高次脳機能障害者を全く理解してくれない人々との別れ(親戚編)


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前回の記事では士族の私の婆ちゃんが逝去されて何ら私には訃報の御知らせも伝えられないまま…告別式にすら呼ばれなかった私だったのだが…実弟の高野卓の嫁さんから『高野よし婆ちゃんの亡くなった正確な日』と『告別式の日』を始めはLINEから知らせてくれ、私は即座に実弟の嫁さんに電話を入れ事実確認をした。

数居る栄えある初孫の私へ『よし婆ちゃん』の逝去すら知らせてくれなかった実父に義母に事実確認をせんが為に電話を入れ様とも一瞬は思ったが、いくら険悪な仲に成ったとは言え『いくらなんでも…よし婆ちゃんの逝去は親父か義母から知らせてくれる筈だろう…』と踏んで、ここは…キチンとした電話連絡が来るまで私は泰然自若と構える事とし8月7日から一歩も表に出ないでひたすら分譲マンションの自宅でひたすら一報を待った…敢えて私の方から電話を入れないで、両親からの訃報の知らせと告別式の日取りや時間の御知らせの電話を待つ事にしたが、既に実弟の嫁さんから伝えてもらった日付である『よし婆ちゃんの亡くなった日』や『告別式の御知らせ』すら一切来なかった(私の保険金のユスリタカリするのには電話で勤しむのに、一大事である訃報や告別式の御知らせをしてこないという両親には言語道断!!最早…私は両親だとは完全に思わなく成った)

よし婆ちゃんが逝去される半年前の話に成るが遠因は在った…親父と険悪な仲となり私の方から親父から離れて行き連絡を遮断し、恒例の高野家一族が集まる元旦に今年は私は初めて顔を出さなかった(平成28年1月1日)

高野家の一族が毎年集まる場所は日本経済新聞の申し込みハガキのポスティングで一代を築いた社長の『高野二郎さん』の自社ビル兼自宅(北区滝野川)

この叔父の高野二郎さんの事は以前の記事にも記載した事が在るが、自賠責保険金から十代の頃に部屋を借りる為に借りた借金を返しに成田から赴いた時に『一切受け取りを拒否した素晴らしき叔父』として以前に紹介をしたが…この元旦に私が顔を出さなかったのが気に食わなかったのと親父と私が険悪な仲に成っており『親父の高野義宗』の述べる事を既に丸呑みしており電話が掛かってきた…その内容とは逆に『卓(弟)に金をあげろ!!』に『やっぱり借金は返してくれ!!』と天地がひっくり返った驚愕の言い草だった…。
この電話が毎日続いた(1月~3月まで)
二郎さん『卓が金に困っているんだから100万円ぐらい金を差し出してやれよ!!』(完全に親父そのまんまの物言い)
私は二郎さんに対して絶えずこう述べた『俺は…もう働けない身分の障害者であり収入が一円も無いのですよ!!仮にも俺が再び家庭を持って家を新たに購入したり子育てをしたら一体誰が我々家族の事を面倒を見てくれるんですか?この自賠責保険金と任意保険金は俺が重い後遺症を持ってしまった命の代替え金であり…金の重みが違うんですよ…二郎さん!!俺が宝くじで当たった金や事業で大成功をして得た金では無いんですよ!!高次脳機能障害たる病を根本的に分かっていないみたいだから簡単に言われるけど、俺は最早・・・人に金をおいそれと右から左に簡単に貸したりあげたりする事が出来ない人間なのですよ・・・全て使い果たしたら生活保護受給の権利は十分に持っているけど、そうならない様に保険金は大切に使わなくては成らないのですよ!!』と返答すれば・・・二郎さんは何とぶったまげた事に『全てを吐き出し生活保護受給者に成って生活するのも仕方が無い!!もし…憲(ケン)が卓に金を出せば俺が介護保険料の手続きをするのに兄貴(高野義宗)の事を説得する!!』私は返す刀で『卓がそんなに困っているとは到底思えませんね・・・何故なら夫婦揃って頻繁にパチスロを打ちに行けるだけの金が
在るのは一体何故でしょう?そんなに卓の事が心配ならば、金持ちの二郎さん自身が卓に金を差し上げたらどうですか?俺は実の兄貴とは言え・・・俺は就労不能の障害者なんですよ!!介護保険料の手続きですが、あの偏屈者の頑固者の親父では手続きなんて何を言っても無駄ですよ、行政機関の職員達の粘り強い説得すらアッサリと蹴ったぐらいなんですから』と到底・・・同じ一族とは考えられない物言いであり・・・少なくとも血族の人間が述べる台詞では無いだろう。

通常の一般常識が在る人・更には血族ならば先ずは障害者に金の無心なんざ言語道断な話であり『降りた多額の保険金は100円すら後生大切に使い工夫をして生活保護受給者に成らない為に最善策を常に取るんだよ!!困った事が有れば何でも気軽に伝えてね!!』と導き出すのが正しき見解の筈であろう。

遠因を話したところで、話は戻るが『イザ!!よし婆ちゃんの告別式の日』

もしかしたら・・・弟の嫁さん情報通り、この日が告別式でありギリギリの当日に告別式の御知らせが来る可能性も視野に入れて、この日も私は連絡が来ても即座に都内に向かえられる様に・・・喪服を着て香典を準備万端に用意をして自宅から一歩も外に出ずに自宅で待機をしていた。

諦め掛けていた『夜8時頃』電話が掛かってきた!!

先ずは前述に挙げた高野二郎さんの電話だった『高野家一堂が告別式に来ているのに何故にお前だけ来ないんだ?』と述べてきたので、私は逆に驚き『告別式も何も婆ちゃんが亡くなった事すら俺には何一つ親父や義母から伝えられていない中で告別式の日や時間や場所すら俺は何も知らないのですが?』と述べれば『ケンに伝えなかったのはお前に原因が有るからではないのか?』と来たもんだ!!
私は『いくら険悪な親子関係の仲で俺から離れて行ったとしても、大御所のよし婆ちゃんが亡くなったら即座に伝えるのは普通でしょうよ…それとこれは別問題じゃないんですか?』と正論をど突いてやったら・・・二郎さんの双子の私の叔父ではある『一郎さん』に電話が代わり何だか知らぬが爆発的に一方的に怒っており30分間に渡って散々・・・脅された『成田に行って殺しに行くから覚悟しとけよ!!』や『ぶち殺してやるから今からこっちに来い!!』に『成田のどこに住んでるかなんて調べ上げて殺しに行くからな!!この・・・糞ガキ!!』と怒号を挙げている興奮状態であり、私が『何を怒っているのか知りませんが、殺すなんてのは殺害予告で捕まりますよ』と冷静に対処しても『お前には弁護士も付いているんだろ2人とも纏めて殺してやるから弁護士も連れて来い!!警察なんて怖くも何ともねぇんだよ!!俺は元々は極道だったのは知っているだろ!!』と、30分間だけで『殺すと70回』は脅迫され言われ続けた由々しき事態(因みに・・・この高野一郎さんの店は板橋駅が最寄り駅のアド街ック天国に何度も放送され続けている有名な居酒屋:昭和)

私は極めて恐怖を感じたので警察庁や警視庁に通報する事も熟慮したが、様子を見る事にしている今(仮にも怪しき人物が自宅に来たならば即通報する構えでは居る)

即ち!!これら高野二郎さんにせよ高野一郎さんにせよ長男である兄の高野義宗の言葉だけを全て丸呑みし『高野憲一』たる障害者を悪人に仕立て上げている分かり易い構図であり、諸悪の根源は全て『高野義宗』そのものであり、その責任重大の過失なのである(有ること無いことを勝手にバラまいている張本人)

なまじか・・・高次脳機能障害者とは判りにくい病なので、高野家一族は、私が自賠責保険第②級だと認定された重態な障害者なのだと根本的に全く分かっていない低落ぶりなので、私は『高野家一族』とは絶縁する事は既に決めている!!

元妻の高野直子にせよ(小倉親子)私の高野家一族にせよ・・・一番信頼・信用出来る筈であろう人々に裏切られたり、障害者の保険金の摂取・常に金の無心をされる高次脳機能障害者の私にとって安堵なく平和に暮らして生きて行く事が出来ない非常に辛い世の中です(裁判所も成田警察署も余りにも杜撰過ぎますし酷過ぎます)

例えば、私の友人で広島県に住む交通事故に遭い、高次脳機能障害者に成られた女性も4人の男達に降りた保険金を分かっているだけで2000万円は摂取や着服され騙されてしまい、その男達は詐欺で全員検挙されましが『高次脳機能障害者は人に簡単に騙され・・・そそのかされてしまい非常に詐欺に遭い易い病ですので重々呉々も気を付けて下さいませ』と法務省や法務局から私は散々・・・聞いて参りました。

高次脳機能障害者は常に『己の身は己で守る事!!』に『決してその場では決めない事!!』に『金は貸さない!!』が基本中の基本なのは私の実体験から述べられる本音です。

 

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高次脳機能障害者を全く理解してくれない人々との別れ(親父編)


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私の実家である杉並区の阿佐ヶ谷に住む実父の高野義宗は『清水先生(弁護士)』から引き継いだ二人目の補佐人ではあったが…私の財産を守るどころか私の弟が『仕事で困っているから降りた保険金から100万円ぐらいあげろよ!!』など果てしない繰り返しだけであり『病の回復状況はどうだい?』なんて心配をしてくれる『優しき言葉』も一言も述べられた事すら皆無であり…当然、マトモな話し合いにも成らなくなるので、毎回電話での親子喧嘩は当たり前の様になるのは極自然の流れであり極めつけは…とある高次脳機能障害の家族の会の責任者に『自賠責保険第②級クラスの方の重い後遺症のお持ちの被害者さんでしたら独立行政法人自動車事故対策機構NASVA(ナスバ)を通して国土交通省から介護料が降りるので一度NASVAに問い合わせてみて下さいね』と電話で助言されたので、早速私は『NASVA』に電話を入れたら短い期間のうちにお二人で私の自宅の分譲マンションにに来訪して下さった。
『都内に悪意の有る遺棄』をされた高次脳機能障害者の私には嫁さんも居なければ、高野家一族の血族達は全員都内に居住しているなかで、誰一人も高次脳機能障害に何ら理解すらもしてくれなく…根本的に私の事を親身に成って介護をしてくれる血族は誰一人も皆無な現状なんですよ…私は…週三回の介護ヘルパーに手助けてもらって…やっとやっと独り暮らしをしている状態なんですよと。来訪して下さったNASVAの職員さん2人に正直に露呈をしたら…職員さんは『二回目に補佐人に成られた時がある高野さんのお父さん(高野義宗さん)に介護をされている方に致しましょう』と提案を出されたのだが、高次脳機能障害者の事を全く理解してくない父の事だし…私には嫌な予感が走り一抹の不安がよぎったので…私から電話をするのでは無くNASVAさんの職員さんからこの場で私の実父に細かい説明をして頂く為に電話を入れて下さいと頼んだのだが…やはり…案の定…実父は『協力はしたくない』の一点張りたる展開には流石の私でも滅茶苦茶…驚きました(私の腹の中では…それでも実の父親なのか!!)NASVAさんの職員が説得を続けても、
実父の高野義宗は頑なに拒否をしてきたので…私が電話に変わって『仮にも俺の子が自賠責保険第②級たる重い後遺障害を認定をされた子供が国土交通省からNASVAさんを通して介護料を支給されるように手続きを一目散に始動するのが一般的な父親の役割ではないのか?では…このまま権利をみすみすと放棄をすると言うのか?』と述べても…一向に拒絶してきた。

この…遠因にあるのは、年がら年中…私に電話をしてきては、私の実弟である『卓に100万円ぐらいあげろよ』たる私の保険金を摂取しようとあの手この手を使っての繰り返しを私は頑なに断った挙げ句、こんな父親が補佐人たる存在に、いつまでも居座っていたら『高野憲一の全財産を預けておくのに安全・安心していられる保証は全く無く危ぶまれる危険性を感じた』ので補佐人を解任した事を不服に思っていたのだろう(即ち私は小倉親子に詐欺られた二の舞だけは絶対に避けなくてはならないので佐倉裁判所に補佐審判取り消しによって親父の事を解任をしていたのを恨みに持っていたのだろう)

通常の両親ならば『そんな…恩恵を…お国から享受出来るなんて生活費が非常に助かるではないか!!どんな書類を揃えれば介護料を支給されるように成るんだい?迅速かつ早急に揃えるから教えてくれたまえ!!』と逆に喜んで協力するのが『本来の家族のありまじき姿』が親子関係の一般的な概念・通念の筈だろう。

こんな一悶着が有ったにも関わらず、相変わらず電話を掛かってきては『金の無心』ばかりで、ホトホト嫌気が差したので親子の縁を切る覚悟を決し私は父親からの電話を『着信拒否』を判断致した。

親父と一緒に暮らしている義母の田村恵美も『卓に何故、金をあげないの?』と完全に夫婦揃っての出来レース!!

私は主治医に言われた事をそのまんまを2人に電話で何度も告げてはいた『何も高野憲一さんは事業で大成功した納めた人でも何でも無く交通事故によって車に一方的に跳ねられてしまい重い後遺症を患ってしまった代償金なのですよ!!働けない高野憲一さんにとっては一生大切に使って行かなくては成らない貴重なお金なんですからね』とそのまんま告げてやっても『働く事は出来る筈』『自分勝手だ』と全てにおいて高次脳機能障害というものを全く理解・把握していない総崩れ状態…。

私は病発症以来…高次脳機能障害の本を片っ端から読んできたが『橋本圭司の高次脳機能障害』や『日々コウジ中』が殊更お気に入りで親父にも、それら本を贈ったが全く読んでいない有り様(通りで一向に理解せん訳だ)

これら贈った本を徹底的に読んでもらい高次脳機能障害とは一体どんな難解な病なのかを理解してもらう様に何度も促しても…それは無駄だった…。
それと同時に千葉リハビリテーション発の高次脳機能障害のパンフレットを私は大量に頂いてきて、これまで色々な人々に配ってきたが…肝心の親父に手渡しても…たった一言『見なくても分かっているよ』と息子が大変な病に患ってしまった危機感なんざ、まるで皆無だった。

幼少期から親父を見て来たが、少しでも反対すると『暴力』によって全てを片付けるという殴る蹴るは日常茶飯事であり今なら問題に成るだろうバリバリの『児童虐待』そのものの家庭環境であり、度を超した厳しさであり私は幼少期は『独裁者』と暮らしていた不憫な思いをした(私は17歳の時に暴力に耐えられず家を出て独り暮らしをしていた程だ)
私と親父と合わない…その根本的な理由とは私は『民主主義者』であるが親父は『共産主義者』だからなのだと、私は考察している(即ち言論の自由表現の自由すら守られていない一党独裁の家庭環境)

そんな訳か険悪な仲に成っていた…2016年平成28年8月7日に大正4年1915年生まれの酒井家と武田家の分家たる士族の毛並みが良かった『高野よし』婆ちゃんが自宅で逝去されたが(享年101歳)私には訃報を知らせる連絡は一切来なかったので『高野よし』婆ちゃんの死に目にも立ち会えなかったし、高野家一族全員が出席した告別式にも私ただ一人だけ呼ばれなかった(高野家長男の親父とは着信拒否にはしていたが例えば義母や親戚を使えば、いくらでも私に訃報を知らせる事は可能だった筈だ)
高野よし婆ちゃんにとって私は栄えある一番最初の初孫であり、日本では一割しかいない士族の血統に私は誇りに持っていた。
歴史が大の趣味の私には高野よし婆ちゃんは貴重な歴史の生き証人・生き字引だったので、戦前の日本国の時代情勢や世界情勢・背景に大東亜戦争突入から敗戦直後の日本国について、その時の日本国民の暮らしなどをリアルタイムに聞けるので対話するのは非常に楽しかった。

私は実父・親父である高野義宗が死亡しても葬式には絶対に顔を出さない決意を既に固めている…。

 

追伸:マスコミの取材や出演・医療関係者・高次脳機能障害の関係者・法律家・政治家・等の方々の質問を常時受付ておりますので、私のLINEのIDとメールアドレスを貼り付けておきますので、お気軽に連絡を下さい。

 

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私の鑑定書(平成24年1月25日)


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補佐人の弁護士を雇い入れるにあたって佐倉裁判所に『鑑定書』を提出して下さいませ。と指示をされて私は千葉リハビリテーションから日赤病院に管轄が移行していたので、私は日赤病院の精神科の佐藤先生に相談をし様々の入念な検査を受け『鑑定書』の書類を作成して頂き佐倉裁判所に提出した(私が都内に悪意の有る遺棄をされて、まだ高野直子と離婚調停をする前の話)

この鑑定書は高野直子との離婚調停時や小倉義生への訴訟時などに裁判所や成田警察署に刑事告訴をする時に提出をし、フル活用をしてはきたが・・・何ら役には立たなかった事を補足しておく・・・。

だが!!唯一役に立ったのが『精神障害者手帳が③級』から『②級』に格上げされたのみであり・・・裁判所や成田警察署の連中達は、実際に私がどの様なレベルの人間なのかをまるで理解をしておらず把握をしていなかったから、裁判所も成田警察署も一連の真偽性を見抜けなかった事に帰結する(高次脳機能障害者は我が国日本の認識度が低過ぎるのが現実)

 

【鑑定書(成年後見用)】

平成24年1月25日に成田赤十字病院において行った頭部MRI検査では、右大脳半球の皮質(側頭葉・後頭葉を中心に)~白質に広範囲に高信号域を認め、壊死や脱髄状態が考えられ、右大脳が萎縮しているという所見であった。

 

【精神の状態】

①意識/疎通。

あいさつ、会話は普通には出来る。

やや多弁で迂遠な傾向はあるが、疎通性に問題はない。

②記憶力。

表面的には日常会話は可能だか、診察時の質問で今日は何日か?何曜日か?などが答えられなかった。

平成24年1月24日に行った記憶力の検査であるウェクスラー記憶検査法『WSーR』においては『言語性の記憶』と『視覚性の記憶』から構成される『一般的記憶』の指標は、35歳~44歳の平均が100であるのに対して、本人の指標は50未満であり、記憶力全般が重篤な障害を被っていると考えられる。

WMSーRの細部をみると『注意/集中力』に関する検査である『数唱』などでは比較的高い値となっており、数学や単語をいくつか覚えるといった記憶作業は無理なく行えるようであるが、対になった単語の記憶の再生に関する『言語性対連合』では難易度に関係なく言葉の組み合わせを記憶することが困難であった。

見当識

平成24年1月に行ったWMSーRの『情報と見当識』の中で『今月は何月ですか?』に対しては『1月』と答え『あなたの今いる場所は何と言いますか?』については『日赤ですか』と答えたものの『今年は何年ですか?』の問いに対しては『23年ですか、24年かな』と曖昧であり『今日は何日ですか?』に対しては『20かな21かな』と正しく答えられず『今日は何曜日ですか?』に対しては『わからない』と言い、大体の日時、場所は言えるが正確さを欠いており、軽度の見当識障害が存在するものと考えられる。

④計算力。

診察時の問いで『7+4』は11『23+28』は51『100-93』は7『20000-18500』は1500と答えるなど、簡単な計算はほぼ可能であったが、平成24年1月17日に行った知能検査『WAISーⅢ』の『算数』の項目の中で『せっけんが1箱に6個ずつ入っています。36個のせっけんを買うと何箱になりますか?』という質問に対して『3個』と誤答し『1個25円のものを6個買うと何円になりますか?』に対して答えられなかった。日常生活上のごく単純な計算は可能であろうが、多少複雑な計算は困難な計算は困難であると思われる。

⑤理解力・判断力。

簡単な質問にはある程度答えられ、平成24年1月17日に行った知能指数『WAISーⅢ』の言葉の意味を理解度をみる『単語』の項目では『人権蹂躙』を『人の権利を踏みにじること』と答え『言語道断』を『全く話にならない。許せない。』と答えるなどほぼ平均的な言語理解度を示していた。

また、同じ検査の『理解』の項目の中で『ゴミを分別して出すのはなぜでしょう?いくつか挙げて下さい』の問いに対して『燃やすと有害なものが出る。モラル。リサイクルとか。』と答え『薬屋で特別な薬を買うときに、医師の処方箋が必要な場合があるのはなぜでしょうか?』の問いに対して『患者のニーズに合った薬にする。診断してその人に合ったものを出す。』と正しく答え、この項目でも平均的な値であった。

従って⑧に示すように、全体として知的な障害を来たしているものの、物事の理解、判断力に関しては著しくは損なわれていないということができる。

⑥現在の性格の特徴。

面接時はやや多弁で、聞き手の意向を関わらず一方的に話し続ける傾向がある。

全体としては穏やかな対応である。

⑦その他(気分・感情状態・妄想・異常な行動等)

面接時、やや多弁で迂遠だが、感情の易変性などはみられなかった。

当科には、不眠、抑うつ状態にて通院しているが、現在は内服していて落ち着いており、抑うつ状態は顕著ではなく、幻覚妄想および他の異常もみられなかった。

⑧知能検査・心理学検査。

知能検査は平成24年1月17日にWAISーⅢを行ったが、言語性IQは78であるが、動作性IQは50、全IQは62で、全体として軽度知的障害のレベルであり『言語理解』が平均の下であるほかは、主として視覚一運動に基づく知覚や認知の能力を見る『知覚統合』や処理・操作のための記憶の能力をみる『作業記憶』処理のスピードをみる『処理速度』は、いずれも著しく低く、日常生活に重篤な支障を来すレベルであった。

知能に関しては、記憶能力を含めた認知機能全般に重篤な障害が認められ、言語能力は比較的保たれているものの平均の中で下位の方であり、視覚的な推理、記憶全般、思考スピードなどは重篤な障害を持っていると考えられる。

【生活状況及び現在の心身の状態】

平成24年7月2日以降自宅に戻れなくなりホテルで生活をしていたが、同年8月に成田市大袋に家を買い、そこに一人で住んでいる。

何とか生活をしているが、困ることは、日にち・曜日の感覚、東西南北の感覚が混乱し、しばしば道に迷い、千葉に行こうと思っても茨城に行ってしまったり、イトーヨーカ堂に行っても出口がわからなくなったりするという。

電車の乗り間違えなども多いという。

常に地図を片手に持ち歩いている。

電化製品が使えず、料理が出来ない。

洋服の着間違えも多いという。

また人の真意を見抜けず、詐欺に遭いやすい。

日常の買い物はできるが、高価な物を買ってしまうこともあるという。

また、左側が見えないため、人にぶつかりやすく人混みが苦手であるという。

【既往歴及び現病歴】

特記すべき既往は聴取できない。

平成21年4月19日長女なつきと成田市内の道路で自転車を押しながら歩いていて、走ってきた自動車と正面衝突し頭部を打撲し成田赤十字病院救急外来に搬送される。

脳挫傷、右急性硬膜下血腫の診断で同院脳神経外科に入院。

同年7月14日成田赤十字病院での急性治療終了し、後遺症の高次脳機能障害に対するリハビリテーション目的で千葉県千葉リハビリテーションセンターに紹介されたが、本人が入院を希望せず同日退院。

その後、高次脳機能障害に対するカウンセリング目的に同センターに通院していたが、平成22年1月5日に抑うつ状態を呈し、希死念慮を訴え、同センター精神科に紹介され受診。

抗うつ剤等を処方され、安定に向かうも記憶障害、抑制低下を残遺したという。

平成23年6月1日自宅近くでの通院治療を求めて、当院を紹介され当科を初診。

同センターの紹介状によれば『道がわからない』 『探し物が出来ない』といった高次脳機能障害のほか、左同名半盲があるが、麻痺はないとのことであった。

以後当科通院を開始したが、平成23年7月5日20時過ぎ『7月2日に妻と義父に突然別居を突き付けられ死にたくなった』とのことで千葉リハビリテーションセンターの元主治医を訪れ、同医師の紹介で当院救急外来を受診し何とか自殺は思いとどまり、その後は当科に通院をしている。

 

【説明】

本人は平成21年4月19日の交通事故により脳挫傷を来たし、後遺症として高次脳機能障害を来たしている。

高次脳機能障害とは様々な原因で脳の一部が損傷を受けることで、記憶、意思、感情などの高度な脳の機能に障害が現れる場合を言うが、本人に置いては、大脳右半球の挫傷により、記憶能力、見当識、計算力、認知機能などの障害、知的能力の障害を来たしているということができる。

現在、一人暮らしが出来ていることから、単独での日常生活は何とか可能だか、検査上明らかになった計算、記憶、認知の障害を抱えた状態では多額の金銭管理等は困難であり、自己の財産を管理処分するには常に援助が必要であると考えられる。

本人が呈している高次脳機能障害は、脳挫傷によってもたらされたものであり、右大脳半球が広範囲に渡って壊死、萎縮している状態であり、将来、現在の状態が回復する可能性はないものと考えられる。

 

追伸:この鑑定書には『軽度知的障害者』と記載してあるが『7年前』に前方不注意・脇見運転の車に跳ねられ交通事故を喫し意識不明のまま救急車で成田赤十字病院に運ばれ『死線をさ迷い』入院していた初めの頃の私は『中度知的障害者』と日赤病院の入院中に医師から伝えられ『高次脳機能障害の疑いが極めて強い』と示唆され・・・千葉県では高次脳機能障害には極めて特化されている千葉リハビリテーションに転院を薦められ転院をし千葉リハビリテーションにて・・・沢山の心理テストを受け『高次脳機能障害』と正式に診断を下され『同名半盲』たる病まで判明致した。

全国の高次脳機能障害者の方々へ告ぐ!!

高次脳機能障害者とは認知症に酷似していると謳われるが決定的な違いが有る!!それは・・・これ以上、症状が悪く成る事は無い!!どころか回復や改善を己次第で見込まれる病であり必ずや覚醒する時が到来して来る病なのである!!』

私『高野憲一』は36歳にして就労不能と診断され高次脳機能障害者に同名半盲たる病を抱えて早『7年間』が経過し今は43歳に成った・・・。

誰からも理解されずに逆に妻たる家族にまで騙され自賠責保険金を散々に渡って摂取され続け、最終的に都内に『悪意の有る遺棄』までされ・・・誰からも抜本的な手助けを得られずに一人きりで何とか生き抜いてた・・・この7年間は楽しき・・・ひと時なんざ数える日しかなく『辛い思い出』しか見当たらない高次脳機能障害者の悲惨な末路を現在も続行中の身だが、私の様な第2・第3の被害者を生み出さない為に『スマホ』をわざわざ買ってまでし私はブログを立ち上げた(スマホの操作方法が高次脳機能障害者とっては極めて難しいので・・・私は大人の家庭教師のトライから家庭教師を雇ってまでして操作方法をノートに書き記しながら日々奮闘している)

過去の記事でも挙げたが高次脳機能障害者は『毎日日記』を書き記す事から始めよう(100円ショップで大学ノートを最初は10冊を購入してみましょう)毎日、怠らずに就寝前に何月何日何曜日と記載し、一日に起こった簡単な内容や出来事や思った事・感じた事を文字化し文章として書き記して行きましょう(リハビリには激お薦めなのが毎日日記)

最初の内は『一行・二行』たる短文が、毎日続けて行くと段々と長文に成るのは私が保証致します(気付いたら一ページ分を書いてしまう事すら珍しくなくなります)

 

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレス:natsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

高次脳機能障害を研究されている方・勉強している方・当事者・マスコミ・取材・法律家・政治家・医療関係者・の方々、お気軽に連絡を下さいませ(日本を変えましょう!!) 

 

貸した金は返金せよ!!⑦古梅弁護士の嘘だらけの答弁書と東京高等裁判所の不当判決!!


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千葉市中央区本千葉1ー1

日土地千葉市中央ビル9階

県民合同法律会計事務所(送達場所)

電話番号0432249622

 

私が交通事故にて患ってしまった病である『高次脳機能障害』と『同名半盲』を相変わらず意図的に文書には一切記載しないという矛盾点だらけの嘘を並べるのが弁護士としての仕事の『古海弁護士』の控訴答弁書を全文記載致す。のと同時に東京高等裁判所の不当なる判決文も記載致す。

 

第1:控訴理由書『第1争点(1)(金銭消費貸借契約に係る返還合意の有無)について』

1:『2:被控訴人の控訴人に対する貸付の事実は認められないことについて』

(1)『(2)被控訴人の財産状況について』

被控訴人が小倉建設を経営していたのは平成14年頃までである。

平成18年5月26日頃には、債務の取り立ても落ち着いており、被控訴人には、訴外直子には、訴外直子に生活費として合計43万3000円を貸し付けることができるだけの資力があった。

(2)『イ:被控訴人が訴外直子に金銭を交付した裏付けがない』について被控訴人は、訴外直子から、控訴人が十分な生活費を渡してくれないので、年々生活が苦しくなっていくと聞かされており、控訴人一家の生活費が足りていないことを十分認識していた。

被控訴人には、娘とふたりの孫を思う気持ちから、訴外直子に、生活費として合計43万3000円を貸し付ける強い動機があった。

また、生活が苦しくなっていくと聞かされていたことから、控訴人一家の生活の様子を確認するために、また、娘やふたりの孫の顔を見がてら、当時東京都世田谷区上馬にあった控訴人宅に行き、確認の後に生活費を貸付を行うことは何ら不自然ではない。

(3)『ウ:被控訴人は金銭を貸し付けたことを前提とした態度を採っていない』について、控訴人一家は平成19年5月に被控訴人宅に移り住んできたのは、家賃が払えないほど経済的に逼迫していたからである。

被控訴人は訴外直子にお金のないことを知っていたため、被控訴人は返金を求めなかったのである。

また、被控訴人は、親子間の情誼から、控訴人や訴外直子に返金を求めなかったのである。

以上により、控訴人や訴外直子にお金のないことを知っていた被控訴人が親子間の情誼から返金を求めないとしても何ら不自然ではない。

(4)『エ:被控訴人が供述する返済に至る経緯は不自然』について、訴外直子は控訴人が十分な生活費を渡してくれないことを理由に、控訴人と言い争いになった際、控訴人に対し、足りない生活費ついては、被控訴人から借りていること、その借入金は合計で40万円程度であることを告げている。

したがって、控訴人は、訴外直子が生活費として借り入れた40万円程度の借金があることは、十分認識していた。

また、控訴人は、一定の生活費を被控訴人に支払うことを条件に一家で被控訴人宅に移り住んだ後、約半年間は生活費を支払っていたが、その後、生活費を支払うことを止めてしまった。

支払わなければならない生活費としての借入金や生活費を支払わないまま、被控訴人宅で生活せざる得ない状況にあった控訴人が、3000万円の保険金を手に入れた(平成23年3月29日)直後の平成23年4月6日に、生活費としての借入金及びお礼として100万円を被控訴人に支払ったとしても、恩に報いる行為として何ら不自然ではない。

控訴人から100万円を受け取った被控訴人が、控訴人の態度に接し非常に感慨深い気持ちになったことからも、被控訴人が控訴人から受け取った100万円は、恩に報いる行為としての返済及び贈与であることは明らかである。

2:『3:被控訴人が控訴人から100万円を借り入れたことを裏付ける事実』について。

(1)『(1)被控訴人による金銭借入れの必要性』

被控訴人は、控訴人が3000万円の保険金を得た当時、借金の取り立てに追われていたわけではなく、経済的に逼迫していたわけでもなかった。

したがって、被控訴人に100万円もの金銭の需要はなかった。

(2)『被控訴人からの貸付についての交渉があったこと』について被控訴人が控訴人に対してお金を貸して欲しいとは言ったことはない。

(3)『控訴人の被控訴人に対する弁済要求』控訴人が100万円の返金を求め始めたのは、被控訴人宅を追い出された後である。

控訴人は、被控訴人から意を反して追い出されたと考えるようであるから、追い出された腹いせに、返済及び贈与として渡した100万円を返せと主張していると考えるのが合理的である。

このことは、平成24年11月12日に成立した訴外直子と控訴人との離婚調停で支払うこととされた養育費300万円についても返還を求めていることからも明らかである。

したがって、控訴人の被控訴人に対する返金請求は、金銭消費貸借契約が成立したことを前提としたを前提とした返済の要求ではない。

(4)『(4)被控訴人による弁済』について被控訴人は、控訴人に対し、平成23年7月21日に及び30万円、翌22日に30万円、合計60万円を返金している(争いなし)

これらの返金は、本来返す必要のないお金だが、被控訴人が控訴人の訴外直子及びふたりの孫に対するDVがエスカレートすることをおそれて行ったものである。

なお、平成23年7月21日に保護命令を申し立てたことだけを理由に、DVについて既に対応済であることは、到底いうことはできない。

申立後、保護命令が出されるまでは十数日は必要であるし『殺してやる』などと言う控訴人のDVの態度からは、保護命令が出された後も、その命令を無視して、被控訴人宅に控訴人が来ることは十分に予想できるからである。

第2:『第2:争点(2)(不法行為の成否)について』

『2(1)交通事故後の控訴人の身体の状況について』控訴人、交通事故後の平成23年6月、ひとりで函館に旅行に行っている(被控訴人本人18頁26行目)また、平成23年7月2日、成田市にある被控訴人宅から、話し合いの場である東京都北区滝野川にあるビルまでひとりで来ている(被控訴人本人18頁13行目)

以上の通り、控訴人は、遺棄されたという平成23年7月2日当時、交通事故の後遺症により不自由はあったと思われるが、ひとりで生活することは十分可能な状態であったし、被控訴人もそのように認識をしていた。

2:『(2)平成23年7月2日の状況について』控訴人が訴外直子及びふたりの子に対しDVを加え、そのDVがエスカレートしていったために、訴外直子は、控訴人との別居を決意し、平成23年7月2日、控訴人の父親に頼んで控訴人が生活する場所を確保した上で被控訴人宅から出て行ってもらうための話合いが行われたのである。

3時間の話合いの結果、控訴人は、被控訴人宅に戻らないこと、及び、別居することを承諾した。

また、訴外直子は、DVの被害に遭いながらも、健気にも控訴人に必要な薬と着替えを持って行ったが、控訴人自身、受け取りを拒否している。

以上の通り、平成23年7月2日には、控訴人自身、被控訴人宅に戻らないこと、及び、別居することを承諾しており、また、同日以降に住む場所も確保されていたし、当座必要となる薬と着替えを用意してもらったのに控訴人がその受け取りを拒否した。

これらの事実からは、被控訴人が控訴人を遺棄したことは、到底いうことはできず、不法行為が成立しないことは明らかである。

第3:結論。

以上の通りであるから、本件控訴は棄却されるべきである。

 

して【東京高等裁判所の不当裁判からの判決文】を記載致す。

第3:当裁判所の判断。

当裁判所も、控訴人の請求はいずれも棄却するべきものと判断する。

その理由は、原判決5頁23行目の『当庁』を『千葉地方裁判所』と改め、当審における控訴人の補足的主張に対する判断を後記2のとおり加えるほかは、原判決の『事実及び理由』の『第3当裁判所の判断』の1から3まで(原判決4頁1行目から7頁3行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

2:当審における控訴人に対する貸金について。

ア:控訴人は、多額の債務を負担していた被控訴人が直子に対し43万3000円もの多額の金銭を貸し付けることができたとは考えられない、自宅のある千葉県成田市から当時直子らがいた東京都世田谷区上馬という遠方まで多数回現金を持参していたというのは不自然である、控訴人が自賠責保険金を受領した後にも控訴人や直子に対して返済を求めたことはないという被控訴人の態度からも被控訴人が直子に対して金銭を貸し渡したことは認め難い、控訴人が被控訴人に対して突然貸金に対する返済と長年世話になった礼の趣旨で100万円を渡してきたとする被控訴人の供述は極めて不自然であるとして、被控訴人が直子に対して合計43万3000円を貸し渡したことは認められないと主張する。

しかし、被控訴人が、合計40万円程度の生活費を娘に貸すことができないほどに困窮していたことをうかがわせるような証拠は存在しない。

被控訴人の自宅のある千葉県成田市と当時直子らがいた東京都世田谷区上馬とか『遠方』という程度に離れているかどうかはともかく、被控訴人にしてみれば、生活費を貸す機会を娘や孫に会うこともできるのであるから、そのために現金を持参したとしても、不自然であるとはいえない。

控訴人が自賠責保険金を受領した後、被控訴人が控訴人や直子に対して生活費の返済を求めていないとしても、もともとの貸付けが親子間の情誼に基づくものとうかがわれることを照らすと、そのような被控訴人の態度によって、生活費の貸渡しを否定することはできないし、また、自賠責保険金を受領した控訴人が貸金に対する返済と世話になった礼の趣旨でまとまった金員を被控訴人に支払った旨の被控訴人の供述が不自然であるとはいえない。

したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。

イ:控訴人は、被控訴人に金銭借入れの必要があったこと、直子と同居していた被控訴人が自賠責保険金の支払を事前に知っていたと思料されると、被控訴人の自宅から追い出された後に被控訴人に対して100万円の返済を請求するようになったという控訴人の行動は控訴人が被控訴人に対して100万円を貸し付けたことを前提とするものであること、被控訴人が控訴人に対して合計60万円を支払ったというのは金銭を借り入れたことを前提とする事実であること、なお、被控訴人が上記60万円を支払った理由とする控訴人の直子に対するDVについては、保護命令の申立てにより既に対応がなされていたことに照らすと、控訴人と被控訴人との間で、平成23年4月6日の100万円の金銭消費貸借契約に係る返還合意があったと認めるべきであると主張する。

しかし、控訴人が指摘する事情のみでは、控訴人と被控訴人との間に、控訴人が被控訴人に対して平成23年4月6日に交付した100万円について、その返還合意されていたと認めるには足りない。

そのた、控訴人主張の返還合意が認められないことは原判決(前記1で改めて引用した後のもの。以下同じ。)の認定、説示するとおりであり、控訴人の上記主張は採用することはできない。

(2)被控訴人の控訴人に対する不法行為について控訴人は、被控訴人と直子が要扶助者である控訴人を危険な場所に置いたまま立ち去る遺棄行為に及んだ旨を主張するが、原判決の認定、説示するとおり、控訴人及び被控訴人のほか、双方の親族も交えて控訴人と直子の別居に向けた話合いがされ、話合いにおいては、控訴人の実父も含めて、控訴人と直子の別居が了承されていたことからすれば、被控訴人と直子が遺棄行為に及んだということはできず、控訴人の上記主張は採用することができない。

結論:よって、控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、注文のとおり判決する。

 

東京高等裁判所第1民事部

裁判長裁判官:石井忠雄

裁判官:石橋俊一

裁判官:鈴木和典

 

 

高野憲一の反論:例え(笑)平成18年に債権者達の取り立てが落ち着いたとしよう(笑)
だから直子に金を合計43万3000円を貸せるだけの資金があったといい加減な事を述べているが、ではなんで厳しい債権者達の取り立てに対して小倉義生はそもそも一円すらも返していない有り様なのだぞ!!

だから直子に貸せたなんて論が通じるかよ!!

小倉義生が成田市から無職で収入の無い年金暮らしの多重債務者が、わざわざ金を持参して度々、私の自宅の『世田谷区上馬』まで来ていた?
そんな光景も見た事も無ければ、逆に私は『小倉義生・小倉和子』は来させるな!!と直子に厳命してたのが真実だ。

再三…述べてきたが、私が一旦辞めた仕事に対して就職活動をしていた時に生活費を頭を下げて貸してたのは私の実父『高野義宗』(総額105万円)であり、私が直子に実家に金を借りに行ってきてくれなんざ天地に誓って一度すら皆無(私と実父との電話でのやり取りの全て見てきた直子が一番良く知っている筈だ)

そもそも…働いて財産管理をしていた一家の大黒柱の私が金銭の出入りを把握出来ない訳が無い!!

仮にも、この話が本当ならば娘の直子が支払うべきであり、40万円もの借りてる金を小倉義生から借りてたなんて…聞いた事も無い!!
小倉義生の家に友人達と残りの40万円を返してもらう為にプロナードに行って話した時、私が『貴男から一円でも金を貸して下さいなんて頼んだ事が御座いますか?』小倉義生は『一度も無い!!』ならば俺が40万円もの大金を借りた事すら貴男から直接聞いた事が全く無いのに、俺が借りた事に成っているのだ?これでは詐欺ではないか!!と息巻いてやったら小倉義生は『同棲時代に金を直子に貸していたから責任は憲ちゃんにある』

私『俺の全く知らない水面下で親子間でどの様なやり取りをしたのか知らんが、直子が貴男から借りていたのが事実なら娘の直子に返してもらえば良いではないか!!じゃアンタの論だと直子がどこにでも借りたとしても全責任は俺にあり、それを全て支払わなければ成らんのか?そんな馬鹿げた論が世の中に果たして本気で通用すると思っているのか?その辺の中学生だって騙されねぇよ!!それに直子が秘密に借りてきた40万円だかの金を俺の事を都内に悪意の有る遺棄をするまで一切俺に何故、伝えなかったのだ!?一番重要な大問題だろ!!』と真っ向から正論を述べてやった事があるが正論をど突かれてしまった小倉義生はしどろもどろに成り『佐倉裁判所が認めたら払う』から始まった訴訟。

私に降りた自賠責保険3000万円から『40万円は借りた金で60万円はお礼』なんざやり取りをしたなんざ全く無い作り話!!私は直子から判断能力の無い私に向かって朝昼晩昼夜問わずに毎日…毎日…『家にまとまった、お金を御願いだから入れてあげて最低100万円は御願い!!そうすれば取り立ては来なくなるから』たる洗脳の繰り返しであり、知的障害者の判断能力の無い私は遂に根負けしてしまい、詐欺師に100万円を貸し付けてしまったのが本当の話(この時も直子は家に40万円の金を実家から借りていたなんざ私は一言も聞いた事が無い)

即ち小倉親子の狙いとは任意保険金の財産分与を最終章に主眼を持っており、それまでは私の自賠責保険金を小倉一家を挙げて徹底的に摂取・着服する悪しき計画だった訳だ。

話は反れるが小倉義生の嫁『小倉和子』なんて便所一回100円は掛かるんだよねぇ…なんて訳の分からん事まで述べてきたり、前の記事にも挙げたが嫁の高野直子実弟の小倉圭祐からは私は『自賠責保険金の30%を寄越せ!!』と恫喝・脅迫をしてきたりと全ては担当の役割分担が決まっていた詐欺師のグループの中に、知的障害者の私が一人でサバンナに大金だけ持って放り投げられていた劣悪な環境に居たのである。

小倉義生が語る中で悪意の有る遺棄をされた後に直子へのDVになつき・あさまでのDVまで及ぶから60万円を返したなんざ、馬鹿げた事を平気で述べているが、私から正当な理由でキチンと贈与を受けたならば『60万円』を一切返さなければ良いではないか(即ち借りた金だったから、こんな滅茶苦茶な理由を講じてきたに過ぎなく述べてる事は正に詐欺師そのまんま)

私が遺棄されて一週間以内に小倉義生に電話を入れ『直子からの強い要望から情けを掛けて100万円を差し出して貸してしまったが俺がアンタら親子に都内に遺棄までされといて状況が変わったので即座に100万円を返せよな』と述べただけで、その通話の中で『直子・あさ・なつき』に危害を加える予告なんざ全くしていない、そんなんする必要性が見当たらないからだ。

小倉親子の『悪しき計画』とは→詐欺に遭いやすい都合の良い満足な判断が取れない『高次脳機能障害者』ならどうにでも出来る自賠責保険金3000万円を奪うのに様々な罠を仕掛けて摂取・着服をし、最終的に財産分与の対象となる多額な任意保険金が狙いだったのであり、診断書も無ければ傷やアザや捻挫や打撲すら無いピンピン状態の直子を使ってDVを絶えず受けていたと話を作り上げ、プロナードに近付けさせないように布石を打った訳だ(文字通り悪魔の計画だ)
私が本当に生まれた地の函館に旅行に行ったのは、北海道には友人が居て常に見守ってくれたお陰で一度たりとも一人で旅行先には居なかった、成田空港の職員が御親切に全てを手伝ってくれたので無事に飛行機に乗れた(とてもではないが私単独の力では旅行は皆無だった当時)

古海弁護士は、余程ネタが無いのか(笑)
私が成田から東京都まで7月2日の日に一人で行ったと、最もらしく、これ見よがしに述べてる必死さは余りにも見苦しい。
私1人では電車の乗り換えは非常に困難を極めるが、時間は掛かるが駅員に絶えず、お尋ねしながらなら…やっとやっと目的地には行ける(時間は掛かるのは否めない)

後遺症により不自由はあったと思われるがなんざ認めつつも、その腹黒い考えは全く逆!!
ついでに『一人で生活をする事は十分可能な状態であったし、被控訴人もそのように認識をしていた』←馬鹿も休み休み言え!!古海弁護士よ!!
アンタは高次脳機能障害たる病が、毎日がミスと誤認と記憶の欠如に料理は作れない一人では爪やカップラーメンすら作れない、近所を出歩けば即座に道に迷うバリバリの地誌的障害も入っている知的障害者なのだぞ!!
この古海弁護士の戯れ言は高次脳機能障害が一人で暮らすという危険性をまるで分かっていない『単なる目の先の金欲しさに小倉義生から依頼を受けた弁護士としての資格は無しだ』
高野家と小倉家との両家の話し合いなんざ、これ見よがしに全面に押し出すが、実際には私の実父や実弟の前で様々な偽りの約束事を三時間に渡って押し付けて、私の意思無しに御丁寧に財布から家の鍵まで密かに抜いといて一番肝心要の私の自賠責保険金の全額が入っていた預金通帳と実印は持って来ず、夏場の着替えの荷物だけを車で運んできただけ(更には薬すらも入ってなかった)

 事実上・・・東京高等裁判所も真意を全く見抜けなかった小倉義生・高野直子・古海弁護士の最もらしく作り上げた妄言を丸呑みしただけであり、そこには知的障害者が『小倉親子』にまんまと騙されて嵌められ遺棄までされたという刑事事件ものすら黙認したという不当裁判からの不当判決に喫する!!これでは日本全国の障害者達が安堵なく平穏に暮らす事が極めて難しく、司法なんざ私は全く信用をしていない(即ち障害者の保険金が極悪人の詐欺師に何をされ様が関係無しという法治国家である日本国の終わりの始まりなのである)

追伸:私の本を作りたいゴーストライターや医療関係者や法律家やマスコミの取材は常時受付ておりますので、お気軽に連絡を下さいませ。

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレス:natsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

 

貸した金は返金せよ!!⑥佐倉裁判所の不当なる判決!!


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小倉義生に高野直子たるバリバリの『人権侵害』『障害者虐待防止法』たる極悪人の詐欺師の所業に加担した古海弁護士の全ての全てが虚偽を物の見事にに丸め込まれてしまい、事の真偽や真実・真相を全く見抜けなかった無能さを如実に物語っている佐倉裁判所の不当裁判たる判決の文面内容を割愛しながら記載をしてみよう(裁判官:小林愛子)

 

【判決】

原告は、平成26年8月31日、被告に対し100万円から合計60万円を控除した残金である40万円及び原告が離婚に際して直子に支払った300万円の合計340万円を返還するよう被告に求めたが、これを拒否されたことから、同年11月17日、本件訴えを提訴した←そもそも(笑)不法行為からの精神的苦痛の慰謝料と40万円からの遅延損害金の5パーセントを合わせた合計『200万円』の訴訟を起こした事が・・・いつの間にか『340万円』を返すように私が小倉義生に求めたのを拒否されたから提訴をしたって何?この時点で趣旨から大きく外れてしまっているではないか(怒)

1:金銭貸借契約に係る返還合意の有無について。

原告は、平成23年4月6日に被告に交付した100万円につき原被告間において返還約束があっと主張し、これに沿う証拠としてはその旨を述べる原告本人の供述がある(原告本人)

一方、被告は、返還約束の存在を争い、金銭交付の趣旨は直子への貸金の返済分と長年被告宅で原告が生活した礼金であること、後に合計60万円を2回に分けて支払った理由は、お礼金が60万円という内訳であったためその分は返還することとして、原告が直子に危害を及ぼすことがないようにした旨供述する(被告本人)

その内容は原告、直子及び被告の生活歴に概ね沿っており、この被告本人の供述の内容に照らすと、上記原告本人の供述を直ちに採用することはできず、同供述を補強するような他の証拠も見当たらない。

そうすると、原告の上記主張は理由がないというべきである。

2:不法行為の成否について。

被告は、原告に十分な生活必需品や薬を持たせることなく、もともとの原告の居住空間への帰宅を拒絶したと主張し、これに沿う証拠としてはその旨をいう原告本人の供述がある(原告本人)

しかしながら、原告及び被告のほか双方の親族も交えて原告と直子の別居に向けた話合いがされ、話合いにおいては、原告の実父も含めて、原告と直子の別居について了解されていたことからすれば、その際、被告が原告に薬や着替え等の荷物を渡して別居を促した行為が原告に対する不法行為を構成するものとは解されない。

そうすると、不法行為に基づく損害賠償を求める原告の請求は、その余の検討をするまでもなく理由がない。

3:よって、注文のとおり、判決する。

 


高野憲一の反論:高次脳機能障害たる病も何ら理解すらしていないどころか、狙われた障害者の保険金が騙されてしまい摂取・着服・されて、最終的に『悪意の有る遺棄』までされたという刑事事件と相違ない佐倉裁判所の腐りきった不当裁判からの不当判決に対し逆に私は非常に驚き…『これでは騙されて詐欺に遭った、障害者の単なる泣き寝入りではないか!!』と極めて被害者意識が募ったので、私は後世の『高次脳機能障害者』の尊厳と人権を守る為に私は徹底抗戦する為に清水先生に『控訴』して頂く手続きを踏んで東京高等裁判所控訴を踏み切った。

その時の清水先生が作成して下さった『控訴理由書』の全文を記載致そう。

 

控訴理由書】

原判決には次の点につき、事実誤認の違法があり、取り消されるべきである。

第1:争点(1)(金銭消費貸借契約に係る返還合意の有無)について。

1:原審判決は、上記(1)について『被告は、返還約束の存在を争い、金銭交付の趣旨』は、直子への貸金の返済分と長年被告宅で原告が生活した礼金であること、後に合計60万円を2回に分けて支払った理由は、お礼金が60万円という内訳であったためその分は返還することとして、原告が直子に危害を及ぼすことがないようにした旨供述する(被告本人)

その内容は原告、直子及び被告の生活歴に概ね沿っている』と認定したうえで、金銭消費貸借契約に係る返還合意があったと判断することはできない、とする(原審判決6項)

2:控訴人の被控訴人に対する貸付の事実は認められないことについて。

(1)以下述べるように、被控訴人が訴外直子に対して、平成18年5月26日頃から平成19年2月27日頃までの間に合計43万3000円を貸し渡した事実は認められないのであり、かかる点につき、原審判決の事実誤認が認められる。

(2)ア:被控訴人の財産状況について。

控訴人は、多額の債務を負担していた。

すなわち、被控訴人が運営していた小倉建設は、平成14年7月に事実上倒産(被告本人10項8行目)しており、被控訴人が認める範囲だけでも、被控訴人は千葉県信用保証協会に対して約2600万円の保証債務を負担している(被告本人3頁10行目)また、被控訴人は、千葉県信用保証協会以外に対しても400万円程の債務を負担している(被告本人11頁8行目)さらに、被控訴人は、平成20年2月29日に自宅不動産の仮差押を受けている状況であった(被告本人3頁14頁26行目)

なお、控訴人の認識では、被控訴人が負担していた債務は元金で5000万円、利息を付加すると1億円にも及んでいた。

このように、多額の債務を負担し、自宅不動産の仮差押を受けてしまうような債務の負担状況の中で、被控訴人が訴外直子に対し、43万3000円もの多額の金銭を貸し付けることができたとは考えられない。

イ:被控訴人が訴外直子に対して5回に渡って合計43万3000円を貸し渡した際、その都度被控訴人は、千葉県成田市から東京都世田谷上馬まで現金を持参し、訴外直子に手渡していたと供述する(被告本人22頁1行目)

しかし、そのように遠方まで多数回現金を持参するのはあまりに不自然である。

その他に、被控訴人が訴外直子に対して金銭を交付した事実の裏付けはない。

ウ:被控訴人は金銭を貸し付けたことを前提とした態度を採っていない。

控訴人は控訴人に対して、上記43万3000円を貸し付けた事実や貸し付けた金額を伝えたことは無い。

また、控訴人が交通事故に遭うまでの間に、被控訴人が控訴人に対して返済を求めたこともないし(被告本人9頁20行目)控訴人が3000万円の自賠責保険を受領した後に返済を求めたことはない(被告本人20頁19行目)

さらに、被控訴人や、その妻が、訴外直子に対しても上記43万3000円の返済を求めたことはない(被告本人13頁8行目)

このような被控訴人の態度からも、被控訴人が訴外直子に対して金銭を貸し渡したことは認めがたい

エ:被控訴人が供述する返済に至る経緯は不自然である。

控訴人は、控訴人が上記貸付金を返済した経緯につき、平成23年4月6日、突然、控訴人が被控訴人に対し、上馬で生活していたときの43万3000円の貸付金に対する返済と、長年世話になって来たので、そのお礼という趣旨で、100万円を渡してきた、と供述する(被告本人14頁14行目)

しかし、上述のように、被控訴人は控訴人に対して貸付の事実やその金額を知らせたことがなく、被控訴人が金銭貸付の事実を知るはずがないのに、そのような経緯で突然100万円もの金銭を交付することは極めて不自然である。

(3)小活。

以上のとおりであるから、被控訴人が訴外直子に対して合計43万3000円の金銭を貸し付けたことは認められず、この点につき原審判決の事実誤認が認められる。

3:被控訴人が控訴人から100万円を借り入れたことを裏付け事実。

また、以下の事実からすれば、控訴人が平成23年4月6日に被控訴人に交付した100万円は、贈与や貸付金に対する返済という趣旨で交付したのではなく、被控訴人に対する貸し付けの趣旨であると認められる。

(1)被控訴人による金銭借入れの必要性。

上述のように平成23年4月6日当時、被控訴人は、千葉県信用保証協会などに対して多額債務を負担し、自宅不動産の仮差押を受けている状況であるため、被控訴人の自宅のもとに債権者が取立てに来ていた、そのため被控訴人には高い資金需要があったと認められる。

(2)被控訴人からの貸付についての交渉があったこと。

控訴人は、控訴人が平成23年3月29日に自賠責保険金として3000万円を受領した後、訴外直子を通じて控訴人に対して金銭を貸し付けるように強く要望をし続けた。

訴外直子は、平成23年3月29日頃には、訴外直子と同居していた被控訴人も、控訴人が多額の自賠責保険金を受領することを知っていたと思料される。

そして、上述の被控訴人の高い資金需要からすれば、被控訴人が控訴人に対して金銭貸付の交渉をすることは自然なことである。

控訴人は、訴外直子や被控訴人から何度も要望され、判断能力が著しく減退していたことも相まって、控訴人に対して100万円を貸し付けてしまった。

(3)控訴人の被控訴人に対する弁済要求。

控訴人は、被控訴人の自宅から追い出された平成23年7月2日以降、被控訴人に対して100万円の返済の請求があったことについては認めている(被告本人14頁11行目)

このように、控訴人は、被控訴人に対して貸し付けたことを前提とする行動を行っている。

(4)被控訴人による弁済。

控訴人は、控訴人に対し、平成23年7月21日と同月22日に30万円ずつ、合計60万円を支払っている(争いなし)

これは、被控訴人が控訴人から金銭を借り入れたことを前提とする事実と言える。

この点について被控訴人は、控訴人の訴外直子に対するDVが心配であったので、60万円を返済した、と主張する。

しかし、訴外直子は、平成23年7月21日付で保護命令の申立てをしている(被告本人8頁11行目)

他方、被控訴人が控訴人に対して30万円ずつ支払ったのは同月21日と22日である。

このように訴外直子に対するDVについては既に対応しているのであるから、もし控訴人に対して支払う必要の無い金銭であれば、被控訴人が控訴人に対して60万円もの支払をするはずがない。

4:結論。

このように、原審が認定するような被控訴人の訴外直子に対する合計43万3000円の貸付の事実は認められない一方、控訴人が被控訴人に対して100万円を貸し付けたことを裏付ける事実が多く認められる。

したがって、控訴人と被控訴人との間で、金銭消費貸借契約に係る返還合意があったと認めるべきであり、この点につき、原審の事実誤認が認められる。

第2:争点(2)(不法行為の成否)について。

1:原審判決は、上記争点(2)について『原告及び被告のほか双方の親族も交えて原告と直子の別居に向けた話合いがされ、話合いにおいては、原告の実父も含めて、原告と直子の了解されていたことからすれば、その際、被告が原告に薬や着替え等の荷物を渡して別居を促した行為が原告に対する不法行為を構成するものとは解されない。』と判断する(原審判決6項)

2:しかし、かかる原審判決の事実認定は誤りと言わざる得ない。

以下詳述する。

(1)交通事故後の控訴人の身体の状況について。

控訴人は、平成21年4月19日、交通事故に遭い脳挫傷、急性硬膜下血腫等の障害を負った。

平成22年9月時点において、控訴人には、集中力低下・注意障害・自殺企図・等の症状が認められ、控訴人は、高次脳機能障害と診断をされた。

その症状とは、平成24年2月時点においても『何とか生活をしているが、困ることは、日にち・曜日の感覚、東西南北の感覚が混乱し、しばしば道に迷い、千葉に行こうと思っても茨城に行ってしまったり、イトーヨーカ堂に行っても出口がわからなくなったりするという。電車の乗り間違えなども多いという。常に地図を片手に持ち歩いている。電化製品が使えず、料理が出来ない。洋服の着間違えも多いという。』という状態であった。

訴外直子も被控訴人も、控訴人と同居しその状況を見ていたのであるから、控訴人がこのように一人で生活をすることができない状況であることは当然理解していた。

(2)平成23年7月2日の状況について。

平成23年7月2日、控訴人や被控訴人、訴外直子、控訴人の父親などの間で、控訴人が訴外直子と別居をすることについて話し合いがなされた。その話し合いは、3時間に渡って行われた。

控訴人は、被控訴人の自宅を出ることについては了承していなかったと供述する。

他方、控訴人は、被控訴人や訴外直子が話し合いに加わったときには、控訴人が被控訴人の自宅を出ることに了承していたと供述する(被告本人16頁21行目)

しかし、それまでの居住場所から出ていかざる得ないという事態の重大さや、3時間もの長時間に渡って話し合いをした事実を照らせば、当初から控訴人が被控訴人の自宅を出ることについて了承していたわけではなかったと考えるのが自然である。

最終的に、控訴人も判断能力が欠けていたため、被控訴人の自宅を出ることについては了承したようであるが、被控訴人や訴外直子が帰宅しようとしたとき、控訴人がどこに行くのかについて何も決まっていない状況であった(被告本人17頁9行目)

それにもかかわらず、被控訴人は、控訴人が一人で生活をする能力のない障害者であることや、控訴人が十分な荷物を持っていないこと(被告本人18頁25行目)薬や着替えを受け取らなかったこと(被告本人19頁10行目)を認識しつつ、被控訴人は控訴人を置いて帰宅してしまった。

そして、その時、被控訴人と訴外直子は、被控訴人の自宅にある控訴人の荷物をまとめるのに一週間の猶予を与えるが、平成23年7月2日な当日だけはホテルに泊まってほしい。と述べて控訴人をホテルに泊まらせた。

しかし、その翌日、控訴人が被控訴人の自宅に行こうとすると、被控訴人や訴外直子は、これを拒絶した。

また、この時、被控訴人や訴外直子は、控訴人の財布から遺棄前日には、密かにに控訴人の自宅の鍵を財布から抜き取っていた。

3:結論。

以上のように、被控訴人及び訴外直子は、要介助者である控訴人を危険な場所に置いたまま立ち去る遺棄行為に及んでおり、これが不法行為に該当するのは明らかである。

そして、その精神的苦痛を慰謝するために賠償金は200万円は下らない。

 

追伸:次の記事は極悪人の詐欺師の小倉義生・高野直子に加担した古梅弁護士の『控訴答弁書』と『東京高等裁判所の有り得ない判決』を更新致します。

高次脳機能障害者が司法にすら理解されずに不当なる裁判と判決が下されているのは民主主義国家の我が国日本にとっては由々しき事態!!

政治家・法律家・医療関係者・ゴーストライター・マスコミの取材などは常時、受付ているのでLINEやメールアドレスに連絡を送って下さい。

追伸:私のLINEのIDはtakano0013

 メールアドレス:natsuki-0402@ezweb.ne.jp

 

 

貸した金は返金せよ!!⑤


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前回の記事では佐倉裁判所に『小倉義生』が提出した嘘八百デタラメだらけの『陳述書』の全文を掲載したが、この極悪人の詐欺師に加担した大嘘を並べるのが仕事の障害者の敵である『古海弁護士』一派は何とかしてでも虚偽を作り出し、それを真実として認めてもらいたく必死かつ躍起に成って、更に嘘を塗り固めたいが為に念入りに娘である『高野直子』にも陳述書を作成させ佐倉裁判所に同時に佐倉裁判所に提出したので、それも全文を掲載を致そう(そもそも・・・小倉義生は私から40万円を返して貰ったり60万円を贈与として私から正当な理由として受け取ったのが本当に起こった真実ならば、古海弁護士を雇う必要も無ければ高野直子の陳述書なんざ全く持って不要なのである!!即ち己に多大なる非が有るという証左)では小倉親子の口裏合わせた猿芝居をどうぞ(笑)

 

住所:千葉県成田市玉造7ー1ー1ー4棟101プロムナード

名前:高野直子

 

第1:はじめに私は、平成26年(ワ)第463号資金返還等請求事件(以下『本件』といいます)の原告である高野憲一さん(以下『高野さん』といいます)の娘です。

高野さんが平成23年4月6日にお父さんに渡した100万円は、私がお父さんから足りない生活費を充てるために借り入れた43万3000円の借金の返済金40万円と、長い間お父さんの家に住まわせてもらったことに対するお礼金です。

お父さんに100万円を貸し付けたということはありません。

また、平成23年7月2日に私と高野さんは別居することになり、その日以来高野さんはお父さんの家(以下『私の実家』といいます)に戻ってきませんでしたが、当時、私に対する暴言及び暴力(以下『DV』といいます。)がエスカレートしていて、私は『このままでは殺される。』と本気で思うようになり、1日たりとも高野さんと一緒にいることはできないと思ったため、同日、高野さんの父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに高野さんを説得した結果、高野さんは、高野義宗さんが用意したマンションの一室に留まり、私の実家に戻らなかったのです。

私やお父さんが追い出したということはありません。

上記2点について、それまでの経緯を踏まえて、以下詳述いたします。

 

第2:高野さんが平成23年4月6日にお父さんに100万円を支払う経緯について。

1:身上等。

私は昭和50年3月31日、本件で被告とされている小倉義生と小倉和子の長女として生まれました。現在39歳です。

平成15年3月5日に、本件の原告である高野憲一さんと婚姻し、同年4月2日には長女なつき(以下『なつき』といいます)が生まれ、平成21年4月19日には次女あさ(以下『あさ』といいます)が生まれました。

2:お父さんからの生活費借り入れについて。

結婚後数年間は高野さんと私、なつきの3人で生活していましたが、高野さんに十分な生活費を渡してくれないので、年々生活は苦しくなっていきました。

平成18年5月頃、今まで使っていた冷蔵庫が壊れてしまいました。

新しい冷蔵庫を買う必要がありましたが、その購入資金がなかったため、同月26日、お父さんから冷蔵庫の購入代金10万円を借り受けました。

これが、生活費としてお父さんからお金を借りた最初のときです。

その後も、生活費が足りなくなるたびにお父さんからお金を借り受けました。

お父さんから足りない生活費を充てるためにお金をお金を借りた日時及び金額は以下のとおりです。

平成18年5月26日に10万円・8月27日に5万8000円・11月22日に8万5000円・平成19年1月26日に6万円・2月27日に13万円・合計43万3000円。

お父さんから生活費を充てるために借金したことは、当初高野さんには黙っていましたが、十分な生活費を渡してくれないことについて私と高野さんが言い争いになったときに『足りない生活費はお父さんから借りてるんだから。』と伝えました。『いくら?』と聞かれたので『40万円ぐらい』と応えると、高野さんはお父さんから足りない生活費を借りているとは思っていなかった上に、40万円もの高額の借金であったので、非常に気まずそうな、バツの悪そうな顔をしていました。

3:お父さんへの生活費支払いについて。

その後、家賃の支払いが滞るようになり、また、毎月家賃を支払うことが経済的に難しくなってきたので、平成19年5月頃から私の実家に家族3人で同居させてもらうことになりました。

同居を始めるに際し、お父さんから毎月生活費を支払って欲しいと言われました。

同居後、約半年は定期的に生活費として数万円を支払っていましたが、なつきが通う幼稚園で必要になる費用が多くなったため、平成19年12月に1万円を支払ったのを最後に生活費の支払いを行っていません。

同居に際し、同居後一定の生活費を定期的に支払うという約束をしたこと、及び、約半年は生活費を支払っていたがその後生活費を支払っていないことは、高野さんも知っていました。

生活費を支払っていないことを話すと話をはぐらかしたり、急に怒り出したりしていたので、高野さんは、支払うべき生活費を支払わずに私の実家に住み続けていることに対して、気まずい思いをしていたと思います。

4:高野さんが交通事故に遭ったことについて。

高野さんは、あさの誕生日である平成21年4月19日に交通事故に遭い大怪我を負いました。

当時私は、あさを出産した直後でしたが、高野さんが同日入院し、平成21年7月頃に退院するまで、約3ヶ月間、毎日、病院に通って、着替えや食事の世話など看病を行いました。

入院直後は非常に危険な状態で集中治療室に運ばれましたが、治療の甲斐があって、高野さんは平成21年7月頃に退院しました。

退院したとき、高野さんは、私に対して『ありがとう』『お前のおかげだ』と感謝の言葉をかけてくれました。

この言葉を聞いて、私は、高野さんが交通事故で体が不自由になって、何もできなくなったとしても、それでいい、ずっと支えていこうと決心しました。

高野さんのDVが始まったきっかけについて。

高野さんは、退院後しばらくおとなしくて穏やかでしたが、退院後1ヶ月が経過した平成21年8月頃から、ささいなことで怒り出すようになりました。

例えば、掃除機の音がうるさいと言って怒ったり、観ているテレビの前をなつきが横切っただけで、なつきを怒鳴りつけ、私に対しても『お前のしつけが悪い』と怒ったりしていました。

交通事故の影響で以前と同じように体を動かせない事が出来ないからだろうと、しばらくは何も言い返しませんでしたが、あまりに理不尽なときに言い返すと、言い争いになりました。

この頃から、言い争いになって、分が悪くなると、高野さんは、私に暴言を吐き、枕を殴るなど間接的な暴力を振るうようになりました。

高野さんの私に対するDVは、日に日にエスカレートしていきました。

しかし、高野さんは、同居している私のお父さんとお母さんには、私に対するDVを知られたくないと考えていたようで、父母がいるところでは暴言を吐いたり、暴力を振るうことはありませんでした。

DVは、父母のいない出かけ先の車の中や、父母が不在のときに行われることが多かったです。

そのため、高野さんの私に対するDVについて、お父さんやお母さんは、私が高野さんから殴られたという話をした平成23年4月頃までしらなかっと思います。

6:平成23年3月29日、高野さんは交通事故の損害賠償として3000万円もの大金を手にしました。

賠償金の額及び支払時期については、代理人の弁護士の方から聞いていたので、知っていました。

3000万円もの大金を手にいれた高野さんは、今まで買い物ができなかったうっぷんを晴らすかのように、インターネットを使って大量の買い物をするようになりました。

交通事故に遭ったために以前と同じように体を動かす事が出来ず、不自由な思いをしているのだから、損害賠償金については高野さんが自由に使ったらいいと思っておりました。

しかし、生活費は払ってもらわないと私となつき、あさの生活が成り立たないので、高野さんと話し合った上で、賠償金が支払わされた月の翌月である平成23年4月から月額20万円を生活費として支払ってもらうことになり、平成23年7月分まで合計80万円を支払ってもらいました。

その後は、離婚が成立する平成24年11月12日まで婚姻費用を支払っていません。

大金を手にした高野さんは、今まで世話になった人にお礼すると言って、高野さんの父親である高野義宗さんに世話代として100万円を払ったと言っていました。

また、高野さんの父親の弟である高野二郎さんにも世話代として100万円渡そうとしたが、受け取ってもらえなかったとも言っていました。

高野さんがこのような話をしていた平成23年4月6日、高野さんは、私の実家の居間において、お父さん、お母さん及び私の目の前で、100万円を差し出し、生活費として借りた40万円と今まで世話になった礼金60万円です、受け取ってくださいと言いました。

私のお父さんとお母さんは、感慨深そうな面持ちで『ありがとう』と言い、高野さんから100万円を受け取りました。

そのときの高野さんの様子は、お父さんからの借金を打ち明けられたときの非常に気まずそうな、バツの悪そうな顔とは打って変わって、自信に満ちた『どうだ!!』と言わんばかりの顔をしていました。

第3:平成23年7月2日に高野さんが私の実家から出て行くに至る経緯について。

1:DVの激化について。

平成23年4月中頃、高野さんから殴られたかとがありました。

それまで、両親に心配を掛けまいと両親には高野さんのDVのことを話していませんでした。

しかしこの頃の高野さんは、怒り出すと周囲の人や実の娘であるなつきとあさが見ていても関係なく、目を血走らせ『殺す』という言葉を躊躇なく使い、殴りかかってきたり、掴みかかってきたりしました。

このような高野さんに対して、私は『本当に殺されてしまうかもしれない』と恐怖を感じていました。

そこで、平成23年4月中頃に高野さんから殴られたことを、その日のうちに両親に話しました。

私の話を聞いたお父さんは、高野さんに直接『娘になんてことをしたんだ!』と言いました。

私のお父さんに叱られた高野さんは、そのときは謝りました。

しかし、このことをきっかけに、高野さんの私に対するDVはさらにエスカレートしていきました。

私は平成23年7月21日に千葉地方裁判所佐倉支部に配偶者暴力に関する保護命令申し立てを行い同年8月2日に保護命令を出してもらいました。

2:平成23年6月11日の話合いに至る経緯。

高野さんの私に対するDVがエスカレートし、私は『このまま一緒にいたら殺される』と考えるようになり、一日も早く高野さんと別居したいと考えるようになりました。

しかし、離婚の話をしただけで逆上して、罵声を浴びせながら殴りかかってくる高野さんが、別居の話に素直に応じるとは到底思えませんでした。

そこで、私は、従来まったく没交渉でしたが、すがる思いで、高野さんの父親である高野義宗さんに電話連絡し、高野さんの私に対するDVが尋常ではなくこのままでは本当に殺されるかもしれない、1日も早く別居したいと話しました。

私の話を聞いた高野義宗さんは理解を示してくれました。

より詳しい話合いをするために、私と私の両親は、平成23年6月11日に高野義宗さんのお宅に訪問することになりました。

平成23年6月11日、高野義宗さんのお宅には、高野義宗さん、私及び私の両親の他、高野さんの義母である田村恵美さん、弟の高野卓さん及びその奥様である藤ノ木伸江さんが集まっていました。

この席で、私は、今まで高野さんから受け続けたDVのことをすべて話しました。

私の話を聞き終わった高野義宗さんは、一日も早い別居のために高野さんを説得してくれると約束してくれました。

また、弟の高野卓さんも高野さんを説得してくれると約束してくれました。

その後、高野さんを説得するための話合いの日時は平成23年7月2日1時とすること、同日をもって高野さんが私の実家を出て行き私と別居すること、同日をもって高野さんが生活する部屋については高野さんの父親である高野義宗さんが用意すること、平成23年7月2日の話合いはその部屋で行うことを決めました。

3:平成23年7月2日の話合いに至る経緯。

高野さんの父親である高野義宗は、勤めている会社が入っているビルの隣のマンションの一室を、高野さんが別居後生活する部屋として用意しました。

平成23年7月2日、私と私の両親、なつきとあさの5人で上記マンションに車で向かいました。

私とお父さんが午後1時頃に部屋にいくと、既に、高野さん、高野さんの父親である高野義宗さん及び弟の高野卓さんが集まっていました。

3人は午前中に集まった上で、3人で話合い、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得に、高野さんは納得して別居に応じると言っていたと聞きました。

しかし、私とお父さんが到着して、話し合おうとすると、荷物の片付けがあるので一週間だけ滞在させて欲しいとダダをこねだしました。

このころ、私は反対していましたが、高野さんは振り込まれた賠償金を使って、一家4人で住む新居に引っ越そうと計画をしており、自分の荷物は既に梱包済みの状態で、荷物の片付けに一週間もかかるような状態ではありませんでした。

この申し出を聞いたとき、私は、一週間滞在して、その間になし崩し的に私の実家に住み続けようとしていると思い、その申し出は受けられないと伝えました。

その後もしばらく駄々をこねていましたが、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得もあり、最終的に、今日限りで私の実家には戻らないこと、したがって、今日限りで私の実家にある荷物は、高野さんの指示があり次第、そこに送るということになりました。

話合いが終わり、私とお父さんが帰ろうとマンション駐車場まで行くと、高野さんも付いてきました。

別居するとなった場合、処方されている薬と数日分の着替えが必要になると思い、衣装ケースにそれらを入れて持ってきていたので、車の前に立つ高野さんに対し『薬と着替えは持ってきたよ』と言って、車に詰まれた衣装ケースを示しましたが、一切受け取ろうとしませんでした。

そのとき私は、高野さんが薬を受け取らなかったのは、薬が私の実家にあれば、薬を取りに行くということを口実に私の実家にくることができると考えているからだと思いました。

マンション駐車場に下りてきた高野さんは、娘2人の顔を見ると、すぐに部屋に戻っていきました。

その後、私たちは、高野さんに見送れることもなく、私は実家に帰りました。

4:離婚に至る経緯。

別居の翌日である平成23年7月3日午前中に、高野さんから私宛に電話連絡があり、そのなかで、高野さんは、私に対し、昨日の話合いのことを『こんな汚いまねをしやがって!』『どうなるかわからないからな!』『お前たちみな殺しにしてやる!』と怒気鋭く脅迫されました『殺されるかもしれない』という恐怖心は以前から感じていましたが『お前たち』という言葉から、私だけではなく、なつきやあさも殺されるかもしれない、私の両親も殺されるかもしれないという恐怖が生じ、もはや自分だけでは自分と娘たち、そして両親を守ることはできないと思い、翌日、両親とともに成田警察署へ相談に行きました。

事態を重く受け止めた警察官の方は親身になって相談に乗ってもらい、緊急事態に電話するようにと、私と私の両親の携帯電話に110番登録をしてもらい、さらに、早急に千葉地方裁判所佐倉支部に対する配偶者暴力に関する保護命令申し立てを行いました。

申し立ての後、同年8月2日に保護命令を出してもらいました。

その後、離婚に向けて高野さんと話合いをしたかったのですが、まったく話合いにならず、協議離婚は成立しませんでした。

そこで、離婚調停を申し立てようと準備していましたが、私が申し立てるより早く高野さんが千葉地方裁判所佐倉支部に対し離婚調停を申し立てました。

その後、平成24年11月12日に離婚調停が成立しました。

この離婚調停の中で、高野さんは、当時9歳のなつきと当時3歳のあさが成人するまでの養育費として300万円を一時金として支払い、その後は一切養育費を支払わないという養育費の支払案を提示してきましたが、私はこれ以上関わりたくなかったので、承諾しました。

5:離婚後も続くDVについて。

離婚成立後も、高野さんは私に電話連絡をしたり、メールを送ったりして、私や私の両親に対して罵詈雑言を浴びせてきます。

このメールの中で、高野さんは、なつきと当時3歳のあさが成人するまでの養育費として支払った300万円とお父さんに借金の弁済として支払った40万円を返還するように私に求めてきます。

養育費300万円は調停という裁判所での手続きを経て高野さんも納得して支払ったものなのに、返還を求められています。

これと同様に、40万円も借金の弁済として支払ったものなのに、本件でお父さんに対して返還を求めているのです。

第4:以上のとおり、高野さんが平成23年4月6日にお父さんに渡した100万円は、私がお父さんから生活費を充てるために借り入れた43万3000円の借金の返済金40万円と、私の実家に住まわせてもらったことに対するお礼金60万円です。

また、高野さんは平成23年7月2日から私の実家には戻りませんでしたが、私に対するDVを知った高野さんの父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに説得されて自発的に戻らなかったのであり、私やお父さんが追い出したということはありません。

 

 高野憲一の反論:世田谷区上馬の借家での私:高野憲一と当時!!妻の高野直子と長女:なつきの3人での結婚生活の中で、私が最終的に仕事を失敗をし、就職活動中に高野直子・高野なつきの事を養う為に借りたのは私の父親である高野義宗から借りた『総額105万円』であり私が血族でも無い小倉義生に頭を下げてまでして一円すらも借りてはいない(高野直子は、よくよく熟知している筈)
仮にも高野直子が小倉義生から、40万円を借りていたなら家計の全般を支えていた私は結婚生活の中で即座に気付く筈(笑)

40万円もの金を実家から借りているのを私に知らせたら『非常に気まずそうな顔をして私がバツの悪そうな顔をした』だ?(大爆笑)

この作り話が本当ならば私は即断即決『小倉義生』に電話を入れ、いくらいくら借りているのか詳細に書き記し、御迷惑を掛けてしまい済みませんと、ひたすら謝り『再び仕事が軌道に乗り始めたら必ずや40万円を責任持ってお支払い致しますからね!!』と間違い無く私は小倉義生に告げている筈!!

そもそも1億3000万円もの多大な借金を抱えて債権者達や佐倉裁判所の通知すらひたすら受け取らないで、徹底的に逃げ回っている無職の多重債務者の小倉義生に40万円も人に貸せる金が果たして有るのか?物理的に無理だろうに(大爆笑)

再び同居してから『約半年』は生活費を入れてくれただって?(何その約半年間たる曖昧な期間て?)
こういった私から渡して貰った金額と日付の都合の悪い事は意図的に一切記載しないのな(典型的な詐欺師なのが小倉親子)
小倉義生はプロムナードのリビングで私に直接向かって『毎月15万円は入れて欲しい』と頼まれて、私は高野直子となつきとあさを育て上げながら『15万円』もの金を支払うのは余りにも厳しかったが…取り立ても厳しく何かと金に困っていた多重債務者は無職の小倉義生に情けを掛けて、高野直子経由で毎月15万円を生活費として入れるのに私は必死に成って働いたが(月間の契約数は常にNo.1だったので私は班長まで上り詰めた)勤務先の東京新聞の今井団長(社長)に高野直子に渡せる生活費を差し引いても小倉義生に渡せる15万円に到達しない場合は…今井団長に借りてまでして金を工面したそんな私は…結局『90万円』もの借金を抱えてしまったに加えて、今井団長に毎月…毎月…借りる訳にはゆかないので、高野直子が作ったカードローンまで手を出してしまい50万円もの借金をこしらえてしまった(高野直子と2人で成田市のゆうちょ銀行の本局に何度行った事か!!)
で、半年後の12月には1万円を最後に生活費を入れなかったって(大爆笑)
では、多重債務者の無職の小倉義生が、高野憲一・高野直子・高野なつき・高野あさ・たる4人を隅から隅まで養ってあげたのな(大爆笑)
じゃあ『我々の携帯電話代』や『生命保険代』『学資保険』『住民税』『所得税』から何から何まで全て小倉義生が支払ってやってたんだ(そんな…金持ちの善人がどこに居るんだよ!!居るなら紹介をして欲しい)

では生活費に困っていたならば高野直子は何故に結婚後以来『無職』だったの?(笑)
生活費に逼迫していたならパートなり働きに出るでしょうよ(笑)

住み続ける事に対して『気まずい思いをしていたと思います』だ?(大爆笑)

小倉義生と小倉和子を週に一回から二回は寿司屋や焼き肉屋や様々な飲食店で御馳走し私はプロムナードの家の中では堂々と暮らしていた(小倉義生・小倉和子が一番好きなのはスキー場なので旅行に何度も連れて行ってやったり)

3ヶ月間、毎日、病院に通って看病を行いましただって?(笑)

毎日なんざ来ていないのが真実!!

更には『交通事故で体が不自由になって何もできなくなったとしても、それでいい、ずっと支えていこうと決心しました』だって?

全くの口からの出任せ!!
高次脳機能障害』たる病を何ら理解もせずに研究・勉強すらもせずに私の『自賠責保険金』から親子揃って散々に渡って摂取・着服のユスリタカリをして『任意保険』が、そろそろ降りそうなのを見計らって計画を練り上げ、常に介助が必要な障害者に成ってしまった家族である絶対に助けなければならない亭主の事を『都内に悪意の有る遺棄』なんざ決心をした人間が到底…出来る筈が無い!!

文中にはDVをお父さんやお母さんに知られたくない留守など間隙を潜っては暴言や暴力を毎回繰り返したなんざ戯れ言を平気で大嘘を述べているが、仮にも私が高野直子に毎回毎回殴っていたとしたならば、同居をしている娘(直子)の腫れやアザや傷跡の異変に気付かない両親が果たして居るだろうか?(笑)

それに小倉義生と小倉和子は自宅の出入りには債権者達の存在を恐れており極めて警戒しており、常に自宅に居て外出を極力控えていた人間達であり、部屋が違えど何でも聞こえてしまう分譲マンション内で、小倉義生・小倉和子が確実に家に居ないのを確認作業するという事を高次脳機能障害者の私がそんな器用な事が出来たであろうか(答えは否だ!!)

頭の賢い読者は既にお気付きに成っていると思うが、何故に果てしないDVを受け続けていた同居中に一切かっさい成田警察署に高野直子は通報もせずに都内に私の事を『悪意の有る遺棄』をしてから、わざわざ『保護命令』の申立をしたのであろう(即ち遺棄したという負い目が有ったからなのと私の預金通帳と実印を渡したくなかったからという計画の一環だからなのは明白!!まだ弁護士も付いていなかったので佐倉裁判所の裁判官に聞かれるまま…私は訳の分からないまま…反論もせずにウンウン頷いていたら保護命令を出されてしまった)

この佐倉裁判所を通した保護命令だが、連中は刑事罰に処される『保護責任者遺棄』たる罪意識が有った訳だが…流石は極悪人の詐欺師は悪知恵は利く…それを逆手に取って『加害者から被害者面』にすり替わろうと、これも計画通りだった訳だ(真の狙いは今後、私に降りる任意保険金の財産分与にて奴らの悪しき計画は完結する)

『インターネットを使って大量の買い物をする様に成った』だ?脳に効くであろう足の裏のツボマッサージ器や少しでも病を治癒する可能性が有る食品や物を購入しただけ(占めて13万円)

生活費を私と話し合った上で毎月20万円の生活費を入れる様に成ったと、いかにも民主主義らしい戯れ言を述べているが実際は全くの真逆!!(過去の記事を読んでみて下さい)

『20万円を貰えないと生活が出来ないのよ!!』の一辺倒!!(借金すら何ら無い10畳一間で20万円も掛かる訳が無い!!)
即ち、私に降りた3000万円から、いかにして摂取する作戦に切り替えた『極悪人の詐欺師の小倉親子』は完全なるグルだったのだ(黒幕であり指揮を執っていたのは小倉義生)

もうね…こんな大根役者の演技に対して余りにも馬鹿馬鹿しくて、逐一反証するのも疲れるが…小倉義生にリビングで100万円の金を貸してやった話が、いつの間にか高野直子から言わせれば『自信に満ちてどうだ!!』に話が見事にすり替わっている、どこまでも非を認めたく無いので与太話を永遠に講じたいらしい…どうにも成らない極悪人の詐欺師の『小倉親子』

自賠責保険金が私に降りてから朝昼晩、嫌になる程『憲ちゃん!!御願いだから家に纏まったお金を無利息・無担保で最低でも100万円は貸してあげて!!そうすれば取り立ては無くなるから!!』と判断能力の無い私は…正確な判断が取れなく…ウンザリする程…毎日毎日…聞かされ続けて根負けをしてしまい…100万円を貸してやったのが…そもそもの大きな間違いであった(紛れも無く経済的虐待であり判断能力の無い私は簡単に騙されてしまった)

文中には『殺す』や『殴りかかってきた』なんざ馬鹿げた事をいけしゃしゃあと述べているが、完璧に誇大・誇張している作り話(何とかして裁判所に認められたいが為への全ては偽りのストーリー作り)

もし仮にも私が高野直子に、これら…本当に行っていたならばブログには正々堂々と記載しない筈だろう!!(私は高野直子からアンタは金だけを出しとけばいいんだよ!!面倒を見てやらないよ!!と平手打ちされていた日常茶飯事はあくまでも包み隠すのだな)

荷物が梱包済みだから一週間も掛かる訳が無いので申し出を断っただ?(笑)

ではなんで『今日だけはホテルに泊まって』と強く要望してきたの?(笑)

更には私の全荷物を返してくれるのに『3ヶ月間』も返してくれなかったの?

更には勝手に私の夏場の荷物だけを車に搭載しときといて一番肝心要な私の命の代償金の自賠責保険金が入っている『預金通帳と実印』は敢えて持って来なかったの?

今日だけはホテルに泊まってと強く説得されたので私は騙されて、その中からTシャツ一枚と短パンの一枚だけを選んで持たされた訳だ。

重要な私の『薬』すら無かった杜撰さ!!

都内に悪意の有る遺棄した三時間は話し合いどころか小倉親子の一方的な約束事の押し付け『お金は一円も求めない』に『好きな時に娘達とは会わせる』に私の実父も実弟も、その小倉親子たる詐欺師の発する偽りの言葉を完全に信じ込んでしまった。

そもそも部屋を私の実父が用意したなんざ述べているが、私の親父が敷金・礼金を支払ってまでし、わざわざ借りた家なのか?(ワンルームマンション)
狡猾な小倉親子の真の狙いは私に降りであろう多大なる額の任意保険金たる財産分与だったのを様々な行政機関や弁護士から聞いて極めて危険な状態なのを察知した私は弁護士を早急に雇い入れ、補佐人の弁護士も雇い、ガチガチに固めてから離婚調停を持ち掛けたのたが 『お金は一円も求めない』と高らかに述べていた筈の…そんな高野直子は離婚調停にて我々3人をあっと!!驚かせた『300万円』もの大金をいとも簡単に約束を反故し請求・要求してきた極悪人ぶりには過去の記事にも挙げている。
高野直子は、この陳述書の中で『私はこれ以上関わり合いたくないので承諾しました』なんて全く真逆な事を平気で述べている文字通り極悪人の詐欺師と謳われてしまっても何ら問題は無いだろう。

私の実父の高野義宗や弟の高野卓に説得されて『自発的』に戻らなかった(有り得ない与太話)

常に介助が必要な障害者であり、当時は一人で爪も切れなければ、カップラーメンすら作れない知的障害者でありながら左側が見えない同名半盲の私が、これからという時の幼き可愛い娘達と生き別れをする選択を取る訳が無いわな!!(認めたくないが…この時の私では…とてもでは無いが…独り暮らしなんて絶対に無理な状態だった…)


追伸:私がブログを始めたのは高次脳機能障害者の悲惨な末路を日本中に知れ渡って欲しいのと『成田警察署』や『佐倉裁判所』に高次脳機能障害を熟知して頂き、私の様な第二・第三の被害者を生み出させない為にブログを始めました。
本の出版が最終目標なのでインタビュー式のゴーストライターを探しております。
医療関係者やマスコミなどの取材も常時、受付ておりますのでLINEにお気軽に連絡を下さいませ。

私のLINEのIDはtakano0013

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貸した金は返金せよ!!④


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前回の記事では小倉義生が雇った『古海弁護士』が佐倉裁判所へ提出した答弁書の全文を掲載したが、それと同時に『小倉義生』が佐倉裁判所に提出した『陳述書』の全文も記載致そう(悪意の有る遺棄では無かった事や100万円たる大金は私から借りておりませんよ。たる・・・いかにして正当化したいが為への全ては虚偽の文章内容は許しがたき!!よくもまぁ・・・いけしゃあしゃあと・・・三流小説を書き上げたものだ)

住所:千葉県成田市玉造7ー1ー1ー4棟101プロムナード

名前:小倉義生

 

第1:はじめに私は、平成26年(ワ)第463号資金返還等請求事件(以下『本件』といいます)

で被告とされた者です。

本件の原告である高野憲一さん(以下『高野氏』といいます)の元妻である小倉直子(以下、『直子』といいます)は、私の娘です。

高野氏が平成23年4月6日に私に渡した100万円は、生活費に充てるために貸して欲しいと言われて直子に貸し付けた43万3000円の借金の返済金40万円と、長い間私の家に住まわせて生活させてもらったことに対するお礼金60万円として渡されたものです。

私が高野氏から100万円を借り受けたということはありません。

また、平成23年7月2日に直子と高野氏は別居することになり、その日以来高野氏は私の家に戻ってきませんでしたが、当時、直子に対する暴言及び暴力(以下『DV』といいます。)から直子を保護するために、同日、高野氏の父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに高野氏を説得してもらった結果、高野氏は、直子との別居に応じて、高野義宗さんが用意したワンルームマンションの一室に留まり、私の家に戻らなかったのです。

直子や私が追い出したということはありません。

上記2点について、それまでの経緯を踏まえて、以下詳述いたします。

 

第2:高野氏が平成23年4月6日に私に100万円を支払う経緯について。

1:身上等。

私は、昭和18年2月8日、父小倉茂と母小倉よし枝の三男として生まれました。

現在、72歳です。

昭和48年10月12日に、現在の妻和子と婚姻し、昭和50年3月31日には長女直子が生まれ、昭和52年12月15日には長男圭祐が生まれました。

2:生活費の貸付けについて。

結婚後数年間は高野氏と直子、なつきの3人で生活していましたが、高野氏が十分な生活費を渡してくれないので、年々生活は苦しくなっていくと直子から聞いていました。

平成18年5月26日頃、今まで使っていた冷蔵庫が壊れてしまったため、新しい冷蔵庫を買わなければならないが、その購入資金がないので冷蔵庫の購入代金10万円貸して欲しいと直子に言われ、10万円を直子に貸し付けました。

このときが、直子から生活費を貸して欲しいと言われた最初のときです。

その後も、直子は生活費が足りなくなるたびに私からお金を借り受けました。

私から足りない生活費を充てるためにお金を借りた日時及び金額は以下のとおりです。

平成18年5月26日に10万円・8月27日に5万8000円・11月22日に8万5000円・平成19年1月26日に6万円・2月27日に13万円・合計『43万3000円』

3:同居後の生活費の支払いについて。

平成19年2月の貸付の後、直子から、家賃を支払うことができないほど経済的に逼迫しているので同居させて欲しいと連絡を受けました。

私は、毎月いくばくかの生活費を支払うことを条件に同居することを了承しました。

その後、平成19年5月頃から、直子、なつき及び高野氏の3人が私の家で生活するようになりました。

直子は、同居後、約半年は定期的に生活費として月に何万円かを支払ってくれましたが、平成19年12月に1万円を支払ったのを最後に生活費は支払われていません。

長女なつきの幼稚園の費用等経済的な支出が増えたからだと聞いています。

4:高野氏が交通事故に遭ったことについて。

高野氏は、次女あさの誕生日である平成21年4月19日に交通事故に遭い大怪我を負いました。

とても大きな事故でしたので、事故に遭った高野氏のことを私も直子もとても心配していましたので、高野氏が集中治療室にいたときは、毎日お見舞いに行きました。

高野氏は平成21年7月頃に退院しました。

退院直後、高野氏が優しく穏やかになったと直子がうれしそうに話したことがありました。

このときの様子から、いろいろあったけど、高野氏と直子は仲が良いのだと思っていました。

直子から高野氏に殴られたという報告を受けた平成23年4月中旬まで、高野氏の直子に対するDVについては知りませんでした。

平成23年4月初め頃、高野氏に対し交通事故の損害賠償として3000万円が支払われたことを知りました。

当時、私は、平成14年頃まで経営していた小倉建設株式会社の事業資金として借り入れた約2300万円に、300万円の遅延損害金を加算した約2600万円の保証債務を千葉信用保証協会に対して負っていました。

しかし、同協会に対する債務については、私が所有する自宅とその敷地を物的担保として提供しており、返済を強く求められているわけではありませんでした。

また、小倉建設株式会社には、複数の取引先に対する約400万円の債務がありましたが、平成23年4月頃には、すでに5年の商事消滅時効が経過しており、債権者からの支払請求は受けていませんでした。

したがって、高野氏が3000万円の賠償金を得たことを知った当時、私は借金の取立てに追われていたわけではなく、また、金銭的に裕福というわけではありませんでしたが、経済的に逼迫していたというわけでもありませんでした。

平成23年4月6日、高野氏は、私の居間において、私、私の妻和子及び直子の目の前で、100万円を差し出し、生活費として借りた40万円と今まで世話になった礼金60万円です、受け取ってくださいと言いました。

このような高野氏の様子を見た私は、高野氏が事故をきっかけにして人間的に成長したと思い、非常に感慨深い思いになり、心から素直に『ありがとう』と言って、高野氏から100万円を受け取りました。

このとき高野氏は、父親である高野義宗さんに世話代として100万円を払った。

高野氏の父親の弟である高野二郎さんにも世話代として100万円渡そうとしたが、受け取ってもらえなかったと話していました。

平成23年7月中頃、私は、直子から、高野氏が同年6月下旬頃から、頻繁に、60万円の返還を求める電子メールを送りつけてくるという話を聞きました。

直子の話を聞いた私は、平成23年4月6日に高野氏から受け取った100万円のうち60万円は高野氏が私に対する感謝の気持ちとして渡してくれた礼金であり、贈与を受けたものであるので返す義務のあるお金ではないと思いました。

しかし、この頃、後述のとおり、すでに高野氏の直子に対するDVのことを知っていましたので、60万円を返さないことで直子に対するDVがさらにエスカレートするかもしれないと考えて、返金することにしました。

私は、平成23年7月21日に30万円、翌22日に30万円を高野氏に送金し、高野氏から直子が返還を求められていた60万円全額を返還しました。

 

第3:平成23年7月2日に高野氏が私の家を出て行く経緯について。

1:高野氏の直子に対するDVを認識した経緯について。

平成23年4月中頃、私は、高野氏から殴られたと直子から打ち明けられました。

直子の話を聞き、私は、驚くとともに高野氏に強い憤りを感じ『娘になんてことをしたんだ!』と直接高野氏に言いました。

私に叱られた高野氏は、そのときは謝りましたが、本心から反省しているようには見えませんでした。

2:平成23年6月11日の話合いに至る経緯。

直子から高野氏によるDVのことを打ち明けられた数週間後、高野氏のDVが日に日にエスカレートしているので、一日も早く高野氏と別居したいという話をされました。

その後、直子が、高野氏の父親である高野義宗さんに電話連絡し、ひどくなるDVの現状を話した上で一日も早く別居したいと伝えたところ、高野義宗さんが話合いの機会を設けてくれることになったと聞かされました。

高野氏の父親である高野義宗さんとの話合いの場に高野氏が来ることになれば感情的になった高野氏が帰宅後に直子危害を加える可能性が高いと考えた私は、高野氏が友人等と旅行に行って不在になる平成23年6月11日、私たち3人が高野義宗さんのお宅に到着すると、高野義宗さん、高野氏の義母である田村恵美さん、弟の高野卓さん及び藤ノ木伸江さんが集まっていました。

この場で、直子は、今まで受け続けたDVのことをすべて話しました。

直子の話を聞き終わった高野義宗さんは、一日も早い別居のために高野氏を説得してくれると約束してくれました。

弟の高野卓さんも高野氏を説得してくれると約束してくれました。

その後、さらに話し合った結果、高野氏を説得するための話合いの日時を平成23年7月2日午後1時にすること、同日をもって高野氏が直子の実家を出て行き直子と別居すること、同日以降高野氏が生活する部屋については高野氏の父親である高野義宗さんが用意すること、平成23年7月2日の話合いはその部屋で行うことが決まりました。

3:平成23年7月2日の話合いに至る経緯。

高野氏の父親である高野義宗さんは、自身が勤めている会社が入っている会社が入っているビルの隣のマンションの一室を、高野氏が別居後生活する部屋として用意しました。

平成23年7月2日、私と妻和子、直子、なつきとあさの5人で上記マンションに車で向かいました。

妻和子、なつき及びあさを車に残して、私と直子が午後1時頃に部屋に行くと、既に、高野氏、高野氏の父親である高野義宗さん及び弟の高野卓さんが集まっていました。

高野氏、高野義宗さん及び弟の高野卓さんは午前中のうちに部屋に集まった上で、3人で話合いを行っており、高野氏は、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得して別居に応じると話していると聞きました。

しかし、私と直子が加わって話合いが進んでいくと、高野氏は、荷物の片付けがあるので一週間だけ私の家に滞在させて欲しいとダダをこね始めました。

当時、高野氏は振り込まれた賠償金を使って一家4人での引越しを計画しており、高野氏の荷物は既に梱包が済んでおり、荷物の片付けに一週間もかかるような状態ではないことを知っていました。

そこで、私は、荷物の片付けの必要があるというのは口実で、私の家に事実上居座ることが目的だと思い、高野氏の要求には応えられないと本人に伝えました。

その後もしばらく駄々をこねていましたが、高野義宗さんと弟の高野卓さんの説得もあり、最終的に、今日限りで私の家には戻らないこと、したがって、今日限りで直子とは別居することを承諾しました。

私の家にある高野氏の荷物は、高野氏の指示があり次第、そこに送ることになりました。

話合いが終わり、私と直子が帰ろうとマンション駐車場まで行くと、高野氏も付いてきました。

直子は、別居することになった場合、高野氏には、処方されている薬と数日分の着替えが必要になると思い、衣装ケースにそれらを入れて持ってきていました。

直子が、部屋からついてきた高野氏に対し『薬と着替え持ってきたよ。』と言って、車に詰まれた衣装ケースをしめしましたが、高野氏は一切受け取ろうとしませんでした。

マンション駐車場に下りてきた高野氏は、すぐに部屋に戻っていきました。

その後、私たちは、高野氏に見送られることもなく、私たちは家に帰りました。

4:離婚に至る経緯。

別居の翌日である平成23年7月3日、直子から、高野氏が『お前たちみな殺しにしてやる!!』と脅迫されたという話を聞きました。

私は、高野氏なら本当に私たちを殺そうとするかもしれないと恐怖を感じたので、翌日、妻和子及び直子とともに成田警察署へ相談に行きました。

事態を重く受け止めた警察官の方は、親身になって相談に乗ってくれました。

そして、緊急事態が発生したら電話するようにと、私、及び直子の携帯電話に110番登録をしてくれました。

さらに、早急に千葉地方裁判所佐倉支部に対し配偶者暴力に関する保護命令申立てを行うようにアドバイスをもらいました。

警察官のアドバイスに従い、直子は、平成23年7月21日に千葉地方裁判所佐倉支部に配偶者暴力に関する保護命令申立てを行いました。

申立ての後、同年8月2日に保護命令を出してもらいました。

早く離婚して欲しかったのですが、高野氏が離婚の話合いに応じず、協議離婚は成立しませんでした。

そこで、直子が離婚調停を申し立てようと準備していましたが、直子が申し立てるより早く高野氏が千葉地方裁判所佐倉支部に対し離婚調停を申し立てました。

その後、平成24年11月12日に離婚調停が成立したと聞きました。

高野氏は、当時9歳のなつきと当時3歳のあさが成人するまでの養育費として300万円を一時金として支払い、その後は一切養育費を支払わないという養育費の支払案を提示し、直子が承諾したと聞いています。

5:離婚成立後も、高野氏は、私の家に電話を掛けてきて、私や直子に対する罵詈雑言を浴びせてきました。

また、直子に電話連絡をしたり、直子にメールを送ったりして、私や直子に対する暴言を繰り返していると聞いています。

さらに、高野氏は、直子に送ったメールの中で、養育費として支払った300万円と私に借金の弁済として支払った40万円を返還するように直子に求めていると聞いています。

養育費300万円は調停という裁判所での手続きを経て高野氏も納得して支払ったお金です。

また、平成23年4月6日に高野氏から受け取った100万円のうち40万円は生活費として貸し付けた借金の弁済として支払わされたお金です。

340万円を高野氏に返すべき理由はないのに、なぜ、返せと執拗に返還を求めてくるのか理解できません。

以下のとおり、高野氏が平成23年4月6日に私に渡した100万円は、直子が生活費を充てるために借り入れた43万3000円の借金の返済金40万円と、実家に住まわせてもらったことに対するお礼金60万円です。

また、高野氏は平成23年7月2日から直子の実家に戻りませんでしたが、直子に対するDVを知った高野氏の父親である高野義宗さんと弟の高野卓さんに説得されて自発的に戻らなかったのであり、私が追い出したということはありません。

 

 

高野憲一の反論:当時、同棲時代に高野直子が実家から借りていたとする金の日付を克明に書き記してあるが、何とかして私が小倉義生から40万円を借りたという、いかにも有ったかも様に既成事実に持って行きたいが為に虚偽なる記載なのは誰もが理解出来る(こんなものどうにでも書ける)

冷蔵庫が壊れたから10万円を借りたなんざ平気で戯れ言を述べているが、世田谷区上馬の借家に住む時に新居祝いとして『小倉義生』より冷蔵庫をプレゼントされたのが真実(いつの間にか…冷蔵庫代金を借りた事に成っているという…小倉義生の安定した嘘)

この世田谷区上馬での仕事の新聞の拡張員は、この世界では私は名が通っており、17歳から月にコンスタントに平均『50万円』(最高80万円)は稼ぐぐらい腕には自信があったので初めこそは順調であったが…流石に…この世界では牙城と謳われていた『世田谷区で朝日新聞』の拡張とは今までみたいに思ったように稼げず…この世界では私は初めての挫折感を味わった…。

新聞の拡張員とは完全出来高制の仕事なので『なつき』の未来の行く末を考えて…ここは心機一転!!キチンとした会社の固定給の仕事を探し始めていたところ『セブンイレブンの店長』たる非常に好条件の募集が目に留まったので、面接を受けてみる事にしたところ、何度も何度もセブンイレブンのオーナー達との面接を繰り返し受け続け…数々の難関を突破してしまい…私は『50人以上のうちの1人』に選ばれてしまったのには私自身…驚いてしまった…。

して、セブンイレブンの勤務が始まったのだが…凄まじい嫌がらせを働いているアルバイトの人間達によって受けた、特にオバチャン達(即ちパワハラ)
着る制服を隠されてしまい仕事が出来なかったり・仕事を殆ど教えてくれなかったり・レジの金が合わないのは高野さんのせいだと濡れ衣を着せられたり・嫌み蔑視軽蔑は極当たり前の光景からの文字通り四面楚歌状態だった(根性は座っていたので私は妻にも言わずに隠忍自重し…ひたすら耐え抜いた)

だが…毎日…朝から晩まで嫌がらせを受け続けるのを遂に…私は堪忍袋の緒が切れて、アルバイトの人々に怒鳴りつけてやった『いい加減にしろよアンタら!!様々な嫌がらせをし続けて何が楽しいのだ!!こんな劣悪な職場環境でマトモに働ける訳がねぇだろうよ!!俺はこの店の店長候補生としてキチンと選ばれた身なんだぞ!!』と溜まりに溜まった耐え抜き続けた感情が遂に爆発的な反動となり何かがはちきれた!!『アンタらの思惑通りに辞めてやるよ!!この店で何故に店長が育たないで辞めて行くのは全てアンタらのせいだったんだな…よくよく私は分かったよ…』と全てをぶちまけてやって私は次の日からセブンイレブンには行かなかったのだが、店側に非が有ったのかオーナーからは電話連絡は一切来なかった(セブンイレブンの店長とはボーナスまで高額で貰え月給もアルバイトとは額が違い過ぎるので好条件で入って来る仕事を何も知らない店長候補生に対して嫌がらせをし続けて辞めさせ様とする店には気風が蔓延しており追い出してきた経緯を後に知った)

再び『妻となつき』を食わして行かなければ成らなく就職活動が急務と成り、キチンとした会社の月収の高い所に勤めたかったのだが…なかなか見つからなかった(スーツを着て新宿・渋谷・池袋・と面接する日々)その間、生活費を捻出するのにどうしたかと真相を述べると、私の実父『高野義宗』から総額『105万円』を頭を下げて直接会って借入れをした(後に交通事故の退院後に全く金が無かったので改めて借りた60万円を借りプラスして総額165万円と成ったが全ては自賠責保険金から全額返した)
従って、直子が実家から金を借りに行ってたというのは全て真っ赤な嘘の作り話であり、実際には金に困っていた時に金を借りていたのは私が父親と直接会って借りたものなのである!!

して、小倉義生と小倉和子夫妻は世田谷区上馬の借家に孫の『なつき』を見に成田市からワザワザ頻繁に車で来るので、私が二人に本音を詳しく聞いたら『常になっちゃんと一緒に居て暮らしたい』と願いを述べてきたので、ならば…再び成田で一緒に暮らしてみるか?と直子に尋ねてみたら、非常に喜んでいたので我々3人は成田市の小倉義生の分譲マンションの一室の10畳一間に戻った(この判断が私の人生を狂わせてしまった最悪の決断だった…成田市に戻らなければ交通事故にも遭わずに高次脳機能障害者に同名半盲たる病とは無縁な人生を送っていた事だろう…。)

小倉義生は直子が借りたとする日付は克明に記載してあるが、私が入れた生活費の金額については『約半年間は定期的に生活費として何万か支払ってくれた』なんて途端に曖昧に成り、いつの間にか半年間に限定し嘘を平気で述べてはいるが、入れた生活費の額など日付は全く書き記さない流石は極悪人の詐欺師。

同居してから、私は再び新聞の拡張員をやり『10万円~15万円』を生活費として高野直子経由で小倉義生や小倉和子に手渡していた(なつきが幼稚園に通う様に成ってから10万円たる金額で小倉義生にリビングで直子や和子の居る前で納得してもらった)

この嘘八百デタラメだらけの小倉義生の陳述書には、やたらと『直子へのDV』を盾にして、錦の旗の如く必死に成って論じているが、そもそも『診断書』なんざ在るのか?(笑)
傷は?あざは?打撲は?捻挫は?←ハイ!!全く在りませんね(笑)

成田警察署も佐倉裁判所も、ものの見事に『小倉親子』の言葉だけを信用して綺麗に欺かれた訳だ(それを確実に見抜けなかった成田警察署も佐倉裁判所の無能さを如実に物語っている事が大問題)

居間で(笑)私が(笑)小倉義生・小倉和子・高野直子の前で100万円を差し出し(笑)
『生活費として借りた40万円と今まで世話になった礼金60万円です』と私が述べて渡した(大爆笑)

そもそもだな(笑)
私:高野憲一が小倉義生に一円でも金を貸して下さいなんざ天地に誓っても頼んだ事すらも一度も無ければ『40万円』も借りてる事なんざ、これっぽっちも知らなかったのに、こんな台詞を果たして述べるかよ(大爆笑)

私がこの場で述べたのは『直子から毎日…毎日…朝昼晩!!無利息・無担保で実家に纏まったお金を貸して上げて御願いだから!!そうすれば取り立てが来なく成るから!!と余りにも頼んでくるので、なつき・あさを一人前まで育て上げなくては成らない俺の命の貴重な代替え金だが、自宅に取り立てが来なくなるなら100万円を貸して上げるよ』と封筒に入れて貸してやったに過ぎず、何だよその世話代の60万円て(大爆笑)
既に就労不能と診断され働けない身分の私が、なつき・あさ・の将来も考えずに気前よくポーンと『100万円』なんざ大金を渡す訳が無い(笑)

そして『人間的に成長したと思い、非常に感慨深い思いになり、心から素直に有り難う』と言って100万円を受け取りましただって(大爆笑)

与太話をいかにも人様に信じてもらう為に、最もらしいストーリーに作り上げているという、その辺の売れないドラマより酷過ぎるストーリー展開には怒りを覚える(小倉親子は障害者には何を言っても行っても良いルールが存在する)

『高野義宗さんに世話代として100万円を支払った』世話代ではなく単なる借りた金を返しただけ(退院後で金が全く無く毎月、親父が20万円ずつ振り込んで貸してくれた金と世田谷区上馬に住んでた時に借りた金の総額が165万円:直子が一番よく知っている筈)

叔父の高野二郎さんは駆け出しの頃の十代に部屋を借りた時に貸して貰った金を返す為に都内に50万円を持って返しに行ったが…二郎さんは小倉義生とは全く違う見解を示した『これから…2人の幼い娘を育て上げなきゃならないのに…働けなく成ってしまった、お前から例え貸した金だとしても貰える訳がねぇだろ!!絶対に貰わないからな!!それを貰ったら俺は乞食に成ってしまう』と二時間に渡って説得され続け、何が何でも受け取ってもらう様に私は叔父を説得し続けはしたが…これ以上は無駄だと思い…私は返すのを諦めて都内から成田に帰った(これが…真人間の物言いであり、小倉義生とは天と地の雲泥の差が有る)

高野直子実弟の『小倉圭祐』に至っては、リビングで小倉家の家族が居る前にも関わらず、私に向かって『自賠責保険金の3000万円から30%を寄越せ!!』と私に恐喝・恫喝・脅迫・たる脅してきたぐらい小倉親子は酷過ぎましたからね(目の前で障害者が脅されていても通常なら即刻止めて小倉圭祐を徹底的に叱る筈なのが小倉親子はダンマリの黙認していた=怒る役・なだめる役・嘘を述べる役・怒らせる役・たる典型的な劇団型おれおれ詐欺が小倉親子)

都内に『悪意の有る遺棄』までしといてDVがどうやってエスカレートするんだよ(笑)

だから60万円だけは返した(大爆笑)
贈与されたと謳うなら返さなければ良いではないか(笑)
即ち何かと金に困っていた小倉義生は『手元に60万円しか無かった』からなのは最早…バレバレなのだよ(笑)

40万円は直子が密かに実家に金を借りに来ていた事にし直子と口裏を合わせたのもバレバレなのだよ(笑)

『娘になんてことをしたんだ!!』なんざ戯れ言を述べているが、こんな事を言われた事すら皆無の単なる作り話(笑)
で、私が謝ったんだってさ(笑)
自賠責保険金が降りてから高野直子より『金の無心 』(即ちユスリタカリ)しかしないので夫婦喧嘩は絶えなかったが、私は逆に高野直子からほっぺたをひっぱたかれて『金がもっと必要なんだよ!!』と虐待を受けていたのが真実。

小倉親子の策とは先ずは『判断能力の無い障害者』の自賠責保険金を徹底的に搾り出して摂取したり金を密かに降ろして任意保険金が、そろそろ降りると判断し、その辺に置き去りにしたら保護責任者遺棄として刑事罰を恐れたので、外堀から埋める事とし、私の実父や実弟を籠絡させ『決して小倉親子が高野憲一の事を遺棄したのではないですよ。お父さんと弟さん達が説得をして家を出て行ったんですよ』と狡猾な極悪人の詐欺師ならではの悪しき計画なのはバレバレね(笑)

私が非常に残念なのは、実父と実弟が…コロリと小倉親子に嵌められてしまった事だ。

陳述書の中には『説得され別居に応じている』なんざ戯れ言を述べているが、一人で爪すら切れない・カップラーメンすら作れない知的障害者が一人で生活をする事を決意表明する訳が無く勇気も無く、小倉親子は三時間に渡って『今後お金は一円も求めない』『好きな時に娘達とは会わせる』と数々の偽りの約束事を押し付けて遺棄したに過ぎず、私の意思無しに夏場の全荷物を成田から車に勝手に搭載してきたのが真相であり、大切な大量の荷物の片付けるには一週間は掛かると同時に当初は貸倉庫に全ての荷物を入れる事と約束を交わした筈が陳述書では『事実上居座る事が目的』にすり替わっている、どこまでも嘘だらけの小倉義生(佐倉裁判所まで平気で欺くだけ有るは)

『お前たちみな殺しにしてやる』と脅迫された(大爆笑)

全くの逆の話!!悪意の有る遺棄をされた後に直子に対して通話にて『俺はもう自殺をして高次脳機能障害者の最期として死んで国に記録を残してもらう』と宣告したに過ぎなく、直子は『死んでくれた方が有り難い』 と述べてきたのが真相。

話し合いに応じず協議離婚は成立が出来なかっただって(大爆笑)
高野直子は電話にて『任意保険金は降りた?降りたならば早急に離婚しましょ!!』しか述べては来なかったのが真相(財産分与の対象が任意保険)

任意保険金が亡者共(小倉親子の狙い)の悪しき計画の最終章だったので、過去の記事にも挙げたが、極めて危険を察知した私の方から民事の弁護士と補佐人の弁護士を雇って『離婚調停』を持ち掛けたのが真相!!

マトモに『面会交流』すら守らない毒婦の高野直子に対して、私は裁判事項に則って、そもそも支払わなくても良かった『300万円』まで請求され一括で支払ったのにも関わらず、約束を守らない高野直子に対して『裁判事項を守らないなら不治の病を二点も抱えてしまった障害者の大切な300万円を速やかに返してくれたまえ』と述べるのは極自然な話。

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