

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